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 時間を無駄にすることを嫌う彼女らしくテキパキと指示が飛ぶ。その最中、バサラが自分の心臓の上部、鎖骨の辺りを指でコンコンと叩いて、ハンター手話で頼む短くと伝えてきた。なんのお呪いだろうかと考える時間はない。その必要もないことだと思った。彼女は背中の妖刀ではなく腰にある愛用の刀で戦うつもりだ。

 改めて巨人を観察する。

 鎧に見えるが、風に舞う天衣も阿形の面も、沓ですらこいつの肉体である。

 生半可な斬撃が通じるようなものではない。ならば、鎧の繋ぎ目にあたる関節部分への殺傷が常道である。バサラもそれを試みて失敗したのだろう。そもそも、槍ではそれは不向きだった。剣で挑んでいたならば結果は違っていただろうが、あの男は自身が求める武に拘りすぎる。それが今の高みにまで彼を引き上げたのだとしても、強力な敵と戦うのならばそれに合わせた戦術をとらなければならない。レイアは自分の気持ちを整理する為に口を開いた。

「人の魂に身を委ねた神ね。そんな半端な力で何ができるの?なにをしたいの?ただイタズラに世間を混乱させるだけよ。十年前にあんたの同族が証明してくれたじゃない。ラグナロクは……未遂だったわ。『高天の原』が完全には降りてこなかったから。たった一握りの人間に阻止されるような力しか持たない分際で、世界をどうこうしようなんて言うな!神?神ですって!はっ!丁度良いわ!あんたには言いたいことが山ほどあるのよ。十年の間に溜まった鬱憤晴らさせてもらうわよ!」

 聞くに堪えぬ罵詈雑言とはこのことだろう。

 その意味の半分程度しか理解できなかったエルドレッドはそれでも耳を塞ぎたくなったし、ショコラは自分の絶対領域が弱くなっていくのを実感していた。戦いの終局に至り、こんな子供じみた口喧嘩など。

「人間が世界を支配できないというのであれば神の力で一時的に統合し、神という不純なものを否定するしかないではないか!その上で人間の立場で絶対者として世界を……」

「つまり自分が支配したいだけでしょ!それをするなとは言わないわ。でも、あんたが選んだ手段は間違っている!神なんていっても所詮はこの全宇宙、全空間の至る所にでもいて、その中の限定された領域を管轄としているだけの、いわば中間管理職でしょ!汗水流して現場を走り回っている係長や課長たちと変わらないでしょ!それでも、あんたなんかより立派に生きているわ」

「その立派な者達が何をしたのかしっているのか?大戦中にただ敵を滅ぼす為に落とされた核という兵器。あんな物を生み出してしまう愚かな人類は管理されなければならんのだ!」

 悲痛さを伴い訴えかけるファロン。彼の言いたいことはレイアも少し理解できた。彼女の母親は核爆弾によって被爆したことが原因とみられる症状を発病し亡くなったのだから。彼も誰か親しい人を失ったのだろうか。

「哀れな神。どんなに強力な力を持っていて地の底まで振るわせることができても、あんたに人の本質、生物の尊さなんて理解できないのでしょうね」

 巨人を見下ろす高台からレイアは居合いの構えをとった。

 その彼女に向かって大口が開かれて、光線が溢れた。至近距離からの攻撃を横に跳んで躱す。早々に終わらせなければ『絶対領域』を発動させているショコラの体力が持たない。

 一瞬に賭けるつもりだった。急勾配を駆け下り標的まで三秒もかからない。巨人の身体に体当たりを喰らわせる勢いで接近してもまだ刀を抜かない。刀身が煌めきを放ったのは彼女が巨躯の左肩に乗り、一度体勢を整えてからまた落下を始めてから直ぐのことだった。

 重症を負いながらもバサラが示した心臓付近、そこには確かにおかしな膨らみがあり、そこを狙えということだと察した。それをそのまま狙ったレイアの技量もさることながら、やはりバサラもただ引き下がったわけではない。

 身体全体を軸にして甲殻の膨らみを放った居合いは、それでも表面に食い込んだに過ぎないと思われた。レイアが更なる回転の後、刀身の背に踵を落とし斬り裂くなどバサラ以外の誰にも想像できなかった。

 見事、半球状の甲殻を半分以上、露出させたレイアはそこにフルアッシャー・ファロンの姿を見た。

 確かに上半身は彼だったはずのそれは、下半身を肉の壁に埋もれていた。そして、人間らしい部分にも無数の細い管によって接続された奇妙なものになっていた。あの管が神経系の伝達を果たす役割だとしたら、これはもはや本来の神の能力を発揮することのできない不完全な生物だろう。威力の大きな攻撃しかしなかったのではなく、できなかったのだ。

 長い年月を掛けて体得した己の技ではなかったために使い方をいまいち判っていなかったのだろう。逸れ違いざまに目と目が重なり合った。その首を目掛けて何かが飛来した。見慣れたそれはバサラの長槍だと確認するのと、あの目の色はエルドレッドと同じだったと思ったのは同時に近かった。

 外に投げ出されたファロンの頭部を追う様に吹き出した鮮血は赤かった。どんなに強い身体を手に入れても人間はそうはいかない。首を切断されれば死ぬものだ。自身の首回りを締め付けるように反り返る巨人はもはやそのまま後ろに倒れた。

