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カミノギ恋愛戦線

作者: ハロルド

 

 時刻は午前11時を廻り、みそラーメンの美味しいラーメン店は徐々に賑わいが増しつつある。窓際の席に一人ポツリと座る青年、神木裕也は怪訝そうに細めた目を窓の外に向けていた。道路を挟んで向かい側のコンビニに、良く知る女性が自分の知らない男と一緒に入っていく姿を見つけたからだ。

 薄々感づいていた所もある。それをなにをするわけでもなく、そうでなければ良いなぁと、頭の片隅に追いやっていたそのツケが今、こうして自分の目の前に現実として突きつけられている。


「やっぱりそうかぁ……」


 彼女とは付き合って6ヶ月となる。思えば自分とは吊り合わないような魅力的な女性だった。背はスラりと高く、髪が背にかかるほど長いストレートで、日の光りによく映えていた。顔や声、性格までもが完璧な女性だ。対して自分は……。


「…………」


 焦点をずらし、窓に映る自分の顔を見る。流行とは無縁の髪型に重そうな一重まぶたが表情全体を気だるげに見せている。お世辞にも容姿に恵まれているわけではない。彼女が何故自分のような男と付き合っているのかと、常日頃、不思議に思っていたものだった。

 今日は仕事だと聞いていた。だから自分はこうして一人外食しようと思っていたのだが、とんだ場面に出くわしたようだ。他の男と肩を並べて歩く彼女の姿を見て思う。彼女も普通の感性の持ち主だったのだな、と。


「どうしたんだい神木くん? まるで彼女の浮気現場に出くわしたかのような顔じゃないか」


 背後からかけられた声に、神木は溜息と共に肩を落とす。予想外ではあったが、それが良く知る人物の声だったからだ。面倒くさそうな緩慢な動きで振り返ってみれば、予想通りの人物が腰に手を当て仁王立ちしていたため、再び窓の外に視線を戻した。敢えて声をかけるならば、


「お前がスカートを履くとはな。乃木」


「おや、知らなかったのかい? 私の女子力の高さを」


「それは、知らなかったな……」

 

 視線を合わせずして放った一言は、自分で言っておいて呆れるぐらいの生返事だったが、乃木こと、乃木のぎ はるかは満面の笑みを浮かべて、当たり前のようにテーブルを挟んで向かいの席に腰を落とす。


「神木くんこそ、意外だね。こんなところに一人でいるとは」


「ああ、いつも誰かしら一緒だからな」


「いや、神木君は休日中ずっと家に引き籠っているタイプかと思っていたからね」


「ぶっ飛ばされたいのかお前は」


 頬杖を突きながら神木は乃木に向かって苦笑を零す。この会話のテンポは嫌いじゃない。今の心境でなければ、こういう会話を何時間でも続ける事ができただろう。しかし今はそんな気分にはなれないし、乃木もその空気を感じ取っているのだろう。長くはないが、短くもない付き合いだった。

 乃木の笑みから逃れるように視線を変えれば、コンビニから彼女と男が出てくるところだった。買い物袋を持ち上げ、男に向かって屈託の無い笑顔を見せる彼女の姿に、胸がズキリと痛んだ。窓の外を見て黙り込んだ神木の様子に、乃木も釣られて窓の外を見る。


「おや? 悠里ゆうりちゃんじゃないか?」


「ああ、そうだな。まごうことなく悠里だな」


 彼女の名前は悠里。乃木からもそう見えるということは、他人の空似ではないと言うことだろう。


「なるほどねぇ……。また、シャレにならない冗談を言ってしまったようだね、私は」


 気にするな、と短く答えるだけで精一杯なのが本音だった。それ以上の言葉は自分を哀れに見せてしまう気がした。ただただ遠くなる悠里達の背中を目で追い、深く吸った空気をゆっくりと鼻から抜いていく。


