あなたに会いたい、もう一度。
死んだ人に会えますか……
あなたが、真実に心から信じるなら会えるでしょう。
信じるとはどういうことですか……
疑いの無い、例えるなら真っ青で一点の曇りの無い青空のような心です。
そのような境地に凡人の私がなれるでしょうか……
なれるでしょうかと、あなたが訊ねた時に既に、その道は絶たれました。
疑う心は、すべての真実を覆うのです。
お師匠様、わたしに誠の道を授けてくださいませ。
もう一度、あの方と会いたいのです。
会って言い残したことを、すべて打ち明けたい。
突然の天災で私の心の内を明かさないまま、お別れとなりました。
あまりにも悲しく絶えきれず身がもちません。
お師匠様、どうか、わたしに、あの方と話す機会を与えてくださいませ。
わたしが、あなたに与えることができるのは道、そのものではなく道標です。
狭い門を通って入りなさい。
滅びに至る道は広く大きく
その道を選ぶ人は多いからです。
一方、希望の道、即ち救いに至る道は細く狭められており
それを見出だす人は少ないのです。
お師匠様、その希望の道へ進むと死んだ人に会えますか。
会えます。
事物の体制の終結の後、新しい世で
神の千年統治により復活を遂げた死者と再び会えるでしょう。
お待ちなさい………
あなたが師と仰いでいる、その人物がなぜ真実を語っていると……
確信できるのできるのか?。
人は輪廻転生を繰り返す運命にあり。
盲信は、まるで暗闇で灯りをももたず歩くようなもの。
うまい口車に乗せられて洗脳されてはならぬ!。
死んだ者は、現世での努めを終えて、新たな命として再び生まれ変わるもの。
あなたの子としてかもしれん、又は孫、子孫かもしれん。
とにかく、身近かな者として関わりを持つことだろう。
わたしは、だれの話しを信じて進むなら真実の道を歩めるのでしょう。
終わりの日には、偽預言者や救い主が、数多く現れる。
我こそは、救い主と声高に叫ぶ。
賢くありなさい。
いばらに甘い果実は実らないのです。
その人の口から出た言葉と現行をつぶさに見て判断するのです。
光と闇は同居できません。
愛と光と忍耐と絶えず唱えるならば、やがてすべてが明らかにされます。