1605_わんと吠えるならつーすりー♩
三悪は好きでした。お色気担当の方はこうなんとも残念で、頭脳担当の方は、これまたお間抜けで、力担当の方は、こう悲哀がにじみでていると申しますか、お馬鹿なところが可愛らしかったような覚えがございますが、この共通認識がある方は、意外と少ないのではなかろうかなとも予想できるわけでございます。色々と劇中でやらかしておりますので、再放送が難しい題材でもあるのであろうかなとか、予想するわけでございますが、いかがなものでありましょうか。今日も元気なゴブリンでございます、やっておしまいになります。
おもちゃとしてはよくできているのでありますよね、既に骨董品の域ではございますが、大事に使ってくださいね、その上で壊れる分には宿命ですかね?今日も元気可愛いですね。
世代ごとに文化が変節していくことはこれは当然でございまして、昔はできていたことが今はできなくなってしまっているという背景はよくあることでございます。これは規制が進んできたと申しますか、人権が、それも弱い立場のそれが、守られるように制度が変化していったおかげとも言えるわけでございます。
差別的な表現を避けようというお題目は、これは立派なものでありまして、表立って避難する必要はないわけでございます。ただ、それを錦の旗として、振りかざして利益を得ようとすることは、これはまあ、違うのであろうかなとは、予想できるわけでございます、その見極めが難しいであろうなという、ことも含めてでございますが。
言っていることは正しいのであるけれどもその方法が間違って居る、そこに至る理論やら筋道やらが、とんと的外れな方向に向かっていることがままあるのではなかろうかとは観察できるわけでございまして、この辺り、何かに利用されているのではなかろうかなと予想できる次第でございます。
少し考えれば、それは間違っているか、よほど非効率なやり口であることは明白であるはずであると予想できるのに、それに気がつかない、もしくはそのふりをしてまで声高に主張する理由は何があるのであろうかというならば、これはある種のお祭りであり、内容は特に気にしていない、可能性がある、のではなかろうかなとか、予測できるわけでございます。
詰まるところ集まって騒ぐことに正当なお題目が存在すればそれでよろしいわけでございまして、気持ち良く大声を出したいというような、本能的な欲求を満たすために行っている運動である、と見ることもできるのではなかろうかな、と世の中を斜めに見るからが言いそうな文言ではございますな。
将来やら未来やらの環境に不安があるので、どうにかしてほしい、という主張はこれは多いやるべきであり、そこに関心があるので、うまいことをしてくれる方を支持しますよという宣言は、これはそのようにしようとする、動因となるのではなかろうかなと予想するわけでございます。
ただ、そこに正しさがあるのかどうかが、相互の不和、その種にならないかどうかが、問題になりそうでありまして、結果的に良い環境になるのではありますが、その過程で主張していた方々の思惑と違うような動きをした場合に、それは支持されるのであるかどうかでありまして。
また、その理屈を丁寧にわかるように説明したとしても、どれだけの騒いでいる方々が聞いてくれるのかという心配もあるわけでございまして、この辺り、対応する問題によって、ふさわしい担当を揃えることも必要になるのであろうかなとか、ぼんやりと想像したあたりで、ふわふわとしたままおしまいです。
「それは差別ではなく区別であったのでありますよ、というような例もありますね」
「全体の効率化と個人の自由とは相容れない場合もありますからね」
「文化であるか悪習であるかは場合で変わりますしな”旦那様”
幸福になりたいだけという所は一致しているのですがね”奥様”」