「で、どうするんだい?」


 乃木が真剣な表情で問いかける。


「別に、……なにもしない」


 悠里と付き合い始めたその時から、覚悟はしていたことだった。 なにをやっても人目を惹き、目立つ存在だった彼女と、何の取り柄も無く甲斐性も無い自分だ。いずれ彼女には彼女にふさわしい人間が現れることは容易に想像できていた。隣を歩く男は、悠里に似て容姿端麗な長身の男だった。性格も悪そうに見えない。人の良さそうな男は彼女に恋人がいることを知らないのかもしれない。


「本当に? 本当にキミはそれでいいのかい?」


 乃木が珍しく心配そうな表情で話しかけてくる。その表情はレアだな、と心の片隅で思いながら、


「あぁ、大丈夫だ」


 あとはどういう別れ方をするかを考える。こちらから切り出すか、向こうから切り出すか、どちらが後腐れないだろうか。窓から目を逸らし、深く考え込む神木に対し、乃木は神木が手をつけていなかったお冷を勝手に飲みながら納得したように頷く。


「なるほど。では、行こうか」


「どこにだ? 悪いが、ボクの頼んだ〝特選!美髪パスタ〟がまだ来てないんだ」


「何故ラーメン屋のメニューにパスタが!? ラーメン屋に来たらラーメンを食べたらいいだろう!? いや、まぁ、それは良い」


 咳払いを一つ。が、お冷が気管に入ったのか、しばらく咳込んだあと、乃木は涙を目の端に溜めて行った。


「彼女のデートを妨害にだ」


「行かねぇって」


 即答する神木の言葉など聞かず、乃木は神木の腕を引っ張り強引に歩き出す。


「おわ、ちょっと!?」


 席を離れるところでパスタを持った店員と丁度すれ違ったが、乃木の歩みは止まらない。レジ横に千円札を置き、「釣りはいらないよ」と気前の良い言葉で店を後にする。もともと千円だから釣りが出る筈も無い。ずかずかと男の手を引き歩く乃木の姿に、すれ違う人々が奇異の視線を向けるが、乃木が神木の手を離すことはなかった。

 神木が手を引かれるがままにしていると、混雑した人通りの中に悠里と男の背中が見えてきた。


「おい乃木、ボクはこれ以上、彼女に関わるつもりはないんだが」


「興味は無いかい? 私の超視力によれば、彼女の持つビニール袋の中に歯ブラシセットが入っていたよ?」


「…………」


「私の言いたい事がわかるかい? 彼女はそれをあの男のところで使うつもりだよ。そう、…………歯磨きプレイだね!?」


「そんな新ジャンルなプレイはない!」


「うむ、だが、お泊りはする気だろうね」


 乃木の言葉に、神木は閉口するほか無かった。


「手、離せよ」


 いつまでも握ったままの乃木の手を振りほどき、溜息を零す。今日何度目の溜息だろうか。自分の思っている以上の精神的負荷が掛かっていることを自覚する。自覚したうえで。


「……見守るだけだ。妨害はしない」


 うむ、とだけ小さく応えて乃木は早くも追跡モードに入った。必要以上にコソコソし、電柱があれば、必ず電柱の陰に隠れた。逆に目立ってしょうがないが、それにツッコミを入れると乃木がつけ上がる。飽きるまでやらせようと神木は心に決めた。

 神木自身も出来る限り自然を装いながら気配を消した。尾行などした事は無いが、存在感の薄さは自覚している。付かず離れずの距離を保ちつつ、数百メートルの距離を歩く。そろそろ飲食店街に入るところだ、向こうも昼食はまだなのだろうと予想できた。


「む、お店に入るようだ。距離を置いて我々も入ろうか」


 乃木はすっかり探偵かスパイになりきっているようだった。しかし問題がある。


「入ったらばれるんじゃないか? 店だってそんなに広くないだろうし」


 悠里達が入っていったのは全国チェーンのコーヒー店だ。昼食にコーヒー店というのもどうかと思うが、そう言えば彼女はコーヒーが好きだった。


「心配はないよ。これを付けたまえ」


 そう言って乃木がバッグから取り出したのは帽子とウィッグとサングラスだった。何故そんなものがバッグに入っているのか、問いただしたいところでもあるが、


「女の子のバッグは秘密がいっぱいなんだよ?」


 と、鼻声で腹立つ感じの答えが返ってきた。とはいえ、これで問題が解決されるのであれば文句はない。どういうわけか、今日の自分の服装にマッチした組み合わせであり、不自然さも無かった。


