1632_鯨飲馬食切り。
別に泣いてはいないかもしれませんが、涙が止まらない方のためにすでに切られている馬謖を用意いたしました?玉ねぎのようなものなのでありましょうかね、ええ冗談で言っているのでありますので、それはそうではないという指摘は的外れではございますが、それはそれとして伝統芸として受け取った方がよろしいのでありましょうか?今日もよく分からない場所から始まるゴブリンでございます。
泣く子供と地頭には勝てないそうであります。地蔵でありましたかなるほど勝てそうにありませんので戦略的撤退とか転身でありますね。今日も元気可愛いのではありませんか?
鯨と対をなすような生き物としての馬というものはどうなのでありましょうかねとか、これは結構役者不足と言ってもよろしいのではなかろうかとか、いいえつまりは鯨が飲むほどの食べることができる馬が存在するということではなかろうかなとか、古代馬とか、神の馬とか、そんなものではなかろうかとか、食欲の化身であるならば、それではなく、もっと大食いの何かを象徴的なものにすればよろしかったのではなかろうかとか、素直に鯨もものを食べることにしてしまって、鯨飲鯨食とかにしてしまったらよかったのではなかろうかとか、これはこれで語感がよろしくないのであろうかなとか。
この馬というものが本来我々が知っている馬とは違うものであったのではなかろうかなとか、こう、妖怪のようなものであった可能性も微量ながら存在するのではなかろうかとか連想するわけでございます。つまりは、未確認な生物であるところの、Unidentified Mysterous Animal 略語であるところのUMAの当て字であったのではなかろうかとかとんちきな意見を出してみるわけでございまして、まあ、発音が違うのでありますからそこは微妙な線ではあるわけでございますが。
それはそれとして、馬ではない何かであるという定義ならば、鯨の飲むほどの量に比類する捕食行動を見せるとかはあるのではなかろうかなとか、この場合の同量というものは質量的なものではなかろうかなとか、熱量的なものになりますと、ものの大半が海水であるところの鯨でありますから、実は食事の量は少なくとも良いのかもしれないとか予想が経つわけでございます。
これが、摂取する時での勢いが並び立つのであるならば、これはもう飲むように食べるような映像が頭に浮かぶわけでございまして、時空の歪みが認識できるほどの驚くべき食卓が演出されるのではなかろうかなとか、ここで飲み物に近い料理に行くのではなく、やはり、見た目がしっかりとしている肉に踏み切ってみることが肝要ではなかろうかなとか。
牛を食べる馬とか、それはもう、怪異でしかないのではなかろうかとか、豚とか魚でもあまり絵面は変化しない可能性もあるわけでございますが、ここはこう丸呑みにしてしまう勢いで食べていくみたいなものが見たい気がいたします、なるほどまるきりそれは妖怪とか怪物の範疇に入るわけでございまして、一般的な馬とは次元が違うのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
ここでさらに認識を新たにするわけでございますが、一般的な馬とはなんであったのかとか、あれは巧妙な擬態であり、時代を下っていく上で人間社会に溶け込むことを主題にした、変容であるのではなかろうかなと。概念そのものを変質させて現状の無害に近い、驚異を感じさせない存在になりすましているだけであり、本質は、それは食欲に突出した怪物であるのではなかろうかなとか、人知れず、いやさ認識できない舞台で悠々と大食をせしめている可能性もあるのではなかろうかなとか、擬人化して楽しんでいる場合ではないのではなかろうかと、我々は警鐘を鳴らさなければならず、誰か訪ねてきたようなので、続きは後で。
「知らなくて良いとか知らない方が良いとか知るべきではないとか」
「見抜いてしまったが故に正気を喪失するとか」
「知られたくない方の詭弁という場合ではないこともありますな”旦那様”
その方が幸せになれる場合もありますな”奥様”」




