1648_とししゅん、というとしょんぼりしている男。
昔の物語でそのような名前の方がおられたようなおられなかったような、いたかいなかったを併記すれば、全体を網羅することができるのであろうなと以前発見したのでありますが、そのどちらでもないという選択肢もありますよと指摘された瞬間に無限の可能性を見出したわけでございます、何の話でありましょうか、相変わらずのどちらにもなれないゴブリンでございます、皆様胃腸は落ち着いたでしょうか?
はい、これは確実に食べすぎですね。ちょっとしばらく食事は控えにいたしましょう。というか間食をなくした方が良いですね。悲しそうな顔をしないでください、ちょっと盗み食いにしては量が多かったですよ?今日も元気可愛いですね。
意気消沈したとか、無気力になったとか、死んだような目をしてしまうとか、そのような繊細さと申しますか線の細さと申しますか、弱さをさらけ出した対象に愛おしさを感じてしまうという方々が一定数存在することは、よく観察されるわけでございますが、やはり庇護欲というものであるのでありましょうかね?
相手より立場が上であるとか、それによって、助けることができる、慈しむことができるという優越感のようなものが根底にあるのではなかろうかといってしまうと邪推に過ぎるわけでございますし、性格も悪そうではありますね。偽善と言ってもいいかもしれませんが、行為そのものは褒めても良いのではなかろうかとか、想像するわけでございます。
弱者を助けようとする行為はその根底にどのようなものがあろうと、肯定してあげるほうが結果的に良いのではなかろうかなという予想がございまして、また一方安易に人助けをするものではないという意見もあります、何故ならば自立を妨げるからであるという理屈であります、これにも一考の余地があるわけでございまして、やはりこのあたりの塩梅が難しいということであるのでしょうかねとか、思考するわけでございます。
手助けが必要な方というものは、常にそうではありませんが、その瞬間瞬間に発生しているものでありまして、状況環境歴史的に見て判断する必要があり、綺麗に判別できるようなものではない、という思考がされている、のではなかろうかなとか予想するわけでございます。
機械的に分けれるようなものではなく、常にそれが必要ではないものの、この場面では必須であるのではという予想ができる、と理想なのではなかろうかなという感想がございます。ようは人助けは深く考えると難しいわけでありまして、このあたり実は思考停止をする方が効率的である、場合もありそうではあるかなと予想するわけでございます。
自助が最初に来るということはこれは間違いないわけであります。何故ならば資源が限られているからという客観的な事実があるからでございまして、無限のそれがあるならば、必要ないのでありましょうかという疑問も合わせて生まれそうではありますが、その答えとしては、そうであるならいらないのではないかという胡乱なものになりそうではありますな。
自助のやり方を学習させておくことが大切なのであろうかなと、初動が肝心という印象はございます。生きるということをやってもらわないと、そもそも手助けができないというようなものでありましょうか。ただ、存在をしない、そこに在ることすらできないような追い込まれ方をする場合もあるわけでございまして、それはもう構造的な問題なのであろうかなとは思うわけでありますが。
市民あなたは幸せでなければなりません。まで言わせるとそれは違うかなとかぼんやり連想しながらおしまいです。
「自ら助けなければ助けられないと明言するような宗教もありますね」
「物心つく前からの学習を定型化する必要がありそうではありますね」
「神様に全てを預けてしまうと怖いことにはなりそうですな”旦那様”
負の連鎖になることはありそうではありますな”奥様”」