「随分と準備が良いな」


「テヘペロっ☆」


 白い口髭を生やした乃木に無言のチョップを入れ、神木達はタイミングを計り入店した。幸い、悠里達は話しに夢中になっているようで、こちらに目を向けることはなかった。スカートを履いた口髭の来店に、店員の笑顔が引き攣る。


「コーヒー、普通サイズで」


「ざっくりし過ぎだろ……」


 店員に改めてドリップコーヒーとチョコレートオランジュ・モカを注文し、悠里達の視線に映らない席を陣取る。流石に話しの内容が聞きとれるほど都合のいいポジションではないが、見張るには丁度いい。なるべく背を向けるように座っているため、監視役は乃木が担当する筈なのだが、


「ねぇねぇねぇねぇねぇ! キミのそれ、すごく美味しそうだね!? 私に一口くれないか? もちろん私のも一口飲んで良い!」


 頼みの乃木は初めて見るチョコレートオランジュ・モカに夢中のようだ。


「一口やるから真面目にやれ。変わった動きはないか?」


 無論、コーヒー店内で変わった動きなどある筈が無い。あるとすれば自分達の方だ。

 口髭にクリームを付けながら満面の笑みを浮かべる乃木。表情は変装によりほとんど隠れているが、解りやすいほどの上機嫌オーラが出ている。あてに出来そうにないと判断した神木は自分の聴覚を後方へと集中させる。断片的ながらも言葉を拾う事ができた。


「――ありがとう。――付き合ってくれて」


「――お前の頼みなら――――さ」


 聞こえてくる親密そうな会話に、自分の心が一気に冷えてくるのがわかる。ドリップコーヒーに映る自分を見る。変装してまで浮気彼女の後を付ける哀れな男が映っている。


「って、僕の飲み物を返せ!」


「うむ、すまん。美味かった」


「過去形か!? 飲み干したのか!? 飲み干したんだな!?」






「次はゲームセンターに入っていくようだね?」


 店を出た神木達は変装をそのままに尾行を続けていた。トランシーバーのようなものを持った乃木が、呆れ顔で隣に立つ神木に報告してくる。


「急いで入ろう、今すぐ入ろう!」


 黙っていれば直ぐにも飛び込んでいきそうな乃木の首根っこを掴まえ、神木は首を振る。

「もういい。ここまで来たら充分わかったよ。今更どうこうできる問題じゃあなかった」

 これ以上は自分の傷を広げるだけだと容易に想像できた。それにある程度覚悟はしていたことだった。


「最近はメールの返信も遅いし、お互いに好きと口に出して言うこともほとんどなくなった。もう、彼女としても、僕に愛想が尽きたんじゃないか」


 もともと彼女と出会ったのは、悠里が元恋人にフラれたばかりの、傷心中の出会いだった。棚ボタ的な流れで付き合いだした関係も、彼女の心の傷が癒えてきたところで必要性が薄れてきたのかもしれない。


「その疑問は答えを出さないと更に辛くなるよ? キミがいつか朝刊の一面を飾る事にならないよう、私が全力でサポートするつもりだ。信用したまえよ?」


 と、言いながら乃木は手近なUFOキャッチャーに百円硬貨を投入した。


「おい」


「ここはゲームセンターだよ? ボーっと立っているだけじゃ不自然さ」


 それに、と乃木が目線で示す。UFOキャッチャーの透明ガラス越しに店内の様子が見てとれる。悠里達も乃木と同じように何らかのゲーム機械に張り付いていた。しばらく離れる事はないだろう。


「む、最近ちまたで徐々に存在感を高めつつある非公認ゆるキャラ〝顔面デストロイヤー〟がなかなか獲れないな!?」


 それはいったいなんのゆるキャラなのだろうか。そんな疑問を持ちつつ、とりあえず自分もゲームに興じるフリをする。気持ちは沈み、何をするにも無気力な状態だが、こうして尾行を続ける事を選んだということは、自分も未練が残っているのだろう。もしくは、独りになりたくないのかもしれない。


