1630_ますます繁盛、寝て1畳か2畳。
四畳半は欲しいのでありましょうか、神話になるかもしれないわけでございますが、一人で生活するのであるならば、実は充分な空間なのかもしれないとか想像するわけでございまして、ある意味、結構広めでも複数人と寝起きするとなると、狭く感じるのであろうかなとか、別種の煩わしさがあるのであろうかとか、連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
子育てであるならば、ある意味、人格を無視しているといいますか、考慮していない場合もありますので、気楽な時間もある、のでありましょうか。いや油断はできないわけでございますが、ほらね?今日も元気可愛いですね。
生活する空間は寝てられる空間があればそれで良いのであろうかなとか、いや食事とかはどうするのですよとか、ある程度集合していても個人の空間が守られるような場所があるならば、ある意味経済的ではなかろうかなとか。活動時間ないは人を集めていく方が効率が良いのであろうかなとか。
こう個人個人の空間を区切っておいて、それをひとまとめにして空調管理を行っておくわけでございまして、共有空間とか施設を用意しておけば、結構こじんまりとした、それでいて、個々の資源を確保された、確立した生活を送らせることができるのではなかろうかなとか。
娯楽が映像やらやら画面やら、もしかすると仮想空間で済ませることができるのであるならば、これは狭さはそれほど苦にはならないのではなかろうかとか、運動不足はそれはそれで、自動で動くような機構を構築しておけば良いのではなかろうかとか。筋肉体操的なものでありまして、勝手に動くみたいな。むしろ電気信号で、寝ている間に刺激を加えておくまであるかもしれませんが。
栄養補給は、これはまあ、味はそこそこのものであって、献立を完全に任せてしまうのであれば、そこに資源を割くことがなくなり時間の節約にもなるのではなかろうかなとか、食べる楽しみは何度かに一度とか、贅沢とか趣味の部類で行うようになるわけでございまして、それこそ科学が発達するならば、仮想のそれで満足できるのではなかろうかとか予想するわけでございます。
労働はどうするのであるのかと申しますと、そのような概念はすでに亡くなっているのであろうかなとか、予想するわけでございまして、余計なことをしなければ、自動的に生産が間に合うような機構が構築されている、のであろうかなとか、であるならば、そこで生活しているそれぞれの人格は何をしているのかと言うと、対話のようなものであろうかなとか。
情報のやり取りをすること、それに伴い思考を続けることが主たる目的と申しますか、ある意味お仕事になるのではなかろうかなとか、それは虚構の物語でも良いのでありますし、新たな現実的な発想でもよろしいわけでありますし、全く意味のない、叫び声のような感情の発露でも構わないわけでありまして、ようは信号とか反応とか、無秩序に近い、何かの流れをになっていただければよろしいわけでございまして、極論すれば、ただそこにあれば良い、という状況にまでなる対象もあるのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
そこに意味はあるのかという問いはすでに意味がなく、それを見出すのは他の人格であり、価値は無理やり作るものではなく、平等なそれであるがゆえに、無価値であることに尊さがある、ような、言語化できないような何かを維持したり、発展させたり、もしくは衰退こそ良い道であるとか、混沌とした世界を形作る一部となることが、まあ幸せと呼ばれたりする、かもしれない、現状では奇妙な世界であるように見えるわけでございますが、さて未来ではわかりませんでしょうな。などと、適当にうたってみたところでおしまいです。
「何をやっているのかわからなくなってからが神様なわけです」
「純粋思考体になった生き物がどう振る舞うのかとか胸が熱いですね」
「人知を少なくとも超えなければいけませんから”旦那様”
感情とかが残っている純粋知性体とかはいびつですかね”奥様”」




