陰陽九十九手と虚空上人の過去
虚空上人の過去が少しだけ明らかになります。
一の型は桜花掌、二の型は遊影脚、三の型は静林觀という風に、
型ごとに名前が付いていた。
桜花掌は、桜が乱れ咲く様をヒントに師匠が編み出した掌法らしい。
これは師匠の技の基本となるもので、初見の相手に対して、
その力量をはかる為にも有効らしかった。
「木は不動にしてたゆたう風を流すが如く」
師匠の口訣に合わせて型を取る。
右足を軸にしてどっしりと構える。
不動ながら、手足は自由に動かせるようにした状態を指すらしい。
「蕾は開花を待ち侘び悠然と時を過ごす」
手を蕾に見たてた形にして、ゆったりと人型をなぞるように
交差させながら周回させようとするが、どうにもぎこちない。
「どうした?それでは桜木が揺れすぎて蕾のまま落ちてしまうぞい!」
それから三百回近く繰り返すがなかなか上手く行かず、
呆れた師匠にダメ出しをされてしまう。
(すぐに出来たら誰でも神様に慣れるに違いない)
そう頭の中で自分に言い聞かせて、口訣通りに出来るようになるまで、
その日からは寝る間も惜しんで、何度も何度も同じ動作を繰り返した。
……それからおよそ1年後に、虛雲は桜花掌を会得したのだった。
-開花は刹那にして風をも支配す、時を経て後、散花して地に返る
「うむ。虛雲よ、桜花掌は様になってきたな。このまま修行を怠るでないぞ?」
「師匠のおかげです!ありがとうございます。毎日精進致します。」
「良い心掛けじゃ、では次の型じゃ!」
……こうして、虚空上人と虛雲の修行は毎日続き、
武に聡い者たちの世界、武林と呼ばれるにおいて最強とも名高い
「陰陽九十九手」のうち、陽に区別される四十九手、七つの型を虛雲は会得した。
一の型に全ての基本となる掌法「桜花掌」
二の型に相手の影で遊ぶかのように姿を捉えさせない脚技「遊影脚」
三の型に周囲の気配を五感以上に鋭く内気で感じることが出来る操気術「静林觀」
四の型に点穴法と呼ばれる身体の状態を支配できる打突技「止水突」
五の型に様々な得物に対応し舞いながら防御できる舞闘技「空炎舞」
六の型に内気を拳や爪先などに集中させ飛躍的に破壊力を上げる剛拳「雷雲拳」
七の型に刀剣を用いた絶技「蒼月界」
この七つの型を会得した頃には、虛雲は17歳になっていた。
師匠との組手も十分に相手が務まるようになった。
虛雲は知る由もないが、以前は武林の頂点と呼ばれ「陰陽九十九手」を使い、
誰一人として土を着けることが叶わなかった生きる伝説、
虚空上人の技を半分ではあるが、伝授された正真正銘の直弟子が誕生したのである。
虚空上人は若かりし頃、己の武芸を高めるだけではなく、
自身で会得した秘訣を希望者に伝えることを厭わなかった。
虚空上人の本名は張雲志という。
大陸では有名な門派である陰陽山月流に所属していたのだが、
自身が次期筆頭と見られていたしがらみを嫌い、
陰陽山月流の師匠だった楊鉄生の実子で、弟弟子にあたる楊鉄山を次期筆頭に推挙して、
自身は門派を離れて旅立ち、見聞を広めつつ修行する道を選んだのだった。
当たり前なのだが、自身の跡を継がせようとしていた楊鉄生は激怒して、
陰陽山月流からの破門を武林中に広めた。
雲志は、陰陽山月流とのしがらみがなくなるように気を遣ってくれた、
破門は最後の師匠からの贈り物と捉えた。
そうこうして幾年かの修行に明け暮れたのち、
当時、武林最強と謳われていた「風光流剣」の異名を持つ剣法の達人、
岳秋白に勝ったことがきっかけで、雲志は一気にその名が知れ渡った。
岳秋白…現在の武林において、「風裂剣」の異名を持つ剣法の達人、
岳独湖の父にあたる人物だ。
風光の流れのように速いという剣法の上には誰も比類する者がおらず、
その剣は相手がおらず虚しく空を斬るのみということから「虚空」、
人に技を教えるのに弟子とせず、友人と振る舞う寛大さから「上人」、
これらを合わせて、いつしか本名ではなく「虚空上人」と呼ばれる様になった。
しかしながら、その噂が噂を呼び、教えを乞いに来る若者が後を立たず、
虚空上人は最初のうちは辟易しながらも教え続けていたのだが、
とある事件をきっかけに、ぷっつりと武林から姿を消してしまう。
父を誰より尊敬していた岳独湖の策略により、盗賊が兵士に化け、
虚空上人から教わった技で次々に商人や、役所を襲う事件が多発したのだ。
この事件が頻発したことにより虚空上人は、理由はどうあれ
盗賊や山賊など許されざる犯罪者へ技の手ほどきを行っていたと、
誤解ではあるのだが、世間で噂されるようになってしまい、
その噂は瞬く間に国中を駆け巡った。
当然、役所も放置は出来ず、犯罪の片棒を担いだとして虚空上人を逮捕した。
誤解ではあるが犯罪に自身の技が使われてしまった。
もっとも一手のみの簡単な掌法ではあったのだが、逮捕される時にも、
気が塞ぎ込んだ虚空上人は何の抵抗も言い訳もしなかった。
この虚空上人の態度も不味かった。
全く言い訳もしないので、虚空上人を助けたい人も少なからずいたのだが、
岳独湖の根回しに押される形で、裁判にて死刑が宣告されてしまう。
牢屋で処刑を待つ日々を送っていた時に何かが切れた。
虚ろな瞳に蒼い光を宿した虚空上人は呟く。
「ああ、自分は一人になればいい。霊峰山に篭ろう。人とはもう関わらないようにしよう。ただ、その前にケジメをつけないとな。教えを授けた者たちを全員始末しよう。誰が犯人か分からないのだから、仕方ない。その罪も背負おう。」
決意した虚空上人は、そのまま牢屋を抜け出した。
武術の達人からすると、鎖も藁も変わりなかった。
まるで藁をむしるように鎖を裂き、牢屋の扉は掌法で粉々にしてしまった。
「うーん。牢屋の番人には罪はないな。」
唖然とする番人に無言で手を差し伸べ、腕と首に枷られた輪の鍵を受け取る。
自由になった虚空上人は、番人から裁判の真実を聞き出す。
「本当にくだらないな。武林最強が奪われた腹いせだと?