 体を立て直すことが出来ずにレイアは硬い地面に落ちたと錯覚した。受け身もなにも取れなかった衝撃は凄まじく、骨の何本かは折れたと決め込んだ。実際には倒れ込む途中だった巨人の大きな足の甲におちてそれから岩の大地に投げ出されたので、かすり傷だけで済んだのだが、生きた心地はしなかった。仲間の元気そうな顔を見るまでは。

「生きてる!よかった!んもぉー遅いじゃない。どこをほっつき歩いていたのよ?」

「まさかホントに神様を倒しちゃうなんてすげぇな!俺はもうダメかと思ったよ」

「こっちは怪我人なんだからもう少し優しくしてよね」

 駆けつけてきたショコラ達の手を借りて立ちあがる。嬉しそうな表情から二人は大丈夫だと安心した。問題はバサラだが、彼もまた不器用に歩きながら寄ってきている最中だった。腰の剣を鞘ごと掴み杖にしている。

「ついでに俺にも優しくしてくれ。肋骨の数本は折れたかヒビくらいは入ったと思うのだ」

 とてもそうは見えないのが、確かに辛そうだし額には汗をかいている。重症なのは本当のようだ。

「『寅発頸』を使えば怪我の治りも早いでしょ?知ってるんだからね」

「完治するまでのしばらくの間だけでも穏和にしてくれと……。しかし、よく俺の意図に気づいたな」

「露骨に怪しい箇所だったし『国を制する神』を見るのもこれで二度目だしね。まぁ、そのおかげかな」

 彼女にしては珍しく顔中に笑顔が溢れている。そんな顔を見るのは初めてのバサラは、やはりシェリリールは生きているのだな、とまた分けの判らないことを言い始めた。

「お主のここにな」

 大きな拳でどんとレイアの心臓の辺りを叩いた。

「きゃー、痴漢!変態!なによ、信じられない!」

「うおー、バサラ兄ちゃんやるな」

 歌姫の叫びは声帯領域を発生させたりはしなかったが、それでもかなりのダメージを受けた。鼓膜がジンジン痛んだ。

「いや、俺はそんなつもりでは……」

「ちょっとレイアも何か言ってやりなさいよ!ただで触られることほど腹の立つことはないわ!」

「……金を払えばいいのかよ」

 見当違いの感想は少年だったが、同じ思いは寅族の男も持った。

「そうね。何か罰を考えましょう。じっくりとゆっくりと。それこそあんたが死にたくなるくらい残酷なやつを。拷問なら得意だわ」

 得意だしさぞかし好みだろうな、などとは口にはしないが、軽率な行動をすでに死にたくなるほど後悔し始めていた。そんな激戦後の和やかな会話をするにはまだ早かった。響く地鳴りは不吉を孕んでいて、自然の地震との違いは明白であった。ショコラはバサラが見ているものをみた。

 横たわる巨人の骸は指一本動いてはいない。そう、肢体に何も変化は見られない。あるとすればそれがそのまま浮いているということだ。少しずつ木彫りの人形のように微動だにせずにただ浮遊し始めている。大地の振動はこの浮力を得る為の副作用なのか、高度と震度は比例しているように感じた。巨人から発せられる光もまた増大していった。ショコラはまた歌い始める。それを止めたのはレイアであった。

「すでに死んでいるわ。後は弾けるだけ。もう間に合わない」

 確かに眩い光度は増していく一方だが、それは巨体の中に向かって集約しているようにも見えた。臨界まで力を蓄えてそのまま爆発する。それはこの小島など消し去る威力を持っていて、当てずっぽうなレイアの予測も大外れとは思えなかった。

 少なくとも彼女はそう見積もっている様子だった。これを防ぐことはショコラの絶対領域でもできるかどうか不明であった。あの核爆弾までを無効化できるか、という問題に等しい。たぶん、それは無理だろう。

「こいつが自爆しようとしているっていうのかよ!なんとかならないのか」

 エルドレッドが上昇する巨人とショコラの間に入りながら呟いた。その手に持つ掛け軸が燃え上がった。情けない少年の悲鳴は当然のとこであった。その炎と燃えかすからあの巨人に酷似した顔の霊魂が漂い出てきた。

「フルアッシャーに追い出された神の魂魄?」

「別に追い出されたわけではない。お前たちに選択肢をやろう。我と契約した人間は死に、再び自由の身となれた。我は自分の肉体に戻ることができる。しかし、自爆が始まりあれは我にも止められぬ」

 一字一句を聞き逃すまいとレイアはその揺らめく青白い炎を見つめた。優しそうな穏和な表情にドキッとした。

「故にお前たちの死はすでに確実となっている。よくも我が肉体をよってたかって傷つけてくれたな」

 背中の妖刀を引き抜き魂魄に突きつけて脅すような真似はしない。迷いなく斬りつけたのだ。あの砂女同様の手応えのなさに、もはや舌打ちすることもしなかった。

「しかし、見事でもあった。その技量と才能をまだもう少し使いたいのであれば我の指示に従え」

「何をすればよいのですかな。古き神よ」

「うむ。神代の戦ではテンジョウとテンゲの者に我が配下は辛酸を舐めさせられたものだ。まさか、数千年を経てもこれほど濃い血を残していようとは。嫌いだからお前は死んでよい」