「お、いけるか!? いけるのか!? 神木君! 私の為にデストロイヤーを獲ってくれ!」


「やっぱりテメェが欲しいだけじゃねぇか!」


 などと言いつつ、三度目のチャレンジで辛くも顔面デストロイヤーの生首をゲットすることができた(胴体はもげた)。微妙な達成感を引き摺ったまま、神木と乃木は店内に入るとパンチングマシーンが目に入る。どちらともなく首や肩を鳴らす二人は互いに視線を交差させる。


「久々に、やるか?」


「もちろんだとも!」


 注意書きを完全に無視した、乃木の超高度ローリングソバットが打撃対象物を捉える際のスカートの裾に目を奪われつつ、神木は己の闘争心を高める。打ち終わった乃木が硬貨を入れセッティングを済ませるとOKサインを出す。頷き一つで軽いステップに移行した神木の動きは、その場にいるゲームプレイヤー全員の網膜に強烈な記憶として焼きつけられたことだろう。それほどまでに神木の動きは神がかっていた。スムーズな体重移動に体幹からの動力の伝達。肩から肘、肘から拳へ。どれをとってもパーフェクトかつ芸術的な一打が打撃対象物に吸い込まれるように、穿った。

 その当時の事を、両替機の故障対応に追われていた店員はこう語る。


「あれはとても常人の動きではなかった。十年、いや百年に一人の逸材だろう」


 その店のベストスコアを大きく塗り替えた無名の青年は今日、伝説となった。


「……あー、神木くん、達成感に浸っているところ悪いのだが」


 両手を掲げ、硬く目を閉じ微動だにしない神木に、乃木が遠慮がちに話しかける。


「悠里ちゃん達、見失った」


「…………」






 その後は尾行とは言えない、捜索活動を開始した。

 悠里が行きそうなところ、恋人達で賑わうデートスポットを中心に捜して回る。

 行きつけの本屋、自分達が出会った公園に、以前一緒に行こうと約束したクレープ屋。どこを探しても悠里の姿を見つけることは出来なかった。悠里の行動パターンを中心に考えていたが、男が目的地を選定しているのなら、これからの捜索は困難を極めるだろう。


「まったく、そんなに広い町でもないだろうに」


 ソフトクリームのコーンに齧りつきながら乃木が悪態をつく。


「心なしか、楽しそうだがな」


「そんな事はない」


 最後の一口を口に押し込み、手の粉を払い落す。落とした上で手元の腕時計に目を落とす。


「現在時刻は17時15分。良い子は帰宅する時間だね」


 無論、いい大人である神木も悠里も乃木も、帰宅を意識する時間ではないだろう。


「そろそろお前は門限か?」


 冗談めかした神木の問いに、乃木が苦笑をもって返す。


「私が箱入りにみえるかい?」


「箱に収まっているような女じゃないだろう、お前は」


 クツクツと、神木は笑いだす。今日初めての、心からの笑いだったかもしれないと、自分に驚きながら。

 今日は笑えるぐらいタイミングの悪い日だった。

 不安を抱えていた所に彼女の浮気現場に遭遇し、乃木に掴まり、彼女達の親密感を嫌というほどに痛感し、その姿を見失った。変装までして、未練も情けなさも隠しきれないままに迷走した上でこのオチかと、落胆を通り越して笑えてくる。

