番外:ある一兵士の視点
今回短いです。
「そこ!止まりなさい!」
石造りの外壁が、夕陽の色に染まる時間。
王国首都より東に位置し人口三万にも及ぶ、
迷宮を踏破した大商人の起こした林業と蜜の街【ローヤルウッド】の東門。
そこの衛兵の一人としての任を受けた王国兵士・ジーンは、極度の緊張状態を強いられていた。
その緊張状態を強いられる理由というべきか、原因は目の前の男だ。
「……うん?それは、私に言っているのかな?兵士さん」
何気ない、まるで土産物屋の客引きに呼び止められただけのような気安さで男は答えた。
そう、【完全武装の部隊数十人に取り囲まれている】というのにだ。
別に見た目だけでこんなに過剰反応をしている訳では無い。
むしろ外見においてそれほどの脅威は感じられない。
確かに奇妙でははある。
この国には珍しい黒髪黒目に、東方の由来と思われる裾や袖の長い黒装束。
肌は夕陽に赤く照らされてなお蒼白く、そのくせ薄く弧を描くようにして
開かれた口の中からは、血のように赤い色が覗いている。
しかし、それらは珍しいというだけだ。
服装も髪目の色も旅行客や流離いの冒険者と考えればあり得ないことではないし、
肌の色も冥国の不死族には珍しくない。
不死族は寿命が存在しないが故に、有り余る時間をもってひたすら道楽の旅を行く者も多い。
実際この門の配属になってから年に数回は不死族の旅人を相手にしている。
しかし、その程度の事など些事と思える程の【異常】があった。
まず最初に【異常】を感じとったのはスキル【感覚鋭敏】を保有する同僚だった。
昼頃から妙な寒気を訴え、しだいに頻繁に喉の渇きを訴え始め、指先が震え、
しまいに周囲が朱に染まる頃には膝が笑って、しっかりと気を持っていないと崩れ落ちそうになるほどだった。
これは、とんでもないものが近付いて来ているのではないか?
そう考えた街の守衛隊長の対応は迅速だった。
有翼種の隊員を町外れの領主館に飛ばし、騎士団の応援を要請。
街の門のある東と西に常駐する衛兵を集中し、検閲を強化。
流通に出来る限り差し障らない形でだが、それでも最大限の手は講じられた。
だが、はたして【それだけ】で足りたのだろうか?
ハーピィである伝令の彼女を見送って数分後。
突如として周囲の皆が得体の知れない悪寒を感じとった。
それぞれが得物に手をかける硬質な音が鳴り響く。
その時、男は現れた。
馬車庫の薄暗がりから、音もなくぬるりと。
異国の装いの長い裾を靡かせて。
静かに、背筋を寒気が這い上がった。
夕陽に赤く染まる景色の中、男が異質な【闇】を纏ったように見えるのは、
恐怖に身を震わせる彼の幻覚だろうか?
幼いころ、物知りだった祖父に聞いた事が脳裏に過ぎる。
闇夜に動き人の生血を啜る吸血の鬼の話。
墓より出でて喉笛を噛み千切り死肉を貪る蒼白の屍人の話。
そしてそれらを率いる、身に邪悪な渦を纏わせ、
自ら血祭りにあげた死体を操る外道に堕ちた魔道師の話。
『早く寝てしまわないと、墓場の恐い恐い鬼が攫いに来てしまうよ?』
『言う事を聞かない悪い子は、グールが夜な夜な喰べに来るんだぞ』
大人になってからは、子供の躾に使うだけの唯の老人の作り話だと思って忘れていた、
その話を聞いた時の本能的な恐怖が、首元を掻き毟りたくなる様な怖気となって甦る。
我武者羅に斬りかかりたくなる様な、奇声を上げて走り出したくなる様な気持ちを押さえつける。
ここで場面は冒頭の制止につながる。
「おや……皆さん御揃いで、そんなに物騒な格好で、どうかされましたか?」
薄笑いを浮かべながら、蒼面の男は言う。
全く戦いの気配など感じさせない声音と仕草なのに、一言ごとに体が強ばり、
腕が微かに動くのを見るだけで足が下がりそうになる。
「身分の証明ができるものを……提示してください」
地についた槍を強く握りしめながら門兵長は言う。
するとなぜか男は無言で笑みを強める。
心なしか、鉄錆の様な臭いが強まった気がする。
いつの間にか自身も手をかけていた腰のショートソードを、
汗でぬるつく手のひらで引き抜こうとしたとき。
「何をやっているんだ」
いきなり腹の底に響くような重い、ドスのきいた声がやや高い位置から降ってくる。
弾かれる様に声の聞こえる方に顔を向けると
そこには鬼がいた。
赤銅色に染まる皮膚
見上げるほどの巌の様な肉体
薄闇の中ギラギラと光るような眼光
蒼面の男の後ろに何時の間にかいた鬼がゆっくりと右手を持ち上げ。
その時、恐怖と緊張に耐えかねた誰かが武器を取り落とした。
硬質な金属音が耳を劈いた瞬間、自分はわけもわからず叫びながら
目の前の二人に向かって吶喊し、そこで意識が途絶えた。
次の話へのつなぎのようなもの。
今回ちょっと納得のいく出来ではないので、もしかしたら大幅に書き直したり、
消して次の話に組み込んだりするかも。