 もう一度斬った。無意味なのはよく判っていたが、そうせねば気が済まなかった。この神が魂魄だけなら私の声帯領域で昇華できるんじゃないの?ショコラのぼやきはもっともなことだった。この非常時に呑気なことを抜かすこの火の玉を消し去ってやりたいのはレイアだけではなかった。

「まぁ待て。我が提案はこうだ。アレの自爆は止められん。しかし、お前たちを爆発から守る手立てはあるのだ。幸運だったな。神を喰らう者が仲間にいて」

 三人は一斉にレイアを見た。敵を喰らう大蛇を所有する巳族。そして、彼女の大蛇ならば神を丸飲みに出来るのではないのか。この間抜けな火の玉が言いたいのはそういうことだと。

「その選択肢では私だけで大人しく死ぬか、人々を巻き込んで死ぬかになるわね。私の大蛇はもう育ちきっているわ」

「ならば、アレの核、一点を喰らえば栄養は最小限に抑えられよう。しかも、爆発は大幅に抑えられる。確かに十二支族中、巳族の能力だけは異質なものだった。まるで我ら神を越える為に用意されたとしか思えぬ。しかし、今はやらねば多くが死ぬ」

 説得しているとは思えない。それはレイアも考えていたことではあるが、迷ってもいたのだ。奇しくも今この神が言ったように、下手をすれば天魔戦争の再来である。神々を震え上がらせた大蛇をこの世界に野放しにするわけにはいかないのだ。

「核だけを喰う。それで済むとは思えないけどね。あんたはどうするの?肉体もなければ掛け軸も自分で燃やしちゃって。魂魄だけでは長くは保たないわよね」

「うむ。まあ、致し方あるまい。我らの命はこの世界では有限なれど、全宇宙でみればやはり無限なのだ。消え去る前にこの世界を見て回ることにする」

「宇宙がどうとか言われてもよく判らないが、話はついたようだな。レイアが戦っている間、俺は何をしていればよいのだ?」

「あんたの仕事は私が大蛇の制御に失敗した時に、即座に私の首を撥ねることよ。痛くしたら承知しないからね」

「いや、待て!なんだそれは!」

 なんだそれは?その言葉以外の意味はない。神を喰らえばその大蛇は神に最も等しい者になる。そんな強力な蛇を私が管理しきれる、と期待して話を聞いていたのだろうか。この魂魄だけの神は、仲間の為に死ねと言ってきたに等しい。

 ――まぁ、死んでやるわよ。このお荷物と一緒っていうのが気に入らないけどさ。

 言い募るバサラは出現した大蛇を見てド肝を抜いた。ヴォール街で見た時より明らかに大きくなっている。これは蛇などではなく神話に出てくる龍に近いのではないか。

「うおー!凄いな!なんだこの黒光りする鱗は!闇の力を感じるぞ!悪魔なんかよりずっと邪悪だ!」

 子供らしい感想を述べたのは魂魄で、他の三人は呆気にとられている。

「不用意な発言をするとあんたから喰うわよ。こいつの好みは肉の方だけどマシュマロも悪くないって言っているわ」

 神の魂魄をマシュマロと表現する大蛇。その食欲の制御の為に彼女は全ての感情を押し殺し集中せねばならなかった。ヴォール街の妖樹を喰ってから急激に成長してしまった。やはりあれほどの魔素を放出する上等のディナーを食べさせるのはよくなかった。

 そして、目の前には更なる極上の生肉があった。こいつを喰った後で大蛇に言うことを聞かせて下がらせる。それは不可能だと最初から放棄していた。核を食いちぎり爆発を最小限度に抑える。それだけで充分だと。

「すまんな。久しぶりに外に出てくるといろいろと珍しいものがみえる。あれの中枢はお前たちで言う心臓の下、鳩尾の奧の方にある。神通力の塊だから近くまで誘導してやれば判るだろう。後は任せる」

 無責任にも神の魂魄はふらふらと自身の肉体とは別の方角に去っていった。

「逃げた?」

「そうね。巻き添えにはならないってことかしら。どっちにしても長くはないんでしょ?」

 大蛇が叫びを上げた。こいつのこんな声を初めて耳で聞いたレイアは、狂喜乱舞しているのが判った。ただ単に上手そうな肉を食せるというだけではない。これで支族から解放されるという出産の雄叫びだ。喜びであった。ちっと舌打ちしたのがその耳に届いたようで蛇はまた気をよくしたようだ。

 ついでに仲間達も喰らってやる。自分をどついてくれた生意気な寅族の男も、絶対領域などという面倒くさいものを生み出す女も。人間の子供だって若くて上手そうだった。ここは最高のレストランだな!至れり尽くせりのもてなしだ!

