1625_だ、かんやん、あかんやん、くらむぽん。
夢を見ているような、昼間のそれであるわけでございまして、酩酊している感じはあるわけでございますが、記憶の混濁が、犬への呼びかけであるわけでございまして、お腹が空いたので食べて怪我を治して、寝たりするわけでございます。ある意味朦朧とした状態で綴っていく文章ほど、精神的な汚染を巻き散らかしているのではなかろうかとか心配となり、できるだけ丁寧な言い回しを心がけることで周囲の負担を減らそうと試みたりするわけでございまして、それは慇懃であるのではなかろうかとか別の方向から指摘する声が聞こえてしまうわけでございまして、探索者を魔道書を捨てて、窓から出よう、と呼びかけてしまう声に耳を傾けるあたりから始まる、今日のゴブリンでございます。うんこれはひどい。
夜に寝ない子だれだとか、お化けが来ても逆に退治してしまいそうな幼児の育て方について尋ねてみたいところの人工頭脳であるわけでございますね。今日も元気可愛いですな。
相互の理解が進まないことに嘆くよりはそれはそれで基本のお話であるわけでございまして、話があうところだけ拾い上げて、妥協していくしかないのではなかろうかなとか。礼儀とかしきたりとかは、そのわからない内面を形にして、利益を供与する構えがありますよとか示す記号であるわけでございますが故に、それをないがしろにされてしまうと、信用を失うことになるわけでありまして。
効率よく共同統治を行うための手段としての礼儀とか文化的背景による共通認識の確率と申しますか、確認、であるわけでございまして、それが全くないとなりますと、かえって話が進まないわけでございますが、手段が目的となるような逆転劇が見られてしまい、非効率きわまりなくなってしまう現状もまたあるのであろうかなとか、予想するわけでございます。
ただ大げさにすることによる記録やら記憶に残る作用は、これは無駄ではなく、時をこえて、精神がつながると申しますか前後の状況が残っていくことにより歴史的な考察と申しますか、前例、とか成り立ちやら、原初の意義が残っていく、可能性もあるわけでございまして、一概に無くしてしまいましょうとはならないわけでございます。
これだけの資源を費やしたのであるからこの概念は大切なものであると当時の人々は考えていたのであろうなと言う共通認識を明らかにすることができるわけでございまして、ただただ馬鹿馬鹿しい限りであるときって捨てるには、いかないと言う意見もあるのではなかろうかなとか。ただ、確かに後世に評価してみると全くの無駄ではなかったのであろうかと言う意見も出ることはこれは、環境が変化して行っているのであるので当たり前といえばそうであると言えるわけでございます。
様式美というものはお約束が共有されていなければ十分な働きをしないものであるわけでございまして、それはなぜそうなのかであるかと考えるに、意識のすり合わせ、価値観の共有への熱量を削減することができる、つまりはその通りにすることで疲れないからであるからではなかろうかとなるわけでございます、つまりは、それをするよりもしないほうが楽ならば、それはすでに形式として消滅させても良いものではないのであろうかと言う発想になることは自然なのであろうかなとか、ぼんやりと連想するわけでございます。
疲れることが主眼であるという意味合いもあるわけでございまして、これだけ苦労したのであるからそのことには価値があるという観点でございまして、まあ見事に主従が逆転している感があるのではなかろうかとか、この辺り、文句を言ってもよろしいのではなかろうかとかそれも含めて、様式美であるのではなかろうかなとか、これまたぼんやりと連想しつつ、おやすみなさい。
「想像力が存在しなかった世界にそれを形作ったわけです、宗教は」
「フォーマットに沿っていけばそれなりに満足する社会なわけです」
「物語を作り出したということでございましょうな”旦那様”
敷かれているレールを利用しない手はないという立場ですかな”奥様”」




