緋奈の瞳
「DからEになったんだから」
「はぁ・・・はぁ・・・」
俺は今走っている。
家から歩いて二十分の病院までの道のりを全速力で走っている。
「はぁ・・・はぁ・・・」
なぜ走っているのかって?それは、俺が待ち望んだことがあるからだ。
そう、今日は緋奈が音の世界から抜け出す日。
手術から一週間たち、ついに包帯がとれるのだ。
「はぁ・・・はぁ・・・」
病院に着いた。
緋奈の病室まで、息を整えながら歩いていく。俺は緋奈の病室に近づくにつれてどっくんどっくんと鼓動が早くなっていることに気付いた。
緋奈の病室のドアは開いていた。俺はノックもせずに病室に入る。
いつものように窓は開いていて風が病室内に吹き込んでいる。
その窓の前に緋奈は立っていた。緋奈の髪は風を受けて気持ち良さそうに踊っている。一本一本がきれいに、そしてうれしそうに・・・。
「緋奈」
俺が呼ぶと緋奈は、はっとして後ろを振り返った。
「良ちゃん・・・?」
「ああ、俺だ」
緋奈は一瞬うれしそうな顔をしたが、次の瞬間、
「良ちゃ・・・ひっく」
「ひ、緋奈!?」
緋奈は急に泣きだしてしまった。
「えぐっえぐっ、りょ、う、ちゃぁぁん・・・」
俺は戸惑いながらもいきなりわんわん泣きまくり、ついには、その場にへたりこんでしまった緋奈に近づいていった。
「おいおい、どうしたよ?」
しゃがみこんで同じ目線で緋奈に話し掛ける。
と、そのとき
「のわっ!」
緋奈が俺の胸の辺りに頭を突っ込ませるように俺にいきなり飛びついてきた。
「ったー・・・」
頭は打たなかったものの背中をしたたかに打ち付けてしまった。
「良ちゃん・・・!良ちゃん・・・!」
緋奈は俺の胸の辺りに顔を埋めて泣いている。背中は床が冷たいし猛烈に痛いが、反対の胸や腹の方は緋奈が乗っかっているせいで暖かく、心地よい重みを感じる。
「どうしたんだよいきなり?」
「良ちゃんのこと見たら、わからないけど涙が・・・おかしいね?嬉しいのにね?なんでだろう?」
そして緋奈はさらに俺の胸に顔を押しつけてきた。
「あのね、一言言いたいことがあるの」
「ん?」
緋奈は俺の胸からゆっくり顔を上げて、俺をまじまじと見つめながら
「今まで、ありがとう。良ちゃん」
と言った。緋奈が言った「ありがとう」その一言にはいろんな感情が詰め込まれていたと思う。感謝の意味だけでなく、他のいろんなことが。
「俺は、そんな感謝されることなんかしてないよ?」
「ううん。たっくさん助けてもらったよ。だから私は今、こうして・・・・・・」
そこまで言ってから緋奈は顔を俺の顔に近付けてきて、
「目が見えるようになったんだよ」
と、言った。
緋奈の長くてきれいな髪が俺の目の前に垂れていた。俺はその髪なんてきにせずに、緋奈の頭をくしゃくしゃっ、と撫でてやった。そして俺もずっと言いたかったことを言った。
「よく、頑張ったな・・・緋奈。本当におめでとう」
そういうと緋奈は、また俺の胸に顔を埋めて泣き始めてしまった。さらに冷たい床と、まだじんじんする俺の背中の間に小さくて細い手を滑り込ませて、緋奈は俺に抱きついた。
「良ちゃんのこと、大好き」
その言葉を聞いたとき、俺の胸で泣いている緋奈が、俺に秘めてた想いを打ち明けて泣いた空とだぶり、俺の思考を一瞬狂わせ、
「・・・・・・」
結局俺は何も言うことができなかった。別に緋奈と空を比べているわけではないのに、空が脳裏に浮かんだ。その間、緋奈は何も言わずにじっと俺に抱きついていた。
その後、泣き止んだ緋奈は俺から離れてベッドに座り、俺はベッドの前に椅子を置き、それに座った。
「・・・さっきはごめんね」
「大丈夫だって、気にしてないから。目が見えるようになって嬉しかったんだろ?」
「・・・うん」
せっかく見えるようになったのに緋奈は泣いて赤くなった目を、手の甲で何度も拭っていた。
その姿をみて、俺はいまさらながら聞いてみた。
「なぁ、本当に見えるんだよな?」
「もちろん。でも遠くの物はぼやけて見えるの」
遠くの物を見ようと目を少し細めながら緋奈は言った。
「だから、さっきは・・・あんな近づかないと良ちゃんの顔が見れなくて・・・」
目を細めたあと、そのまま目を閉じ、顔を赤くした。
「それでか・・・まぁそれはいいとして、いつ頃ちゃんと見えるようになるんだ?」
「お医者さんは一ヵ月って言ってたよ」
「一ヵ月か・・・長いなぁ」
緋奈はううん、と首を振って
「一ヵ月なんてあっという間だよ」
と言った。その時の緋奈の顔には希望が満ちあふれているように見えた。俺はその顔を見つめた。
そして、ふと思う。
緋奈はこれから何を見るんだろう?
それは俺にはわからないし、緋奈にもわからないかもしれない。
とりあえず、夏祭りの帰りに見たような満天の星空を緋奈と一緒に見たいと思う。
・・・傲慢かもしれないけど、今まで緋奈が見ることのできなかった場所、物を俺が見せてやろう。
「良ちゃんどうかした?」
見つめられていることに気付いたのか緋奈が俺にたずねた。
「なんでもないよ」
そういって俺は笑った。
窓から吹く風と、太陽の光は暖かく、俺たちをやさしく包み込んでくれていた。一ヵ月後が待ち遠しい。
今回も読んでくれて有難うございます早速次に取りかかりますので、では!