 その思考がレイアに明確に伝わるほどこいつは知力をつけていた。知的水準ではかなり進化しているとみえる。この邪悪な蛇の思い通りに事を進めるのに反感するのは生物として当たり前であると思った。しかし、今はこうするしかない。あの無責任な神は自分の肉体を棄てて逃げ出してしまった。

「たらふく食らいなさい。でも、あんたが私を食べる前に、私が死ねば、あんたも消滅する。そういうシナリオなのよ」

 大蛇は雑伎団の空中浮遊芸に登場する美女のように仰向けで手足を伸ばした神のまず下から接近した。動くわけもない巨人をじっくりと眺める。それから、胴体を伸ばして今度は正面から観察した。まずは視覚で楽しみ、嗅覚で味を想像する。それから喰らうのだと思われた。さすがにレイアも死への恐怖で気が遠のきそうだったが、それ以上にこの嫌らしい蛇にむかついていた。そうしたレイアの感情もまた甘美であると知っているのだ。

 大蛇が口を開けてからは一瞬だった。一片の肉片も残さぬように頭から丸飲みにしようとしている。自身の身体より大きな獲物を捕食することは自然界の蛇ならば有り得るが、こいつもそうするとは思わなかった。ハグハグと少しずつ飲み込まれていく神の肉体は抵抗することもせず暗黒の大口に消えていく。

 ――核だけを喰えと命じたのに!もう、すでに私の言うことを聞く気は無いということなの?

 そのレイアの後方ではまだ策が残されているはずと、バサラたちは考えていた。

「あんな蛇を相手にどうしようってんだよ。あっちの方がしっかりバケモノだぜ」

「いや、あいつが真の力を得る為にはレイアの肉体を必要とする。それを阻止するのに自ら死を選ぶのは、勇気ある行動だと俺は思う。協力する気になれんが」

「でも、早くしないと自分の首を突き刺すかもよ」

 彼女の英断で仲間達は助かることができるかもしれないが、そんな結末を誰が望んでいるのだ。

「つまりレイア姉ちゃんがあの蛇を制御できればいいんだよな?」

「何か思いついたの?」

「ああ、俺は側に行って応援するぜ!」

 少年は持ち前の行動力を発揮させた。

「まぁ、そのくらいしかないか。ぎりぎりまで声を掛け続けよう。それでダメなら、その時に考えよう」

 彼は少年の背中を追った。そんな姿を見ていたら本当に何とかなりそうな気がしてくるから不思議だった。

 しようがないわね、私も歌うわよ。あんたの好きなエティルの曲でも。腰掛けるのに良い高さの岩があった。ちょこんと座りギターを膝に静かに歌う。ラグナロク以降、エティルの楽曲は彼女の体調を考慮してか、大人しい物静かなバラードが多い。その前は結構激しいナンバーもあったのだが、それらのレコードは手に入りにくい。だから、ショコラが知っている彼女の曲はバラードだけなのだが、こういうのを聞いている時のレイアが、戦いから解放されて優しい顔をしているのを見かけたことがあったのだ。

 ――葬送曲ってわけじゃないけどさ。まぁ、こういうしんみりなのもたまにはいいかなって。

 じわりと吹き出た声帯領域はショコラを中心にして急速に広がっていった。その動きを視ることができたならばそれは完全な円を描いていることに感動したであろう。民家も岩肌も鉱山ですら透過し均等に展開されるそれは時空を越えて届くのかも知れない。彼女は絶対領域が発生しないことを変だとは思わなかった。なぜならあの時とは集中力や全身に漲っていた力が違う。だからこそ脱力し感情を込めて歌うことができた。それはきっと仲間達や大蛇にも届いて欲しいと願った。

 レイアの元に集合した二人は巨人の足が飲み込まれていく様を一緒に視ていた。大蛇の太い胴体のどの辺りを巨躯が移動しているのかが不自然な膨らみで推し量ることができた。辛い現実だった。ああいう死に方はしたくなかったが、そうもいかないだろう。せめて牙で殺してからにしてほしいと願ったのはエルドレッドで、その瞬間までレイアを信じると言った決意は恐ろしい光景に早くも揺らぎ始めていた。

 それでも逃げ出したい衝動を抑えてレイアの手を握った。じっとり汗をかいていたのは自分なのか彼女の方か。何も言わないレイアを見上げる。彼女は既に戦っていた。

 最初は抵抗も虚しくなるだけだと諦めていたが、流れ込む大蛇の思考を知ってしまってはそういうわけにもいかない。仲間までむざむざ死なせるつもりはないのだ。一応の抵抗はするが、バサラは自分を手に掛けることはしないだろう。元々巳族の問題なのだから彼に後味の悪い殺しをさせるのは気が引けた。となると、自殺という不名誉な道しか残されていないのだが、即死できる致命傷を自身に与えることが出来るだろうか、と不安だった。息がある内に喰われてしまっては意味がない。喰われる前に事切れるのが大事だと教えられた。

「まぁ、とりあえず、がんばってみるわよ」

 一人囁いた。ショコラの歌が大きな助けになっていた。もちろん、他の二人も。さぁ、来なさい。この私がただで喰えるなんて思わないでよね。あんたも道連れにしてやる。

 大蛇はすでに勝利した者のゆとりをもってゆっくりとレイアに近づいた。傷ついた支族も人間も眼中にはない。まずは愚かな主、次に歌姫だと順番を決めていた。他は後回しでいつでも喰える。平坦ではない大地にのびのびと胴体を巡らせた。大物を飲み込んで消化が追いついていなのだと態度で示した。ちょっと胃が落ち着いてからお前もすぐに喰ってやる。それがお前に残された最後の時間だと、思考を飛ばしてきた。いや、それはレイアの勘違いだったのかもしれないが、確かにこいつがそんなことを言った気がしたのだ。また、そういう性格の生き物であることも知っていた。そして、遂にその時が来た。

