1645_かねかねえぶりばでぃ。
ひどい副題を見た気がします。国営放送の朝番組に似たようなものがあったようjな気がしますが、全くの偶然でありまして、現実には何のつながりもないわけでございます。すでに似たような名称は使われているような気もしますね、連想しやすい語感なのでありましょうか?皆様お元気ですか?私は元気です。
国語以外の言語を学ぶには小さな時からの方が発音が綺麗になると言われていますね。ところでどこからそのような声を出しているのでしょうか?今日も元気可愛いですね。
それにつけても金の欲しさよ、とかなんとか和歌にも歌われていたようでございまして、お足というものはあったらあっただけ困らないものではないかなという認識が蔓延しているようでございまして、大筋それは間違いではなく、世に言うところの五千兆円欲しいという流れではなかろうかなということでございます。
一方でお金というものは記号にすぎないものでありまして、それそのものには価値はなくそれに価値を持たせている存在は信用であるわけでございます、ようは概念に近いようなものであるわけでございまして、価値の抽象化をしているものであるとも言えそうな、逆に具体的に示している場合も多そうではあります。
労働の対価として金銭が支払われる、ゆえに、価値の基準は労働であるという意見があるようでございまして、その費やされた時間換算で資産が決定されるのであります、そこに生産性はないのでありましょうか、という疑問が生まれたりするわけでございますが。
また、目に見えない価値と申しますか、何も生産していないように見えても、かなりの価値を持つような時間もまた同時に存在するわけでございまして、そこには成果物が目に見えないがゆえに、賃金が発生しないもしくは遠く未来において役に立つかもしれないけれども今ここにある何かには対応しない、そのような労働については対価が支払われにくいという欠点がある、のであろうかなとか、予想するわけでございます。
創造する頭の中で考えている段階での労働を、価値として評価することが難しいということがあるのであろうかなとか、または、一瞬のひらめきのようなもので劇的な効果を見せるようなぶるいのお仕事に対しては、時間単位の賃金体系はこれはまあ適応が難しいことは、想像に難くなく、ここはどうにかしなければ価値の不平等からの歪んだ経済となること間違いない、とかなんとか連想してみるわけでございます。
評価が難しいのであるならば、いっそそれを放り投げてしまうこともまた合理性の表れではなかろうかなとか、予想するわけでございます。年功序列と申しますか、長く生きていればいるほど賃金が高くなるような仕組みにしてしまうわけでございます。健康に気をつける人格も増えそうな気がいたします。
無理やりに延命するような社会になりそうではありますが、基本的に支払われる対価は本人の意思によってしか使用できなとかにしてしまえば、抑制が可能のような気がします、治療にかかる費用に加えて少し色が出るような塩梅にすれば、非常な判断をする親族やらそれに準ずる人も少なくなるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
財源の問題は出てくるわけでございますが、健康に生きているだけで社会構造への負担は減るのであると予想されるわけでございますので、どこかで均衡するのではなかろうかなとか、ぼんやり想像するあたりでおしまいです。
「神の前では皆平等でありますがゆえに」
「ベーシックインカムの発展系みたいな話ですね」
「神様に比べると人の才能の差異とか問題にならないレベルですな”旦那様”
長く生きた方が勝つというのは真理の一つではあります”奥様”」




