1417_ばんさーん、参照。
記憶を食事内容に連想させて物語として作り上げておく技術は、ありそうなものであるかなとか想像するわけでございます。この物語の中でこの食事をしたという関連付けをすることで記憶を確かにするというかなんというか、単純に一週間前に何を食べたのか、を思い出すことは難しい可能性が高いけれども、旅行先でこれを食べたという記憶は結構、忘れがたい、ようなものであるかなとか何とか、いつもの通りむだ話でございます、ゴブリンです。
初めて食べた何かというものは、深く記憶に残るのであろうか、いいえ、物心つく前だと物語としては残らない、のであろうかなとか、ぼんやりと。はい美味しいですね。今日も元気可愛いです。
もう少し踏み込んで考えてみるならば、記憶術として使用することができるのではなかろうかと、想像するわけでございます。覚えたいものと関連付けて、何か印象的な食事をするわけでございまして、直接的に、食材の名前を覚えるためにそれをそのまま食事にしてしまう、とかはあるのではなかろうかと、この場合、言語系の学習に使用できるのではなかろうかとか。
化学式やら成分表やらを記憶するために、それを思い浮かべながら、それらを調味料にした何かを食するというやり口もありそうではありますが、そもそも実食に向かないそれもありそうでございます、ので、それを連想するようなものを食事内容にするとか、独特の調理をしてみるとかはありそうでございます。
飾りで記憶対象を彫刻するというやり口もありそうでござまして、この場合は、調理の段階からそれをすることで、味だけではなく、体を動かしたことによる記憶の補強も見込まれるのではなかろうかとか想像するわけでございます。素直に食せる塗料とかで、食材に記憶するべき内容を書き込んで、食卓にあげるとかは、やれそうでございます。
迂遠な方法であることは確かではございますが、目先を変えるという点では、一考の余地があるのではなかろうかと、作業量に効果が見合っていないという意見もそれほど間違ってはいないとは予想できるわけでございますが、息抜きを兼ねるということでその不利益を打ち消すことができる、可能性もあるかなとか、予想するわけでございます。
それはそれとして、誰もやっていないだろうから、ちょっと楽しいというものもあるかもしれないとか想像するわけでございます。こう先駆者としての誇りと申しますか、達成感と申しますか、特別感が、自身の何かをくすぐるわけでございまして、自分だけの特別と言う、価値観を得られるという楽しみはありそうでございます。
実際にはすでに知られている手法であったりするわけでございますし、似たような商品はすでにあったり、発送としては物語に使われたりしているわけでございますが。空想上のお話で、食物に覚える内容を転写して、それを食すると、その内容を記憶することができるというものがございますので、まあ、それほど突飛な発送ではなかったのであろうかなと。
辞書を覚えた頁から食べていくという描写も古典的な表現であるわけでございまして、一歩踏み込んで、食べて美味しい辞書とかそのようなものも開発されているのではなかろうかなとか想像するわけでございます。胃には悪そうな気も致しますが、食べきった時の満足感とか、やりきった感覚が調味料として働いたりすると、体重調整にも使用できそうではあります。
食べられる本を販売して、それを利用して、体重調整をするような商売は、普通にありそうでございます。一枚食べると、1日の栄養を均衡的に補うことができる、ような、健康補助食品でありましょうか。それに暗記内容を書き込んでおくわけでございます。
どちらにせよ、食事そのもに集中するべきであるという、考えには相反することになりますので、文化的には受け入れられない地域とかもありそうではあるかなとか、ぼんやり想像しつつおしまいです。
「食べられる聖書とか飢饉時に役立ちそうですね」
「電子辞書だと食べられませんね」
「飢饉が発生する文明レベルでは書籍が貴重すぎる気がしますな”旦那様”
逆に食べると補助脳に記憶を転写できるとか想像できそうですな”奥様”」