 勝者は慌てず堂々と獲物に近づいた。獲物もまだ最後まで抗うつもりのようで両手を広げた。獲物の仲間はやはり獲物でしかない。その肩や服の裾を掴んでいるが、その見せかけの勇気がいつまで続くのかを試してみるのも悪くない。

 小競り合いならば何度もあるがこれで二度目になる正面対決に臨もうとしていた。レイアと大蛇はじっくりと近づいた。達人が相手の間合いを見極めるように、かなり慎重に。指先と鼻先が触れるか触れないかという距離まで接近した瞬間に変化は起こった。二人の間に不可視の壁のようなものが出現したのだとバサラは思った。お互いが互いを弾き飛ばそうと恐ろしいまでの衝撃が絶え間なく襲ってくる。巻き上がる粉塵を視界に捉え、その壁の形を推し測る事が出来た。まさに壁、あるいは平面な結界か。それが直立した板の間は勝敗がつくことはないと思いたいが、レイアの表情から察するにすでに限界が近いことが判った。ほんの数秒しかレイアが耐えられない力を放った大蛇にはまだ余裕があり、嘲笑っていた。

 ――これは衝撃波の戦いではない。霊魂の鬩ぎ合いなのだ。

 苦悶の声を発することもなくただ両腕を差し出しているレイアは一心に集中しなんとか蛇を制御下に置こうとしている。負ければ仲間が危険な事になる。そういう事態を避けたかったのだが、結果としてはとても残念なものになりそうだった。大蛇の口がいよいよ開かれた。

 その奥深くからは光が漏れていた。それはまさに光明となりレイアに大声を上げさせた。

「まだ、まだよ。ショコラ!あんたの歌を私にちょうだい!私だけに届けて!」

 声帯領域の方向性は苦手なのに無茶を言わないでよね。方向を付けると言っても強と弱の振り分けでしかないとあの『黄昏の歌姫』は言っていた。つまり、届けたい方へ強く、それ以外の場所なら弱くする。

 ――それだけなのよ。ね?簡単でしょう。

 エティルの声までもが蘇りショコラはそれをイメージした。よく判らないが、赤い焔が立ち込めてきた。『絶対領域』が発動したのだ。まったく本人の意思とは関係なく発生するこれはそれでもいまのところ大きな手助けになっている。この赤い奴をレイアだけに流し込む。それなら出来そうだった。

 一条の赤い光はレイアを打ち抜いた。その先には当然、蛇の大口があった。『絶対領域』の光を吸い込んだ大蛇はまずそうにさらに口を開いた。その内部から爆発がした。物理的な爆風はエルドレッドを吹き飛ばし、レイア自身もバサラの助けがなければ顛倒していたほどの勢いだった。

「まさか、奴が飲み込んだ神の肉体が消化されずに今頃になって爆発したのか?」

 その通りとレイアは絶賛した。

 この島を吹き飛ばすほどの威力は激減されていたようだが、それでも、無傷というわけにはいかないだろう。

 爆煙の中には大蛇が身悶えていた。身体の三分の一は失っていたが、致命傷にはまだ足りない。再度、レイアを喰らうべく地を舐めるように移動してきた。今度は最初から全力でくるだろう。

「まだ生きている。ゴキブリ並の生命力ね。ショコラ、もう一度頼むわ!」

 どこの世界に神の自爆に耐えられるゴキブリがいるのかはしらないが、バサラは大蛇が怒り狂っているのが少し、いや、かなり面白かった。ざまあみろっといった感じだった。

 『絶対領域』の援護を受けても戦いは一進一退で、互いの間に形成されている直立する壁が常にどちらかに傾いているのが手に取るように判る。傾く度に上空の気流が変わり粉塵が急激に不自然に動くのだ。今は大蛇が押されている。せめて一撃入れられればと思うが彼の槍は巨人とともに大蛇に飲まれてしまった。残念なことだったが、それを惜しむつもりはない。しかし、こいつを放置すればきっと後悔することになる。レイアの背中にあった妖刀を無断で借りると、壁を迂回して大蛇に肉薄することを試みる。

 二人の神聖な勝負に水を差すな、と蛇は支族を睨んでその周辺の空気を燃え上がらせた。その程度のことでこの男を止められるはずはない。

 炎を飛び越えて刀身の長さより太い蛇に斬りつけた。意外なほどの切れ味に驚いた彼は、次の太刀が大蛇の堅い骨に弾かれて舌打ちした。そこに無数の鱗が飛来する。飛礫のそれは数が多すぎたが、貫通力は不十分で退避した岩に跳ね返されていた。これでは身動きがとれなかった。低く呻いた彼は獰猛な寅のようだった。

 バサラが注意を引き付けている間、少しだけ勢いが衰えたことでレイアには次の手を考える時間があった。それは賭けでもあり覚悟でもあった。

「私の左手だけに絶対領域を集められる?」

 もはや囁きに近かったが、彼女の耳にはしっかり聞こえていた。

 レイアを包みその正面にいる大蛇に、両者が繰り出した壁ですら越えて伝わっていた赤い焔はレイアの左拳に集約されていった。これならばやれる。レイアは今日初めて確信という強い想いを持った。

