1604_けっとしー、にゃんにゃん、わんわん。
数字の1が並ぶ日付でわんわんわんわんと読ませて犬の日であるという見立てをすることがあるようでございまして、猫の日はでは2並びなのであろうかなとか予想を立てるまでもなく、明確であったりしたりした今日この頃、季節を話題にしたり、日付をとっかかりにした書物などは、経年劣化に弱いのではなかろうかとか連想しつつ始まるゴブリンでございます。
犬ですね。犬でしょうか?多分犬と言っておいた方が安心だとは思いますが、それは飼えないので元の場所にお帰りいただいてください。今日も元気可愛いですね。
人間と犬の歴史は長いという言い方をされることがございますが、便利な道具としての飼い犬という意味合いがございますので、実はあまり動物愛護的にはよろしくないのではなかろうかなとか予想するわけでございますが、それはそれとして大事にしていないわけではないわけでございまして、結果として共存できているならばそれでよろしいのではないでしょうか?などと実利を取る発言をしてみます。
偽善であるとか売名行為であるとか非難する方もおられそうでございますが、実際に行動して助けているのでありますから、対象となる方々にとってはそれはどちらでも良いわけでございまして、むしろ讃えるくらいはいくらでもいたしますのでもっとやってもらいたいとまであるのではなかろうかとか予想するわけでございます。
助けられて嬉しい、助けて評価されて嬉しい、それがめぐりめぐって自分を助けることになると想像できて楽しい、やる気になる、そのどこが悪いのであろうかなとか、そのような意見もありそうではあります。むしろ、感謝の心やら態度がなかったせいで、続けてもらえなくなった方が不利益ではなかろうかとか、予想するわけでございます。
損得を考えないのであるならば、素直に援助やら行為はむしろ受け取っておくべきではなかろうかとか、予想するわけでございますが、何やら矜持というものが邪魔をすることがあるようでございまして、それはそれで実は自立やら自律するための要素が一つにあげられるわけでありますので、大事は大事なわけでございまして、扱いが難しいわけでございます。
助けられなければ存続できず、しかも居なくなってしまうと後々に問題が発生しそうな存在というものは、これは確かにあるのではなかろうかなと、予想するわけでございます。また一方的に助けられる、援助されなければならない何かもそれはそれなりに意味があるわけでございまして、この辺り、環境の調整が難しいのであろうかなとは予想できるわけでございます。
自己肯定感を高めるためにもしくはそれが無いところから有るところまで引き上げるために、一方的な保護対象は役に立っている、と言えるわけでございまして、それをなくそうとする動きには、いくらか反発が生まれることがあるのであろうかなと、依存されることが喜びになっている、快楽になっている関係性が存在するのであろうなと予想するわけでございます。
この辺りも塩梅が難しいのであろうかなと、本来ならば、幼い子供が身近に存在して、それに対して、何らかの働きかけ、援助などを自然に行うことができてきたので、この欲求は自然に満たされていた、のであろうかなと予想するわけでございますが、昨今の事情でその対象とする、無力な子供が身近にいなくなってしまっているわけでございまして、その代償行為の対象として無力な人格が必要になっている、可能性もあるのではなかろうかなと、ぼんやりと予想するわけでございます。
もっともそれを求めていないそれを快楽と認識していない層も一定数存在するわけでございますので、均衡は保たれている、のかもしれないですね、などと適当に言い逃げて見ておしまいです。
「人助けは快楽であると誘導することができるものが宗教でありましょう」
「無償でも有償でも善意には違いがないと知らせることも肝要かと」
「感謝を忘れないという要素は多くの教えにあるようですな”旦那様”
ただほど怖いものはないという反論はありそうですが”奥様”」