 この状況は悲劇的ではあるが、かろうじて喜劇として受け取れるのは、隣にいる彼女のおかげだろう。


「ありがとな、乃木。いろいろと気を遣わせた」


 100%とまではいかないが、晴れやかな声で神木は乃木へと微笑みかける。


「どうだい? 失恋の後はバカみたいな事して発散するのもいいだろう?」


 初めから、乃木はそのつもりだったのだろう。己の中の煮え切らない思いを絶ち切る手助けをするつもりで連れ出したのだ。神木は、そんな乃木の存在を有り難く思った。


「ほんと、あの時お前が話しかけてくれて良かったよ。じゃなきゃ僕は朝刊の一面を飾るところだった」


 いいさ、といって乃木はひらひらと手を振る。日の光りがオレンジ色になってきている事に今更ながらに気付いた。


「これからどうする? 捜索や尾行を続けるかい?」


「いや、もう諦めはついたよ。これは、後ろ向きじゃない」


 前に進むための諦め。今度は乃木も引き止めなかった。


「そうか。では、また遊びたい時は誘ってくれ。私ならいつでも付き合うよ」


 スマホを顔横まで掲げてみせ、乃木は踵を返した。本当に、最悪の中の幸運だった。今度パスタでも奢ってやるかと自分も足を進めた所で大きな怒声が聞こえた。

 そう遠くない距離で、それは響いた。帰ろうとしていた乃木も不思議そうに首を回し音の正体を探している。神木も喧騒の中の怒声で動きの止まった通行人の中に、その音の正体を見つけた。そしてその中心に自分の見知った意外な存在も確認できた。


「悠里か? まだあんなところにいたのか」


 目に映る光景を端的に表現するならば、悠里達が絡まれていた。

 それは一昔前の不良ドラマのような、改造の施された学ランに身を包むモヒカンやパンチパーマの少年(?)達が、悠里と男に対し睨みを利かせていた。ヤンキーはマイルド化しているとネット記事で読んだ事があるが、あんな硬派なタイプも生息していたのかと、珍しいものを見たな、という心境にされる。


「おんどりゃあ、おんしら公然でイチャイチャと! 恥を知れぇい!」


 黄色いモヒカンが長身の男を下からすくい上げるように睨んでいる。鼻と鼻がくっつきそうな距離に、男が思わず後ずさる。


「おめぇらみてぇなカッポォが○×△※●!!」


 前歯が無く、滑舌の悪い赤パンチパーマが臭そうな息を悠里に吹きかけながら、後半よく聞きとれない言葉を浴びせかけている。


「…………」


 見逃してしまおうか。一瞬、そんな考えが神木の頭をよぎる。自分にはもう関係の無い女だ。そう思い、思ったところでその言葉の意味が胸に突き刺さる。


「行くのかい?」


 気付けば近くにいた乃木が背後に立っていた。乃木は神木の背に手を置き、言う。


「目の前の困った人間を見捨てる事が出来ない。それがキミの魅力だろう? それが好きな人間なら尚更ね」


 そう言って、乃木が神木の背を押した。押し出され、三歩目からは自分の足で歩いた。心の中の迷いはどこかに消えてしまった。サングラスや帽子、ウィッグを剥ぎ取り背後に放る。多分、自分の恋は終わっているのだろう、それでも悠里を好く気持ちは終わっていない。彼女の涙が流される事を、


(僕は、看過できない!)


 神木は男とモヒカンの間に無音で身体を捻じ込み、跳ね上げた肘がモヒカンの顎を砕いた。






 近くの喧騒を、どこか遠くに感じながら乃木は一人立っている。

 その顔にはなにも映らない。不本意なB級映画を観ているような、そんな無機質な表情が浮かんでいるのだ。


「いいんですかい? 背中なんか押しちゃって」


 背後から掛かった声は、声帯の潰れたようなしゃがれ声だ。普通の人間なら飛び上がるほどにドスの利いた、強面ボイスだが、乃木の反応は薄かった。


「……反田か。私は自分の行動に責任を持っている。後悔などした事はないよ」


 そういう乃木の声は沈んでいる。反田と呼ばれた深い反り込みの入った改造学ランの男は、なにも言わず乃木の脇に立つ。その事に乃木は何のリアクションも示さない。

 ただ、独り言のような呟きを漏らす。


「落ち込んで諦めて、消せない思いに焦がれて走り出す。まったくもって主人公気質だね、キミは」


「それはあねさんも同じじゃないですかねぇ」


 呆れたように呟く男に、乃木は苦笑を零す。


「そう言ってくれるな。そうだな、今日はバカみたいな事をして発散したい気分だよ。堪治かんじ羽間はまには早々に退却するようにサインを出しておくれ。神木くんとまともにやり合うと怪我をしてしまうぞ」


