烈火のシルビア
シルビア=レイ=クラウド。
後に烈火のシルビアと呼ばれる私は、帝国随一の伯爵クラウド家の娘として生を受けました。
クラウド家は代々優秀な魔道師を輩出する家でもあり、その当主てあったお父様は勿論ながら、嫁がれたお母様も優秀な魔術師でした。そんな両親を持った私も当然の様に魔法の才能も、強大な魔力も持っていたのはある意味当たり前だったのでしょう。
そんな両親共に優秀な魔術師だということもあり、幼い頃から魔法と私はごく身近なものでした。
お母様から見せて貰った風の魔法は、手の平に散らばる花弁をくるくると回していました。その様子は花がダンスをしているみたいだと心が躍りました。
お父様から見せて貰った土の魔法は、なんてことのない土がウサギやリスの姿に変えるものでした。余りにも可愛らしいその姿に目を輝かせて、もう一度もう一度と何度もおねだりしたのを今でも覚えています。
そんな二人を見ていると私も魔法が使ってみたくなりました。きっと唯の子供なら何も出来なかったのでしょう。でも年に釣り合わない魔力と、魔力の流れの見えてしまう特殊なこの目と、後に鬼才とさえ言われた魔法への天才的な才能ゆえに私は魔法を使ってしまったのです。
ある日、何時もように庭で侍女に手を引かれ散歩している時、お母様が風の魔法で回してみせる花弁が空中にふわふわ舞っているのを見て、真似ようと夢中に魔法を放ちました。でも手から溢れた魔法はお母様の風でもお父様の土でも、まして後に憎み羨む彼女の水でもありませんでした。
手から溢れた熱をも感じない真っ赤な炎に呆然としました。思い描いたものとは異なる事象に立ちつくす私に、少し遅れて劈く悲鳴が耳を差したのです。繋いだ手の先には真っ赤な火に埋もれた侍女の姿がありました。強く振り払われた手に、小さな私は投げ出され、地面に強かに打ちつけられそのまま意識を失いました。
その後の事は何も知りません。不幸中の幸いと言っていいのかは分かりませんが、侍女の手に振り払われ意識を失ったおかげで魔力の供給が途絶え火は消えたそうです。ですが手を繋いでた侍女は二度と私の前には姿を現すことはありませんでした。無残に燃え尽きた花と真黒に焦げた土は私の知らぬ内に元に戻り、いなくなった侍女の代わりに新しい侍女が一人増え、まるで何事もなかったように日常に戻っていきました。でもその中で私だけが日常に戻ることができませんでした。
私は火が怖くなり魔法が嫌いになりました。私を幸せにした二人とは違う恐ろしい魔法を使う自分が恐ろしかったのです。塞ぎこむ私を心配した両親は、ある魔法をかけてくれました。
魔法が使えなくなる魔法を。
その日から私は前と同じ様に笑えるようになりました。きらきらと輝く世界に帰ってこれたのです。ただ、あんなに輝いていた魔法を除いて。
それから暫く経って、お仕事から帰ってきたお父様にお城にいる皇子と友達にならないかと言われました。友達なんていたことのなかった私は二つ返事で受け入れると、次の日にお父様に連れられ王宮の奥にある場所へと向かいました。ただ、限られた者しか入れない場所らしく、お父様は立ち入ることが出来ない様でした。お父様と別れ、恭しく礼をする従者に連れられるがままに奥へと足を踏み入れたのです。
奥の扉を一歩足を踏み入れるとそこはお伽話のように美しい場所で、何もかも白で統一されていました。
ここでお待ちください。そう私を座らせるとどこかに行ってしまった従者の言葉に、暫くじっと我慢していました。が、少し経つと退屈になった幼い私は庭に続くガラス扉をそっと開けました。
扉の向こうは足元から誘うように伸びる煉瓦の道に、迷路のように続く緑の壁がたっていました。
一体向こうに何があるのかと好奇心を擽られ、ここに来た目的すら忘れて駈け出していました。奥へ奥へと誘われるように歩いていた私は、ひっそりと佇むように置かれた緑に包まれた机と二つの椅子に目を奪われました。隠れ家のような私だけの場所を見つけた心地で、うっとりとしていると背後からの微かな物音に振り向きました。
そこには、色素の薄い肌に青い瞳、金に輝く髪の少年が立っていました。