「あんたとは長い付き合いだけどね。まだ、好き勝手にさせるわけにはいかないわ。この左腕一本で我慢しなさい!」

 壁の向こう側に左腕を突っ込んだ。それに食らいつく大蛇は肘の先までを反射的に喰らった。ショコラの能力を含んだそれは大蛇の動きを止めたが、レイアもまた絶叫を上げている。実際に左腕を失ったわけではない。しかし、この腕はもはやレイアのものではない。

「なにをしたのだ?」

 口に入れられたのは爪楊枝ほどの物でしかないはずだが、糸が切れたマリオネットのように微動もしない大蛇を不審に思いながらバサラが岩陰からでてきた。

「……腕を喰わせてやるから今回は引き下がれと命じたのよ。身体の恢復が終わるまでは大人しくしていると思うけど」

 話をするのも辛そうにしているが、まだ、終わりではない。

 ――さぁ、あんたの新しい住処はここよ。

 レイアは口から左腕を抜き出した。

 その拳から肘に暗黒の蛇は巨大な闇の螺旋を描いて、霞となり吸われて消えた。バサラが吹き飛ばされそうな強風が収まったとき、彼はぎょっとした。大蛇が新たなる住処とした左腕の指先から肘の先までが黒く変色していたからだ。

 そして、それは黒く渦を巻く蛇にみえた。主を喰らうとはこういう事かと、真の意味で理解した。全身を喰われれば黒ずくめのレイアが完成するというわけか。そしえ、それはもう彼女ではない。

 向こうではショコラがエルドレッドを看病していた。戦いの最中、思いっきり吹き飛ばされた彼はそのまま昏倒してしまっていたのだ。

 夜明けまではまだ大分あった。静けさを取り戻した鉱山からはデミダスダムズの騒動が聞こえてきそうだった。ファロンの残党を討伐するのに懸命に走り回っていることだろう。

 ついでに『軍艦島』の異変を察知した人々が早めに助けに来てくれると嬉しいのだが。疲労していたショコラは勝利の歌を口ずさんだ。手当が必要だったのはレイアとバサラだったが、簡易的な処置をするとその場を離れた。今度は東方に見える『高天の原』を眺めていた。せっかく神を倒したのにアレに変化がないのが残念だった。使者として飛来する鞍馬天狗でも礼を述べに来ても良さそうなものだと考えたが、別にあそこに住まう連中に頼まれたわけではない。

 魂魄だけで飛びだった名も知らぬ神が気になったが、上手い具合に掛け軸の変わりになる入れ物が見つからなければ十日も保たないだろうと楽観していた。そんな偶然の幸運は訪れないと。

 改めて左腕を見てみた。黒い痣は気持ち悪かったが、それ自体が大蛇の形をしているのが気に食わない。キスマークを付けられた女性が心底腹をたてるのとこういう怒りが込み上げるのだろうかと思った。少し違うかも知れない。

「こんな所にいたのか。探したぞ。呑まないのか?」

「そういう気分ではないのよ。判るでしょ。こいつは一部とはいえ肉を得てしまった。ここからどんどん侵食してくるわよ」

「強敵を喰ったり制御に失敗すれば、か。まぁ、どちらもなんとかなるのではないか?お主の鍛錬次第で」

 すいぶん勝手なことを口にしてくれるが、そういう簡単な話ではない。しかし、この男の陽気な顔を見ていると不思議と肩が軽くなるのを感じるのも事実だった。

「おお、そうだ。これを見てくれ」

 言って黒く長い槍を自慢げに差し出した。

「丁度、爆発で弾けた大蛇の尻尾の辺りでエルドレッドが発見してくれたのだ。俺の槍が神と大蛇の血を吸ってさらなる魔槍となった」

 それは魔槍と呼ぶに相応しい妖気を放っていた。この危険な男にこんなものを持たせるのは反則のような気がしないわけではないが、本人は至ってお気に入りのようで、ブンブンと振り回している。

 夜明けは近い。徐々に世界が見え始めてきた。鮮明になってきた大陸本土は巨大な船に見えた。

「なんだ、向こうだって軍艦島じゃない」

 彼女の感想にバサラは、うむ、と力強く頷いた。



 軍艦島の激戦から一週間が経過していた。

 未だに冷めやらぬ報道合戦は警察病院に入院しているバサラをうんざりさせたが、楽しみなテレビを一日中みていられるという一点で我慢した。

「このまま寝たきりの生活でも一向に構わないって様子に見えるけどね」

 悪態を付いたのはショコラだった。戦いの直後は喉の調子が悪くしばらくは大声を出さないようにと忠告された彼女は、ようやく包帯を取ることができて上機嫌でバサラの病室を訪ねたのだ。そこで酒を片手にテレビをみている姿をみて既視感に襲われた。軽く呻くショコラに気が付いた彼は椅子と酒を勧めた。