復讐するのもバカバカしいな。あの岳の息子か。
まだ幼い癖に悪知恵を働かせるとは、将来が末恐ろしいな。
よし、真実はわかったし、皆殺しも面倒だ。世間を操り、意趣返しするかな。」
虚空上人は役所の壁に朱墨でメッセージを残す。
-我は虚空上人と呼ばれるもの、名は既に捨てた
-我が技が犯罪に使われ、非常に憤慨している
-犯人が誰か分からぬ為、明日から手ほどきした者を一人ずつ殺す
-今回の首謀者が自ら名乗りを挙げるまで続ける
-自身が教えを受け、掌法に取り入れた風光流剣を持って行う
-役所に名乗り出れば止めよう
-まずは裁判にて私に教えを乞うた裁判官を屠る
-我は蒼月とともに現れる 夢夢忘れる事なかれ
明らかに岳独湖に向けたメッセージである。
そもそも風光流剣は岳秋白が使っている剣であり、
常識では教えを乞わない限り、同じ剣法が使えるはずがない。
しかし、実際に使うことができ、この剣法を使って人を殺めれば、
岳秋白を貶めることが出来る。
だが、虚空上人はあらゆる武芸を取り入れており、
世間には知られていないが、一度見た技は使うことが出来た。
まずその夜のうちに、賄賂で自身の死刑判決を下した裁判官を見つけ出し、
風光流剣の風流斬で仕留めた。その場に「一人」と朱墨で書いたメッセージを残す。
「これで良い。まぁ自分の仕出かした行為を悔い、自身が狙われていることを知り、怯えるがいい。自ら名乗り出るなら、生命までは取るまい。」
だが、一向に名乗り出る気配はなかった。
岳独湖の策略に加担し、技を乞いに来ていた連中を毎日殺めた。
ある者は怯え、ある者は達人に助けを求めたのだが、無駄だった。
武林最強、比類なき強さの前に誰一人として助からなかった。
その数は既に30人を超えており、記憶にある顔は全てこの世から消し去ったのだ。
一方、世間でも虚空上人に教えを受けた人は皆殺しになるという噂が流れた。
その頃には、気が触れた化け物と、武林のみならず世間の人々からも恐れられていた。
「まぁ悪事を働いた者は、岳独湖を除けば全て断罪したしな。岳独湖も、恐怖に慄く日々を送っているだろうし、そろそろ霊峰山に篭るか。」
そう考えると、虚空上人は飛ぶように霊峰山へ向かった。
世間と関わるのは、本当にこりごりになったので、
立ち寄った茶屋毎にそれぞれ同じ伝言を残す。
-我は虚空上人、霊峰山に座す。生命が惜しくば近寄るな!
すぐにまた噂は世間に広く知れ渡り、虚空上人が、
霊峰山に篭ったことを知ると、誰もがほっとしたのだった。
命が惜しければ霊峰山に近づくな!
いつしかそれが泣く子も黙る常識となった。
事件のきっかけを作った岳独湖は、メッセージを読むや震え上がり、
技を授かった者が僅かの期間で皆殺しになった旨も聞き及び、逃げ出した。
父の有名により財は潤っていたので、遠く南の地に移住し、
誰も追ってこないであろう山中にこもり、恐怖を押し殺す為に修行に励んだ。
いつしか武林一の剣法の使い手となったが、虚空上人の生死も不明な為、
今では虚空上人の名前を聞いても動じることはなくなっていた。
それだけ武芸を極めた自信もあった。
虚空上人は昔を思い出しながら、虚雲を見る。
(そろそろ旅をさせる時期かの。人にまみれればまた自分とは違った道も見えよう)
密かに決意を固めたことを悟られぬ様、その日の修行はいつも通りに終えられた。
虚雲、17歳ーーーーいよいよ旅が始まる。
いよいよ旅立ちです!




