媚・日常・外発的で三題話
あ、あ…………ああああ、あぁお腹がすいた。
とあるところにお化けがいた。
お化けは小さくていつも腹を空かせていた。
だが、それ以上にお化けは絆に飢えていた。
お化けは生まれてこのかたひとりぼっちだったので。
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クラスは騒然としていた。
重大なことが起きたというのに、僕らに与えられた情報は酷く少ないものだった。
事件が起きてから一週間が経ち、僕らはようやく学校へ召集された。
まだ朝礼前のこの時間帯。
いつもなら騒がしいクラスメートも静かに席に着いていた。
その中に空の机が二つ、そのうちの一つは僕の隣の席だ。
塗り込めたような静けさと不気味さはそこから教室中に広がり、生徒の日常を蝕んでいった。
苑田 文哉。
机の主の名前のシールは今にも、椅子から剥がれ落ちそうにしていた。
苑田 文哉。
一週間前クラスメートを惨殺した、殺人者。
僕はクラスであまり目立つようなタイプではないが、そんな僕から見ても苑田は地味な奴だった。
空気を読める奴とかそんな次元を超えて、苑田は空気だった。
特定の友達がいないように見えた。
自分から発言をしなかった。
あくまで苑田の行動は、他人がしたことに対するリアクションに過ぎなかった。
外発的な生き方だと、批判する奴もいなかった。
苑田はどこまでも空気だった。
いま顔を思い出せと言われてすぐに思い浮かべられるのは、四〇人編成の学級で何人だろう。
だが、苑田は初めからそんな地味で目立たない奴ではなかった。断言できる。
なぜなら、僕は苑田の幼馴染だからだ。
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お化けはやがて友達を探して旅に出た。
お化けは自分では移動できないので人に憑いて行くことにした。
お化けは人の願いを叶える代わりに運んでもらった。
途中、運んでくれる人間と仲良くなることもあった。
しかしお化けは、途中でいつもお腹が減ってたまらず人間を内側からパリパリと食べてしまうのだった。
お化けはある日、小さな男の子と出会った。
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苑田は体が小さく、そして貧弱だった。
近所の遊び友達のグループの中でおそらく一番足が遅かったので、ずっと鬼ごっこでは鬼をやらされていた。
苑田はそれが不満だったのだろう。よく一人でいじけて家に帰ってしまうことも儘あった。
そんなある日、苑田は遊びに来なかった。
僕らは苑田抜きで遊んだ。
苑田のいない鬼ごっこは緊張感もスピード感もあって、普段よりずっと楽しかったのを今でも憶えている。
次の日、苑田は小学校を休んだ。
高熱を出して倒れたとのことだった。
僕は得体のしれない罪悪感に駆られた。
その日の放課後、苑田の家を訪ねたがまだ熱が下がらないので会えないと門限払いされた。
翌日、お見舞いに行った。
その時のことを、僕ははっきりと思い出せる。
青いロケットのパジャマ。
少し薄暗い部屋の明かり。
ストーブの上に置かれた傷んだやかんから優しく立ち昇る蒸気。どこからかしてくる甘いにおい。
嬉しそうに弾む、苑田の声。
僕が部屋に入ると苑田はベットから上半身をおこした。
思ったよりも顔色が良かった。
僕は安堵すると同時にどこかで拍子抜けした。
「元気そうだね」と僕はあたりさわりのなさそうなことをいう。
すると苑田は、「実はいいことがあったんだ」と息巻いて答えた。
「いいこと?」
好奇心からたずねる。
すると苑田は頷いて満面の笑顔を浮かべた。
「友達ができたんだ」
夢の中でだけどね、と笑う苑田は表情に反して寂しそうだった。
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お化けは男の子に言った。
「ボクを君の中に入れてくれたら、なんでも願いを叶えてあげるよ」
男の子は目に光を灯し、けれど弱弱しい声で願いを言った。
「ぼくの友達になって!」
お化けと男の子はすぐに仲良くなった。
お化けも男の子も今までに感じたことがなかった充足感と幸福を感じていた。
しかし、お化けは同時に深い悩みの渦の中にいた。
お化けは、お腹が空いてきたのだ。
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苑田が変わりだしたのはその時からだった。
苑田は遊びの途中で怒って帰ってしまうことがなくなった。
基本的に怒らなくなった。我儘も言わない。
中学校に入るころには、苑田はいつも顔面に薄い笑顔を浮かべているようになった。
媚を売っているわけでもないのに、まるでそれ以外の表情を忘れてしまったように、いつでも笑っていた。
ただ波に身を任せるクラゲのように、苑田は流されることをよしとしているように見えた。
僕は苑田とだんだん疎遠になってきていた。
そして、一週間前。
朝礼に苑田が出なかった。
その後も現れない苑田を心配して、担任が苑田の自宅に連絡を入れたがいつもどおりの時刻に家を出たという。
苑田は学校にいた。
学校の旧校舎の普段、人が通らない所。
周りの校舎と自身を返り血で赤くしていた。
握っている包丁で目の前の死体を切っては口に運ぶ。
切っては口に運ぶ。
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お化けは男の子と一緒にいたかったので、男の子を食べたくなかった。
しかし、お腹が減ってお腹が減ってたまらなくなり、お化けは男の子の中身を少し食べてしまった。
そういうことが何度かあり、男の子の中はぽっかり空洞ができてしまった。
これ以上は食べられなかった。これ以上食べれば、男の子はすっかり消えてしまうだろう。
お化けは友達を失いたくなかったので、他の人を食べることにした。
パリパリモグモグごっくん。
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苑田はもう正気ではないのだという。
口を開くと、お化けと男の子の気味の悪い話をするのだそうだ。
その内容を聞いて僕はあの日を思い出さずにはいられない。
嬉しそうに友達ができたと言う苑田に、それがなんだか悔しくて、お化けと男の子が出てくる出鱈目な気持ちの悪い話をした日を。
おしまい。