1624_まんとのとのま、秘打。
のろまが転じたものであるとか、そもそも”とん”自体に間抜けの意味があり、状態を表す語であるところの”ま”がくっついたものであるという説があったりするわけでございますが、初出は、19世紀中頃らしく結構新しい造語ではなかろうかとか推測できるわけでございまして、それ以前の古典にこの言い回しが出てきたならば、制作年代を疑う必要があったりなかったりするのであろうかなとかぼんやり想像しながら、始まる今日のゴブリンでございます。例のごとくweb記事を斜め読みしただけでございますので、衒学的に振舞う予定がある方は、一次情報を確認しておくことをお勧めいたします。
とんまというかとんちきに見える行動も、実は首尾一貫している可能性が高いのですよね、お子様は。今日も元気可愛いですな。
とんまのまんとと云う回文的な名称も有名かもしれませんが、意味合い的には、拍子がずれているような感じなのでありましょうか、こう、ま、これが間合いとかの意味合いに聞こえてしまうものでございますから、音楽的な何かを連想するのであろうかなとか、そもそも、とんが、とんとん、と拍子とか太鼓の音を連想させるものでありますから、これはもう調子っぱずれのお囃子とかにしか聞こえないと云う表現に読めてしまうわけでございまして。
そこからさらに連想してしまって、この拍子を微妙に変化させるところに芸術性を見出してしまうようなものがあったりするのであろうかなと、とんちきな表現なはずが、新しい、心地よい、感情を揺さぶるようなものにへと変化してしまっているというものがありそうでございまして。
本体は変化なく、受け取る側やら、時代背景によって、際立ってしまう、対比として感動させてしまうようなものがあるとかはありそうなものであるかなとかも予想するわけでございまして、ある意味、芸術的に評価される”とんま”はあるのではなかろうかなとか、意図として、それは滑稽な笑を目指していたとするならば、それはそれで創作者の敗北となる、可能性もあるわけでございますが、そもそも意図した通りに感情を動かせるかというと、これまた無理な話でございますので、ある意味のちのことは知ったことではない、という精神であったのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
一般に受け入れれた造語であったのではなかろうかなと、その理由としては、よく似た言葉がすでにあり土壌ができていたからであろうかなとか、同じような言葉があるならば、表現があるならば、それを使っていけばよろしいのではなかろうかという反論がございますが、重ねて強調できることやら、短くて口にしやすい、語呂が良いとかの進化した面が強調されてきた、結果だったとも言えるのではなかろうかとか想像できるわけでございます。
ただ、それは現状もさらには未来にも向かって生き延びていくのかどうかと成りますと、これまた、予想が難しい部類の案件となるわけでございまして、現状でもとんまな、と表現されても意味がよくわからない層は確実にいそうではございまして、若いあたりの方々は、そうではなかろうかなとか、特に想像するわけでございますが、偏見かもしれなく、調査を待つべきではなかろうかとか、慎重に検討する話題、ほどでもないであろうかなとか、この辺りは、話の種程度のものであるかとか、予想するわけでございます。
古い時代を舞台にした物語があるならばその当時に流行っていた言葉をそのまま持ってくればよろいいではないでしょうかという発想は結構健全であり、自然な流れであるわけでございますが、雰囲気付けで、持ってきた言語がそれほど古くなかったけれども絶妙に響くとか、こう、わかっていて嘘をつく度胸が必要になる場面もあるのではなかろうかなとか、ぼんやり想像しつつ、おしまいです。
「実質6日で世界を作りましたと言い切る強さとかでしょうか?」
「それはまあ可能性は0とは言えないとはいつも言えるわけですが」
「神様なのですから時間の流れも調整できるのでしょう”旦那様”
現状挙足取りにより使われている言い回しですな”奥様”」




