1639_成金、もとはふふふ。
こつこつと一歩づつ前進いたしまして、ある領域に入りますと有益な駒となる、これは立身出世とか努力が結びついたとか、美徳に当たるような事案であると予想するわけでございますが、どうしたものかあまり良い印象を与えないような場面で使用することが多いような観察ができるわけでございまして、やはり金という言葉が否定的に使われるのであろうかなとか、ぼんやりと連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
きんきらきんな衣装は実は結構好きなのでありますよね、幼児さんは。ただ、光っているから良いのであって別に高価かどうかは関係ないのでありましょうね。高級のなのが良い?そうですか。今日も美麗元気可愛いですね。
黄金が富の象徴であるとか、誰が決めたのであろうかとか、ぼんやり想像するわけでございますが、とにかく光るものが高価であるとか価値があるとかそのような印象がどこかで作られたのであろうかなとか。大元は太陽信仰あたりに源流が辿れそうではございますが、単純に目立つので格好良いという等式が成立した、のかもしれないとか、想像するわけでございます。
指導者とか、集団を率いる者とか、先頭に立って鼓舞するものとかは、まあとかく目立たなければならないわけでございまして、それを成すための道具であったのではなかろうかなと、さらにはそれが希少な何かであったが故に、さらに価値が上がったのではなかろうかなとか、想像するわけでございますが、貨幣となった経緯は結構ふんわりとしている可能性があるのではなかろうかとか思考するわけでございます。
古くは、価値観の共有やら、取引に不便であるから貨幣が誕生したのではなかろうかという説が有力であったようでございますが、昨今と申しますかある程度、研究とか思考してみた結果、そうではないような成り立ちであったのではなかろうかなとか、予想されるようになったようでありまして。
それは貸借りの見える化であったのではなかろうかなとか、これだけの何かを渡されたことがあったので、お返しに次にこれだけを返しましたよとか、返そうと思いますよ、とか、贈り物のやり取りを、記録するようにした時に合わせて物質的なものを使ったあたりが始まりであったのではなかろうかなとかなんとかどこかで聞いたような気がいたします。
別にそれは何でも良かったわけでありまして、分かりやすかったから物になったわけでありまして、要は善意と申しましょうか、情けは人のためならずの、確定化を図ったものであったのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。余分なものを融通し合っていった流れであるのではなかろうかなとか。
自給自足が基本であった社会がその始まりにあったのであろうなと、その時代の仕組みが、のちに、専業、分業の働き方、社会構造に変化していったことに合わせて、その貨幣とか貸借りの目に見える共通認識としての物質、それの意味合いが変化してきたのであろうかなとか、想像するわけでございます。
相手側とこちら側がしっかり把握しているのであるならば、貨幣は物質でなくとも良いわけでございまして、この辺り貸借りを情報として処理することで物流の効率化を図るやり口になるのであろうかなとか、想像するわけでございます。その貨幣の信頼をどこが取るのかというところもまた、流動的になってきているのではなかろうかなとか、この辺り、あまり独自の路線で走りますと、各行政側の統制がままならなくなる可能性が出てくるわけでありまして、自然に任せるということにはならなくなったのであろうかなと。
ただ、貸借りというか善意のやり取りという原初的な経済活動は止められないわけでございましてこの辺りに、状況打破の手がかりがある、のかもしれない、などと適当なことを発言したところで、おしまいです。
「お金でお金を儲けることを禁じている宗教も有名ですね」
「感覚が実態を凌駕する場合があるのは貸借りが感情よりだからでしょう」
「利子をとってはいけないとかですね、安全よりですな”旦那様”
貸したほうが借りた方よりそのやり取りを覚えているそうですな”奥様”」




