1640_腐じぇんだーふりー、のふり。
性的対象に偏見を持たないと言うことであるのであろうかなとか、老若男女人獣を問わずとかなりますと、まあ、そういう方もおられますよね、で流すこともできるかもしれませんが、実際に行動に移すならば、見えないところでやって欲しいと思う方も多いのではなかろうかなとか、想像するわけでございますが、よくよく考えなくとも秘めごとを公開でするのはよろしくないのではないかとする意見が大半を占めそうではありますな、とかぼんやりと連想を続けつつ始まる今日のゴブリンでございます。
ある意味最初から性別を超越しているところにある存在と言うものもあるわけでございまして、うちの子はかわいいというやつですか。ちょっと違うかも知れません。今日も元気かわいいですね。
それは秘密にするべきであるのではなかろうかと言う文化を育ててきたと申しますかそうなっていった社会であるならば、それに従ったほうが、利益が大きいのではなかろうかとか予想するわけでございますが、それに我慢がならないのでどうにかしようとして、さらに快適なものに変容させていく歴史もまた存在するわけでございまして、この辺りはどのように均衡を取りつつ、破綻させずに、行動するかという問題になるのであろうかなとか、予想するわけでございます。
個人の趣味嗜好に口を出してはいけませんとか、否定してはいけませんとか、そのような人権はそれほど歴史が深いわけではなく、いいえ、概念自体はあったようではありますが、権利として堂々と主張されるようになったのは、19世紀から20世紀くらいのお話ではなかろうかなとか、観察されるわけでございまして、市民の力が増してきたからこその少数派が活動しやすくなったとも捉えられるわけでございます。
がしかしそれよりも、経済活動の自由が保障されるようになったことのほうが要因としては大きいのかもしれないとか、想像するわけでございます。つまるところ人権問題に限らず、権利関係は商売になるという発想が生まれまして、実際に儲けることができる環境が整ったから、とか、がありそうでございまして。
基本損得勘定で動く方が多いという印象がございまして、当たり前のお話でありますが、生存本能と密接に関わってきますので、ある意味それは人と切って離せない性質であるわけでございます。ただ個人個人の損得勘定は、社会全体のそれとは乖離することがございますので、行政側としては制限を施す必要が出てくるわけでございます。
局地的にはそれは利益を生むわけでございますので、どうにかして、管理組織からの離脱と申しますか、法的な拘束力を無効化しようとするわけでございまして、そこに旨味が生じるのであろうかなとか、民主主義であるならば、世論によってその法律やら仕組みやらを変化させることが可能になりますので、大きな声をあげて、賛同者を募り、多数派による変革をなす、少数派という、ちょっと奇妙なそれでいて自然なものを作り出すに至るわけでございます。
もちろん管理者側も完璧ではないのでありますから、不当な差別的な統制は少なからず存在しているはすでございますし、過去には実際に存在していたわけでございます。現状もまたそのような差別的であるとされる法律なり構造があることはおそらく否定できないのではなかろうかなと、観察されるわけでございます。
それを改善しようとする試みは自然な流れであるものの、それを歪めて利己的な振る舞いを隠すために利用している、意識的であるか無意識的ではあるかは別として、そのような方もまた普通にいるのであろうなとか、見てとってみて、見世物としては愉快なのでありますよね、などと笑っておしまいです。
「そもそも神様に性別はないとする宗教もあるわけでありまして」
「背徳感がある方が恋愛は盛り上がるという話も」
「神様がそうなのであるならば我々もそうあるべきですとなりますか”旦那様”
破滅的な愛は離れてみるには面白いかもしれませんな”奥様”」




