1505_肥後守、鉛筆削、昔の記憶。
そもそも二つ折りの小型の刃物をなぜ肥後守というのかと言いますと、単純に商品名であるからであるわけでございまして、製品としての歴史も百年ちょいくらいとそれほど古いものではないそうでございまして、ただ、安価に作成でき、壊れにくく、姿形に魅力を感じるとか、そもそも簡易に手に入る刃物であるということから収集家もそれなりに存在するそうでございまして、まあ、こじらせるには良い対象であったのであろうかなとかぼんやりと想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
しかしながら幼児には危険でありますので、その手の刃物は手の届かないところにしまうわけでございます。だからそこは開かないようにしているのです。今日も元気可愛いですな。
刃物と申しますか、武器や凶器に興味を示す方はそれなりおられまして、脅威になるものを手元に置いておくことで、影響力が増す、もしくはそれを連想することが愉悦となる感覚があるのであろうかなとか想像するわけでございます。単純に強くなったような気がして安心するというものがあるのであろうかなとも。
それはもちろん錯覚であることも多いわけでございますが、単純に戦力が増している可能性もまた同時にあるわけでございまして、安易な行使に繋がらないように節制する必要はあるのであろうかなと予想するわけでございます。あるから使いたくなるので所持を禁止しようという発想につながるのであろうかなとか、想像するわけでございます。
代償行為としての凶器所持、保管、収集というものもありそうではありまして、想像の範囲だけで使用することで、実際の行為に至らないように工夫しているという感じでありましょうか、一歩か数歩手前の行為まで達しているということが周囲に知れるとまた偏見やらもしくは正しく評価されてしまって、害意を受ける可能性もあるわけでございまして、扱いは慎重にしなければならないわけでございます。
それが好きであるならばなおさら態度には気をつけなければならない、行儀よく生活しなければならないのであろうかなとか、想像するわけでございますが、そのような発想に至らず、もしくは、注意が回らず、または、線引きが上手に行えず、周囲に不安を撒き散らすような、凶事を連想させるような行動をする方もおられるのであろうかなと予想するわけでございます。
となると、規制の波が押し寄せてくるわけでございまして、好きな物を取り上げられてしまうようになるわけでございます。何かを趣味にしている方々を追い詰めるのは周囲ではなく、同好の士であるのであろうかなというお話は、それほど珍しいものではなく、であるから、それらのしつけやら、指導やらは身内でやや厳しいくらいにしておかなければならない場合もあるかもしれないのだろうかなとか、予想するわけでございます。
ただ、それを頭ごなしに強制することによって生まれる反発心、反抗心によって、致命的な何かをする方も発生することは珍しくはなく、つまりは、導くやり方にも技術が必要になるのであろうかなとか、想像するわけでございます。ただその労力は結構大きいものにならざるをえないわけでございまして、怠惰というにはあまりにも可哀想な、徒労にも近い資源の浪費が必要になる場合もあるわけでございます。
反社会的なものを連想させる趣味は下手に市民権を得ようとして行動するよりは、ひっそりと、小規模に、できれば個人で完結するような領域で満足しておくことが、安全度が高くなるのであろうなと予想できるのでありますが、そこと相反する、衝突する、競合する感情とか利益が、承認欲求であるのであろうかなと。それが高い人格には向かない趣味もあるのであろうなとか、ただ上手に周知することで社会に価値を認めさせる、存在することを許容される場合もあるのであろうかなとか、連想を発散させて、おしまいです。
「全体に虐げられ、身内で結束することで生まれる宗教もありましたね」
「否定的でない印象をどう社会に与えるか、の技術は学んだ方が良いでしょうね」
「それに利があると周囲に示して逆転する展開もありますな”旦那様”
深く静かに浸透させるやり口と相性が良さそうですな”奥様”」