初めて貴方を見た時、胸がどきどきと高鳴ったのを今でも覚えています。ですが、初恋と呼ぶには眩し過ぎて、敬愛と呼ぶにはまだ幼すぎました。
愛しておりました。いえ、愛しております。
今ではもう叶わないと知っても、この時からずっと貴方のお傍にいたいと願っておりました。
それから、あの方の友達という立場を手に入れた私はお城に入り浸り、机を並べて勉強することも少なくありませんでした。
そんな私たちが7つになった頃。その時、この帝国を治めておられるのはあの方の御母上様である皇后様で、もう長い間王国と争っておられました。皇帝であられたあの方の御父上様もそのまた御父上様も、更にそのまた御父上様も王国との争いで命を落とされたと聞きます。
その皇后様の命により、一時停戦の間に戦場となった町の視察と激励の為に向かうことになりました。
戦時中とは分かってはいました。ですが、周りがあまりに平和過ぎる所為か、私は貴方との突然の遠出に浮かれるばかりでした。今から思えば、この事が私と貴方を変えるきっかけだったのでしょう。
馬車に揺られる事数日。へとへとになっているのを隠し、在住の騎士長に町の案内を兼ねた現状説明を受けていました。その有様は酷いもので、平和ぼけした頭を横殴りされたような衝撃を受けました。
今だ片付ける見込みすらない瓦礫の山に、焼けて荒れた大地。敵か味方かも分からない焼けた死体の山に、親を亡くした戦争孤児の子供があちこちで泣くことすら忘れて座り込む姿。肢体のいずれかを失い看護すら受けれずに地べたに横たわり呻く人に、それらを一瞥してただ無表情に片付ける騎士。
あまりにも私の知る現実とは違う現実が、同じ国の中で広がっていることを思い知らされました。現状報告というからには何かしらの説明を受けていた筈ですが、正直どんな話がされたかは覚えていません。ただ、胃からこみ上げる酸っぱい液体を、なけなしの矜恃で必死に堪えるので精一杯でした。その日は疲労もあるだろうとの騎士長の配慮の元、一通り町を回ると終わりました。
やっとのこと用意された部屋に着いた時、緊張が解れたのか堪えていた胃酸が込み上がってくるのを感じ咄嗟に口元を抑え、トイレに駆け込み難を凌ぎました。胃の中が空っぽになるまで吐いて少し落ち着くと、食事を取る気にもなれず、湯浴みを済ますと全てを忘れる為にベッドに向かいました。
翌日。午前中に看護施設となった町役所を周り、休憩がてら昼食を取ると、今度は町の外れの主な戦場となった場所を回ることになりました。
町外れのかつて荒野だった場所は一面が黒に焼き焦げていました。その光景が何処か私の中で眠る罪を浮き彫りにされるような気がして、震える手をぎゅっと握り締めなければ何かが溢れそうで恐ろしくてたまりませんでした。
見えない何かに怯える私の目の前を横切ったのは、子供を抱えた女性の姿でした。
騎士によるとあの女性は仲間の内の奥さんだったそうで、騎士だった旦那さんが亡くなったことが信じられずその亡骸を探してるとのことでした。抱えた子供は今年生まれたばかりの初めての子供で、幸せな夫婦を不幸へと突き落とす戦争に酷く心が痛みました。
戦争がなければ、誰も悲しい思いをしなくてすむのに。
そう、誰かが叶えてくれることを願いながら去ろうとした時、あの親子の影からキラリと光る何かを見つけ咄嗟に叫びました。
誰かを救う力も無ければ、戦争を止める術も知らない。
恐怖を乗り越える努力もしようとしなければ、酷い現実を知ろうとしなかった。
あの町の惨状を見ても、まだ何処か他人事で他人任せだった私に、まるで現実を突き付けるように起きた悲劇。
親子へ迫り来る刃へと伸ばした手に集まる熱は熱いのに、この時ばかりは求めたあの忌まわしい炎の欠片すらなく、無惨にも切り捨てられるのを呆然と眺めているしかありませんでした。
目の前で起こったにも関わらずどうすることも出来なかった自分の無力さに打ちのめされている間にも、敵は迫り来ていました。やっと我に返った時には、既に目前へと迫った敵兵に固まることしか出来なかった私。そんな愚かな子供を身を呈して庇ったのはあの親子を悲しい目で見つめながら、話をしてくれた騎士でした。
