1636_陽のもの隠のもの、急急如律令。
過去には名前のなかったものにそれをつけることによって認識されるような状態というものは、普通にあるものでございまして、それはその様子が先なのであるか名前をつけた瞬間に現れるのかというような疑問も生まれるわけでございますが、往々にしてどちらか一方であることは少なく、相互に関係しあって新たな概念として定着していったり、流されていったりするのであろうかなとかぼんやり想像しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
新しい言葉を作ったはしから忘れて行ってるような気がしますね。今日も元気可愛いですね。
長い説明が必要なく勘弁に会話やら文章やらに紛れ込ませることができるそのような名付けはあるわけでございまして、効率化を図ったものであるとか言えそうではありますが、微妙にその表す概念の振れ幅があることによって誤解が生まれることもまた普通にありそうでありまして。
その誤解からか誤読からが、意味合いが違ってくることも文化的にあり得ることでありまして、むしろ変異していくことが普通なのであろうかなとも予想できるわけでございます。この辺り環境の変化に合わせて意味合いが変化していくのであろうかなとか予想されるわけでございますが、頑なに元の使い方を忘れないようにしようとする一派も存在するように観察されるわけでございまして、そのあたりわざと誤謬を増やしていくことによって、何らかの効果、有利に立つやり口を得ようとするものがあるのであろうかなとも予想できるわけでございます。
韜晦というやり口であるのかもしれませんが、要はごまかしとか、時間稼ぎとか、そのあたりの分類でそう間違っていてはないわけでございまして、相手の思考能力に負荷をかけて、結論を引き延ばしたり、都合の悪い状態にならないように混乱させたりする、やり口なのであろうかなとか、もしくは、自分もよくわかっていないので、調査のために時を得たい場合に使われる、のかもしれないのではなかろうかなと。
じっくり時間をかけた文章やら発表やらであるならばそれはあまり必要がなく、味付けに使われる程度であったり、もしくは、興味を引かせる道具としての役割が当てはめられるわけでございますが、現実に今会話をしている段階で、どうにかして自分の思考時間を稼ぎたいとか、記憶の検索範囲を広げたいときには会話そのものを混乱させてみる試みとして使用されたりするのであろうかなとか、そのような一かたまりの処理を複数用意しているのではなかろうかな、とか想像するわけでございます。
ごまかしのやり口であるのであろうかなとか、時間の経過とともに印象が薄れることを期待して思考力を奪っていき、問題を長引かせるために、ささいな点とか本筋とは違うところを議論の対象に持って行くとか、興味をそらしてみるわけでございまして、この場合、特定の何者かの記憶はそうどうにかできるものではないわけでございますが、日々の暮らしに忙しい部類の層にとっては、今ここにある危機でなければどうにかこうにか忘れ去れる、もしくはむし返すにはすでに遠い、または、楽しみなりそうもない、無駄話として使えない題材になっていくことが多いのであろうかなとか予想するわけでございます。
他に大きな話題があると声を上げることによって興味をそらすわけでございまして、幼児の気をそらすために、大げさに何かを指し示すやり口とそれほど変わっていないわけでございまして、そのあたり、幼稚ではあるものの、一定の効果があると見受けられるのは、やはり本能に根ざしているものがある、からなのであろうかなとか予想するわけでございます。
余裕を奪うために騒動を起こすわけでありまして、社会全体から見るとこれは非効率であることは間違いないのでありますが、大抵、それをなす方は全体を考えることはしないわけでありまして、なるほど、この辺りが問題になるのであろうかなと、どうしましょうかね?投げっぱなしにしておしまいです。
「一心不乱に神に祈っていれば余計な悪さはしないわけです」
「暇な人は余計なことをするとはよく言われていますね」
「何も生み出さないことが最善となることもあるわけですな”旦那様”
非効率なままな仕事はそれなりに意味があるとかですか”奥様”」




