1403_えるしってるか?けーの次そのあとにえむ。
創作物の印象的な台詞が日常会話に使用される頻度というものはどれくらいのものであるのであろうかな、とか、やはり環境に依存するのであろうかな、とか、webで情報が容易に得られるようになった場合、地域差は薄くなるのであろうかな、とか、言語差や文化差があるので一律に考えられるようなものではないな、とか、ぼんやりと連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
子供用の番組を見て真似をしている姿は、微笑ましいわけでありますが、あまり品のないものは控えた方がよろしいのでありましょうかね?大好きそうではありますが。今日も元気可愛いですな。
その場面に相応しい態度やら台詞やら行動をとるための指針として創作物のそれが使用されることは、それほど珍しいことではないのかもしれないと想像するわけでございますが、それはそもそも現実に観察されたものの、抽象化された行為を、劇やら小説やら、漫画やら動画やらにさらに対応するように具現化した表現であるわけでありまして、であるならば、それをそのまま現実に戻すことができる場合もあるのであろうかな、とは予想できるわけでございます。
簡単な記号として使用することもできるであろうかなとは想像できるわけでございまして、双方に共通認識があるならば、鍵となる仕草や言葉で、互いに状況を共有出来る、感情やら、意思やら、意図が、そうできるわけでございまして、対話の効率化が進んでいく、可能性が高いのではなかろうかと予想するわけでございます。
当然、共通に認識できるものが違えばそのような対話の効率化は行われないわけでございまして、であるならば、そのような文化は多く吸収しておけばよろしいのではないかなとか、思考が進むわけでございますが、この場合は、その知識を蓄えるための資源と対話を無駄なく進めることができる資源との比べ合いになるのであろうかなとは、また簡単に予想できるわけでございます。
さらには、似たようではあるものの、現実には違うということもありまして、認識違いとも言えるのでありましょうか、同じ表現をしている、対話が成立しているように見えて、その内情がすれ違っている、場合も当然ありそうでございまして、半端に共通認識がなされているがゆえに、その致命的な違いに、破局が訪れる寸前まで気がつかない、場合もありそうではあるかなとか、予想するわけでございます。
例えに見る内容が違っているということでありまして、つまりは言葉が足りていない状況になることもあるのではないかなとか、むしろ、それが結構多いのではないかなとか予想するわけでございまして、誤解をできるだけ防がなければならないような対話においては、そのような暗黙の了解的な、共通認識を頼りにするようなやり口は控えた方が安全度が高いのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
もちろんそのようなことは常識の範囲内であるわけでございますが、その常識すらもずれている可能性が高いという場合も想定して、意識のすり合わせをしていかなければならない場合もあるのではないかなとか、ぼんやりと想像するわけでございます。自分が見ているものと他人が見ているものが同じものであるかどうかを確認しつつ、話を進めていく必要がある、場合も多いのではないかなとか、普通の発想になるわけでございます。
この辺り、発言する前に、ちょっと文章に起こしてみると結構解決するような問題ではないかなとか予想するわけでございますが、そうすると、速さに劣るということになるわけでございまして、ただ、巧遅が拙速に勝る場面もこれは多いのではとか、そこを見極める必要があるのではとか、まあ、言ったもんがちなところがある対話だと、追いつかなければそもそも勝負にならないのか、とか、あー環境次第ですね、などとお茶を濁しておしまいです。
「沈黙すると負けであるという風潮はありますね」
「ディベートにおいては準備が大切なわけです」
「調べている暇すらないという対話はありそうですな”旦那様”
すべからく準備は大切でありますな”奥様”」