一瞬にして真っ赤に染まった視界。それ以降の記憶は朧げで、そのぼんやりとした記憶の中であの敵兵は残党だったらしくあの後処したそうだ、ということだけはどことなく覚えています。
もし、私が魔法を使えていたら、あの親子は生きていたかもしれません。
もし、私が火を克服していたら、あの兵士は私を庇って死ぬようなことは無かったのかもしれません。
数え切れない程の後悔の中で、火と魔法、そして戦争が私の嫌いなものに加わりました。ですが、この三つが私の生涯ついて回るものとなることとはまだ思ってもいませんでした。
* * *
開戦を告げる鬨の声。もう何百回、何千回聞いたのか覚えていません。
これから自分のすることを思えば、胸を焼く罪が深くのし掛かってくるのです。それでも歩みを止めないのは、これが私に出来る戦争を永遠に止める方法だと信じていること、他なりません。
今日もまた熱のない炎が敵兵の命を奪う。そう振りかざした手の先に見えたのは、羨み焦がれた赤を消し去る美しい青でした。
私は彼女が嫌いでした。私の欲しかったものを持っていた彼女が、私の大切なものを攫っていく彼女が、ただ憎くて妬ましくてたまりませんでした。
綺麗事を言っては叶え、全てを救おうとする彼女の歪さに憎悪さえ覚えました。剰え、最たる敵である私にすら救いの手を差し伸べる始末。
でも、何処かでわかっていたのかもしれません。破壊の先に平和などありはしないのだと。救いの先にこそ戦争を止める鍵になりうるのだと。
それでも納得がいかなかったのは、ただ彼女と私の違いが持ち得た力の違い、たったそれだけだったからでしょう。
破壊の炎と癒しの水。
私の力が水であれば。そんな、もしもの話を何度考え尽くしたかわかりません。それなのに、それを持ち得た姿を見せつけられては、恨まずにいられる筈もありませんでした。
それと同時に、私も目指した平和が来るかもしれないと、彼女の歩む未来の先に平和な世界を見てしまったの事実でした。
ですが、その平和へと近づくにつれ、歪な未来を見つけたのはそう遅くはありませんでした。
彼女の導く平和な世界は、所詮、楔である彼女なしには成り立たぬ仮初めの平和だったということ。そして、その世界には戦争の火種となりかねない不穏分子である私は、いてはならぬ存在だったということ。
その時、私は悩みました。今まで通り全てを抗い永久の平和を目指すのか、私が悪役となり仮初めの平和を与えるのか。
そんな簡単に自分が死ぬことを選べるわけもなく、始めは抗うことを考えていました。ですが、彼女の元で笑う貴方を見て、私は負けを認めてしまったのです。何よりも得がたかった貴方の微笑みを取り戻した彼女に。
結局の所、見知らぬ誰かではなく、他ならない貴方の幸せな未来を求めていた事実に、私自身が気付いてしまったのです。
全てが遅かったのかもしれません。こんなことを言うと言い訳がましいと思われるかもしれません。ですが、愛しておりました。いえ、愛しております。
今ではもう叶わないと知っても、そっと微笑まれる貴方の隣でこの先ずっと生きていきたいと願っておりました。
この手紙は貴方の元に届くことは恐らくないでしょう。それでも書いたのは、私は引き返すことの出来ない選択を選ぶことを決めたからです。
きっと彼女は、私すらも救おうとするのでしょう。ですが、私は救われるつもりはありません。これが全てを救おうとする彼女への唯一の抵抗であり、この手で奪った者たちへせめての報いだと思っています。
私は、烈火のシルビア。世界を火の海に沈めた倒さねばならぬ希代の悪として、最期を迎えましょう。それが例え、仮初めの平和のためだとしても、貴方の生が幸せなものであることをお祈りしております。
乙女ゲームの悪役サイドのストーリーを書いてみました。
烈火のシルビアは王国にいる主人公に立ちはだかる敵であり、敵国(帝国)の攻略キャラである若き皇帝(後の賢帝)の幼馴染という立ち位置です。
まとまり次第、賢帝(攻略対象キャラ)と主人公のサイドをそれぞれ投稿しようと思います。