「アルコールは控えるように、って言われているのよ。あんたもそうだと思うけど。どうして病院で飲酒してるのよ。このバカ猫」

 部屋の片隅にはアパートから引き上げてきた彼の荷物の全てが、荷造りされている状態で乱雑に積まれていた。彼女一人で持つには多すぎる。

「うむ。今回のハントはEX級の俺がいてもなかなか事情聴取ですら済んでいない。いつもなら面倒くさい書類やら面談はギルドが代行してくれるのだが、まぁ、死者二千人、犠牲となったハンターは百近い。しかも、この街の有力貴族で議員まで務めていたフルアッシャー・ファロンが主犯となっては当然か。てんやわんやとはよく言ったものだ」

「……また大妖怪が降臨したってことになるの?十年前みたいに」

 納得がいかないという顔をしている。

「そうなるだろうな。お主たち人間社会はとても魅力的なのだ。俺のように田舎の村で育った支族にとっては特に。どこが面白いのかと聞かれるとはっきりとした事は言えぬが、つまり今回の事件だな。俺たちはラグナロクを引き起こそうとは思わない。何故かと聞かれるとこれも困るだが、とにかく想いもしないのだ。だが、お主たちは時々こういう禁忌に触れることをあえてする。俺がお主らに魅力を感じるのはそういうところなのだ」

「つまり危険だと判っていても、なぜかそれをしちゃう人間が面白可笑しいってわけ?」

「そう棘をだすな。俺はただ支族だけの世の中ならばきっと何千年経っても火を熾すのに一苦労していただろうし、水も井戸から引き上げていただろうということだ。テレビなんて想像もつかない産物だろうよ」

「支族にはない、可能性ってこと?」

 そんなもんだな。同意したがそういう前向きな言葉で片付けられないのが『軍艦島事件』なのだが、それ以上は言わなかった。互いを理解するにはまだ時間が必要だった。それにギルドと『猫屋敷の騎士団』リーダ、レイア・S・パンの記者会見がもうすぐ始まる。

 素顔は隠すという条件の上で会見に応じたのだという。それなら、ショコラの方が適材適所というものだが、彼女もようやくベッドから起き上がることができたのはつい最近の事で無理は禁物だった。事件の翌日からまた剣術の稽古をしている元気なエルドレッドとは違うのだ。

 二人はテレビを悔いるように見つめた。ショコラがボリュームを上げる為にツマミを捻りに行った。

 顔の半分を覆い隠すサングラスを掛けたレイアはド派手な赤い口紅を引いていた。平時ではほぼスッピンに近い彼女からはほど遠い映像が流れてきた。すでに報道はかなり広がっていて、今更、彼女が話すことなど何もないのに、市民はそれでも当事者の口から語って貰いたいのだという昼夜を問わないギルドからのしつこい要望でこういうことになったのだ。

 うんざりしていたレイアは前日から大荒れで身の危険を感じたエルドレッドは逃げることができたが、病室から自由に出歩くことを固く禁じられていたバサラは哀れな犠牲者となって彼女の慰め者になった。鋭い弁舌は留まることを知らないように普段の無口さを思い出して欲しいと強く願った。その荒れ様と比較すると大分落ち着いてことの顛末を説明していると思った。

 それは事前にギルド側との調整が成された内容で事実と違う点もあった。ファロンは既に妖怪に取り付かれて今度の主犯となった、という発表には政治が絡んでいると思われた。

 ――それをいうなら、マナ・ストッカムにも助けられた事だし、細かいことを言っても始まらぬか。

 自身とハンターズギルドが後々に不利なことにならないように慎重に言葉を選んでいるのが伝わった。確かに、ラグナロクが予想されるハントに『猫屋敷の騎士団』だけで挑んだのは誰がみても失策と写るか、栄光に目が眩んだ愚者の選択と見なされても致し方ない。そこの部分は、真実を話してギルドに増援を要請しても人々を不安に陥れるだけだったという簡素な解説で受け流していた。ふむ、問題はなさそうだな。

「さて、行くか」

「そうね」

 この記者会見の前に彼らは話し合いこの街を出ることを決めていた。もちろん、道場を師範代たちに任せたエルドレッドも一緒だった。彼は一足先に駅に向かっている。レイアとショコラの荷物番というわけだ。これだけの功績を残したハンターグルーヴがこの街に滞在すれば、それは英雄と同じ扱いを受けることができる。現にエフスキー武術道場デミダスダムズ支部には練習生の申し込みが後を絶たないという。

 彼らはそんな栄達を求めたりはしなかった。記者会見の終了と同時にレイアも駆けつけてくる手筈になっていた。バサラはテレビを消して病室を抜け出した。荷物を運ぶのにはショコラも手伝った。

 その会見の場では、やはりきたか、とレイアは苦い思いをしていた。姉が失敗したラグナロクの阻止、これに成功したことについて、姉をどう思うかという質問だった。しばらく答えを考えていたレイアに助け船を出すつもりでギルドの役員が「それは今回の件とは直接関わりのないことなので」と割って入った。そのまま次の質問に移ってもよかったのだが、レイアは珍しく姉について語り始めた。

「私は姉を尊敬していました。そして、今回の件でその気持ちはより大きなものとなりました。というのも、ラグナロクという邪悪な試みを持つ犯罪者たちの狡猾さや恐ろしさをこの目で見たからです。事前に知識も対策もないまま、あの時、帝都で戦った方々をとても誇りに思っています」

