1653_シー言語の前にあるビー言語とえー。
都市伝説ではありますね、機械語ができれば万全とかなんとか言っていた時代が懐かしいわけでございます。せめてassemblerを使う程度には進化した方がよろしいのではなかろうかなとか、想像するわけでございますが、その知識すら歴史的な太鼓の昔ですよという指摘を受けたりする人もいるのであろうかな、と、光陰矢の如し的な時代の流れに所業無疆の響を感じたり感じなかったりしながら始まる今日のゴブリンでございます。
どういう流れでそのようになったのでありましょうかね?どこかで間違いが発生していることは確かなのでありますが、それがわからないです。さてではお片づけをいたしましょうね?今日も元気可愛いですね。
頑張っているのはわかるけれども、効率が悪い、というものはどこにでもあるわけでございまして、毎度同じような作業をするならば、まず一回立ち止まって最適解を探してみるべきではなかろうかという意見がございます。それをしている間に作業が進むのではという反論には積み重なっていけばこちらの方が早く終わりますという再反論で立ち向かいましょう。
単純作業にこそ効率化の鍵が隠されているという意見にも一理あるわけでございまして、文章を書くにあたって、その道具の位置やら目線の確保やら、姿勢を正しく保つための工夫やらは、これはかなり大切になるのでなかろうかなという、経験がございます。
短縮できる動作はなかろうかなと常に気をつけておきながら、たぶんこれが一番早いと思いますと、言えるようになるまでが戦いなのであろうかなと想像するわけでございますが、さらに進化を遂げることができるのではなかろうかと、常に切磋琢磨をする方もおられるわけでございまして、その熱意はどこからくるのであろうかなとか、ふと疑問にも思うわけでございます。
基本出来高払いであるという理屈はありそうであるかなと、こなした数によってお給金が変化するならば、できるだけ短時間で効率的に損耗率を少なく行動する方が良いわけでございまして、楽して稼ごうが、熱意の元になっているという理屈は正しいように思われるわけでございます。
周囲との差別化というものもあるのではなかろうかなと、当てにしてもらえる、期待してもらえる、褒めてもらえるという単純かつ結構心理的には深いところにある欲求を満たしてもらうために技術を磨くという場合もありそうではあります。とっかかりはそこにあっても、純粋に自分が早く正確に作業ができることが楽しい、満足感を覚えるという方向に変化していった場合もありそうではあります。
健全である方は、周囲の評価に惑わされず、自己評価で自己満足する方ではあるのであろうかなとは予想できるわけでございまして、精神の健全性が守られる可能性が高いのであろうかなと想像できるわけでございます。ついでに周囲からの評価も上がり自分自身の立場を守ることができるのであれば、一挙両得ではあるのであろうかなとも予想できるわけでございます。
属人化を進められてしまう可能性は高いわけでありますので、そこには注意が必要ではありますし、最終的には、人力から機械力へと変化させた方が良い場合もあるわけでございますので、臨機応変に環境やら状況に合わせて対応する必要があることは間違いないように思われますが、与えられた環境に合わせて動作を最適化することが楽しいということもまた確かではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
このあたりの塩梅をどうするかで、幸福度が違ってくるのであろうかなとかぼんやりと想像しつつ、おしまいです。
「神様の言語を解釈実行できるようにするのが宗教家ですね」
「0と1を使って命令してみよう、が基本ですね」
「神様はシステムに近いみたいですな”旦那様”
8ビットから学ばせた方が良いかもしれませんな”奥様”」