 ハ、と威勢のいい返事が返ったところで、乃木は再び歩みを進める。後ろから反田が続く。


「姐さん、これを」


 反田が取り出したのは札束でも入っているかのような厚みを持った封筒だ、無論中身は札束ではない。乃木は短い礼の言葉でそれを受け取り封を切る。

 そこには今日一日のデートの軌跡が写真として残っていた。コーヒー店でのおしゃべりやゲームセンターでのUFOキャッチャーに興じる二人、パンチングマシーンのローリングソバットの部分を撮ったヤツは後で張り倒しておこう。沢山の店を廻り、ソフトクリームやクレープを食べた。写真を見つめる自分の手に力がこもる。そして遠くに作り物の怒声を聞く。その中の一人だけ真剣な声を上げる青年に対し、乃木は告げる。誰にも聞こえぬ、自分だけの告白を。


「頑張ってくれたまえよ。私はいつでもキミを想っている」








「ゆうちゃん! 誕生日おめでとー♪」


 パーンパーンと、続けざまにクラッカーが弾け、神木裕也は大いに動揺した。


「う、うぇぇぇ!?」


 目を白黒させると同時に沢山のフラッシュを焚かれ、更に目の前がシパシパした。

 神木と悠里と長身男、三人の気まずい帰宅は無言のまま行われ、悠里の家の前で今日は家に上がっていってほしいとお願いされた。自分はてっきりそこで別れ話を切り出されるものと思っていた。

 しかし、実際は、


「どうも、悠里の兄です」


「ええええええ!?」     


 今まで沈黙を守っていた長身男が衝撃の事実を吐露し、ドアを開けた瞬間クラッカーとフラッシュの嵐だ。待ち受けていたのは自分や悠里の知人達で、事態が呑み込めない神木が茫然と立ち尽くす構図となっている。


「はい! その驚き顔いただきました!」


 パシャリ。

 バズーカみたいな長いレンズを手で押し退け、神木は混乱した頭を抱える。


「ちょ、ちょっと待って! こちらの長身のお義兄様が悠里のお兄様!? え、誕生日!?」


 スマホの待ち受けを確認すると日付は確かに自分の誕生日だ。そもそも自分の誕生日に悠里が仕事だと言っていなくなるから、自分は一人不貞腐れてラーメンを食べに行ったのだ。それも含めて悠里が仕込んだサプライズだったとするならば、自分のあの焦燥は何だったのだろう。愕然と腰が抜ける感覚に身を任す。玄関で座り込んだ自分の姿に、多くの笑い声が重なる。そして自分の目の前に悠里がリボン付きの箱を差し出してきた。


「はい、これ、ゆうちゃんに誕生日プレゼント」


「あ、ありがと」


 なんとか返事をして受け取る事が出来たが、未だにショックから抜けだす事が出来ない。


「ごめんね、今まで一人で頑張って探してたんだけど」


 悠里が申し訳なさそうに身体を縮めた。最近メールの返信が遅かったのはそういうことだったのだろう。


「結局私一人じゃ決まらなくて、乃木さんに相談したら同じ男の人に選んでもらえって、アドバイスくれて、それで今日お兄ちゃんと探しに行ってたんだ」


 なるほど、それでこの二人の珍道中というわけか。と、妙に納得してしまう神木であるが、少しだけ疑問が残る。


「え、乃木? 乃木に相談したの? ちなみに、乃木にはいつ誰と買い物に行くかとか、話した?」


 神木の問いに悠里は目をパチパチさせながら首を傾げた。


「教えたけど?」


「そ、そうか」


 それはつまり、乃木は全てを知ったうえであんな探偵紛いの事をしたのだ。変装道具など用意周到なわけだ。

 ふ、ふふ、と、黒い笑みがこみ上げる。

 神木は身を逸らし、力の限り叫ぶ。天を衝くような絶叫だった。




「乃木ぃぃぃぃぃ!!!! 知ってたんじゃねぇかぁぁぁぁぁあ!!!!」



過去作ですが、話しのテンポがお気に入り。


ちょうどリアルで彼女にフラれた直後に書きました。


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