1401_しり、が人名に使いにく日。
機械を代表するような名前となってしまったので使いにくくなりました、古くは、はる、も微妙であった時期があったりなかったりしたのでしょうかね?非人間的な何かの名称と重なる命名はそれが先にあると、考慮されないことは、知恵が足りない、配慮が足りない、優しさが足りない、と指摘されることになるのかなとか、ぼんやり想像しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
あえて名前を呼ばないことで、尊厳を守る、正気を保つという場合もあるのでありましょうかね?他意はありませんが。今日も元気可愛いですね。
そのようなつもりはなくとも後から意味が追いかけてくることはそれほど珍しくはないのであろうかなと予想できるわけでございます。完全にそれを見越して名付けをすることはこれは不可能に近いわけでございますが、ある程度、忌み詞を避けることで予防することはできるのであろうかなと想像するわけでございます。
品のない言葉と同音なものは避けるという考えもあるわけでございますが、ある程度妥協しなければ、どのようにでもこじつけられる場合もございますので、その名付けの意図を提示しておいて、他者に配慮を求めるやり方が、現実的ではあるのであろうかなとか、予想するわけでございます。
ただ、同じ名前であったとしても、それは個人個人で別の存在であるということは理屈としては知っている方々が多いはずであるわけでございますが、連想することで行われる無駄話においては、その意識はあえて低く見積もられているのであろうかなと。ようは意味のない言葉遊びの延長によって、それを滑稽に扱って遊んでいるのであろうなと予想できるわけでございます。
冗談のつもりである、悪意がない、からこその致命的な間違い。なのであろうかなとか想像できるわけでございます。止める手段がないと申しますか、心意的な制御がかかりにくい場面で行われる差別のようなものであるわけでございまして、そもそもそのあたり何も考えずにただ会話することが主体の、内容はどうでも良い場合における、無自覚の結果として形作られてしまった悪口雑言が、悲しい結果を生む、ように観察されるわけでございます。
陰口はやめようという意見は、つまりは、そのような会話することが主体となる行為において、否定的な物言いは抑制する頭が働かないので、選択肢から外しておきましょう、という自衛の行いを表しているのではないかなとか、想像できるわけでございます。考えずに話しをしている、むしろ深く思考することが目的に沿わない会話をしているわけでございますので、その場面でおいて、自身が不利益をえないようにするには、基本、肯定的な物言いだけをするように心がけるべきであろうという、技術のようなものでありましょうか。
判断をしないようにする会話を成立させる為に、結論を出さないようにするというやり口もあるわけでございまして、その場合には、益体もない、毒にも薬にもならない、本当に無駄な話しをくり返す必要があるわけでございまして、ある意味、同じ内容を繰り返し繰り返し語る老人のような方々は、安全度の高い無駄話の技術を持っている可能性が高いのではないかなとか予想するわけでございます。
一度聞いた話であるからと遮るのではなく、ああ、これは無駄話ですね、会話をしているという体裁が欲しい、精神安定のための、何かであるのでありますね、と、肯定的に受け取っていく必要があるのであろうかなとか、ぼんやりと想像するわけでございます。時間の無駄として切り捨てるのではなく、無駄を楽しむくらいの心持ちで互いに付き合うことが、まあ、悪くない結果を生むのではないかなとか、予想するわけでございます。
悪口を繰り返して言う方々は、まあ、距離を置いた方が良いかとは思いますけど。おしまいです。
「報酬を得て愚痴を聞く商売が宗教なのかもしれませんね」
「あだ名を禁止している学校がほとんどなのですよ」
「不満を誘導する役割でもありそうですな”旦那様”
略称とかはどうしているのでしょうかね?”奥様”」s