 おおーという歓声は記者団からであった。それと同時にもう一人の姉もこの放送を見ていてくれるだろうと思った。真意であったから二度は言わないつもりだが、再会した時にお願いされそうだった。

「これから『猫屋敷の騎士団』の活動はどうされるので?噂では妖怪大王などの強力な奴らを専門に狩るという期待も広がっていますが」

「とりあえず、こんな馬鹿みたいな眼鏡をしなくても出歩ける場所で読書でもしたいですね。それでは失礼」

 レイアは着ていた上着を脱いで会場を後にした。その白いブラウスの背中にはショコラによってこう刺繍されていた。「暑いところは苦手なのよね」と。

 外で煙草を吹かしていた二人の刑事は待ちかねた女性を見て運転席と助手席に乗り込んだ。後部座席に走り込んできたのはもちろんレイアだった。会見用のスーツ姿のままだ。三人を乗せたパトカーはサイレンを鳴らしながら走り出した。行き先は駅である。

「今日は出勤だったの?」

 レイアが挨拶代わりにコストナーに尋ねた。

「おう!しっかり非番だったのにわざわざきてやったぜ」

 それはご愁傷様、労いの言葉は届かないだろうが、それでいいと思った。

「それにしてもこの街の警察署連中はこぞってあんたらの味方なのかい。うちの署長も出来る限りの協力をしろってさ」

 若いマイケルはハンドルを握りながらミラー越しにレイアを見た。

 はて、そういえば妙に話の判る人たちが多いな、とは実感としてあった。どうせエティルの差し金だろうが、本当に面倒見の良い姉だとつくづく感謝する。

「この街に残ってくれればずっとヒーローでいられるのによ!もったいねぇ」

「いいのよ。そういうのを求めてないし。後はここに済むハンターたちに任せておけば。それに私たちのような根無し草のハンターっていうのを必要としてくれる人たちがいるはずだもの」

「うし!せっかくの門出だ!思いっきり飛ばすぜ!行け、マイケル!」

「任せてください!」

 さらに速度を上げたパトカーは明日の朝刊に掲載されそうだが、彼はアクセルを緩めたりはしなかった。同僚も咎めたりはしない。せめて人を轢いたりはしないでね。そんな忠告も聞き入れられないほどの熱狂が彼らにはあった。



 非常識な速度で駅間の広場に走り込んできたパトカーを人々は好奇の目で見た。停止すると同時に開かれた後部座席から飛び出したレイアはコストナーとマイケルに礼を言い改札へ向かった。会見が長引いてしまったが、さすがに街中を疾走させたら権力に敵う者はいない。そのおかげで走ることもいなく仲間たちと合流できた。旅の荷物はすでに運び込んでいてレイアを待つだけとなっていた。

「間に合わないかと思ったわよ」

「私は遅刻なんてしないわよ。いつでも時間通りに動くんだから」

「荷物はちゃんと積んだけど、ミースケは置いてきたぜ。元々デミダスダムズの猫なんだろう?」

「ええ、それでいいわ。今朝、ちゃんとさよならは言ってきたから大丈夫。それにあの子、最近お嫁さんが出来たみたいでね。白い毛並みの可愛い子よ。引き離すのは可哀想でしょ」

 背後で缶ビールを空ける音がした。バサラだとすぐにわかったが、こんな時間から酒を呑んでいるの?いい加減にしないとアル中から卒業できないわよ。そう言おうとして止めた。マリーヌもわざわざ見送りに来てくれていたからだ。シャルルも居た。

 お腹はまだ全然目立たないが、そのうち大きくなるのだろう。元気な子を産んで欲しいが、思慮深く育てて欲しいと願う。マリーヌの子というと頭が良さそうなのでは、と思いたくもなるが、父親がゴードンとなると話はまた別だった。その形見となったネックレスは、今、マリーヌが身に着けている。

「まだちゃんと礼を言ってなかったなって思ってね」

「言ったわよ。何度も。病室まで見舞いに来てくれたし、小うるさい連中を追い出したりしてくれたし。怪我人の耳元で騒がないで欲しいわよね」

「それは俺もお主に言いたい。昨日の八つ当たりは酷かったぞ」

 昨日のことなら時効になったわ、言い返しながらもやはりやり過ぎだったかとほんの少しだけ反省してあげた。

 それからエルドレッドの姉、シャルルにも礼を述べた。あの事件の後にレイアが所有する刀剣類を全て研いでくれたのだ。ついでにバサラの分も。その刀身の輝きに惚れ惚れする。シャルルは語らず頭を垂れた。エルドレッドをよろしくという意味だろうと察した。

「さて、いきましょうか。マリーヌ、シャルルさん、元気でね」

 レイアは仲間たちを見渡した。

 とりあえず行き先はまだ決まっていないが、機関車での旅の間に話し合うつもりだった。できれば、今回のような面倒くさいことにならない事を祈っていた。ついでにショコラのネズミ嫌いも克服させたいから、都市の方がいいだろうかと漠然と考えている程度であった。

「では、酒でも買い足してくるかな」

「機関車って剣の稽古ができるのかな」

「私は歌いたいけど、さすがに乗車中は無理よね。作詞でもしてようかな」

 思い思いのことを口にしながら、改札を通り機関車に乗り込んだ。

 楽しい旅は始まったばかりだ。












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