私、わからないの……◯◯のことが
大型トラックの長距離ドライバーなんて仕事をやっていると俗世間のことに疎くなる。
世の中のニュースなんかはラジオを聞くひとにはわかるだろうが、運転中はずっと自分の好きな音楽を流している私などは、現在海のむこうで起こっている戦争のこともつい最近まで知らなかった。
まるで山の上で暮らしている仙人のようである。
でもたまの休日には同じ女性ドライバーの同僚と買い物に出かけたりはする。
「あっ、見て! たまこさん」
私が言うと、ドライバー仲間のたまこさんが私の指さすほゔを見た。
「おおっ! あれは……」
たまこさんの目が輝く。
「なんて素敵な腰痛対策クッション!」
すかさず二人お揃いでそれを買って、特大のビニール袋に入れたそれを下げて、ショッピングモールの廊下をホクホク顔で歩いた。
「まさかショッピングモールにトラックドライバーの腰痛軽減グッズが売ってるとは思わなかったねー」
「トラックドライバー専用じゃないからねー。でもこれ長時間運転にぴったり!」
ずっとトラックの中で生活しているようなものなので、お洒落なものは必要ない。こんなふうに下界を歩くなんて月に数回だけなのだ。お洒落な服とかいるわけがない。今日も二人とも会社の制服姿だ。
「あ、お腹減ってきた」
「私も、私も。なんか食べよっか」
二人並んで特大のビニール袋を下げて、フードコートへ入っていった。
「何がいい?」
「ラーメンかな。それともあっちの特盛定食にする?」
女とは思われない会話をしながら、結局特盛カツ丼にすることにした。
席に向かい合って座ると、たまこさんの顔をよく観察することができた。
正確には知らないけど50歳ぐらい? 私よりも一回り年上だ。旦那とはだいぶん前に別れて、二人の子どもを育てているという。
苦労が顔に刻まれてる。
子どもたちが独り立ちするまであとわずか、今が頑張り時。もう少しだ、頑張れ! と、独身の私はお気楽にそんなことを思った。
「おぉ……。うめーわ、このカツ丼」
笑うとたまこさんは顔がシワだらけになる。
「たまごがとろっとろ! カツがサクッサク! ユミちゃんのはどう?」
たまこさんは卵とじカツ丼、私はソースカツ丼だ。
「うん、うまいっ!」
私はほっぺたをおさえながら、たまこさんに答えた。
「トンカツもうまいけどキャベツが嬉しい! どっさりキャベツが……」
その時、たまたま隣の席の声が聞こえてきたのだった。
「わからないの……私、わからないの……」
横目で見ると、隣の席に、二人の若い女の子が向かい合って座っていた。大学生のようだ。食べているのは二人ともかわいいサイズのフルーツパフェだった。
一人の娘が深刻な顔でうつむき、もう一人の娘がその相談を聞いているようだ。
「彼のことがわからないの。私、こんなことで恋人を続けてていいのかな……」
私とたまこさんは時が止まったように箸を止めて、聞き耳を立てた。
「彼……、胸の内に……さ、なんか……隠してると思う。私の知らないことを……。私にそれを話してもくれなくて……」
新鮮だった。
一年のうち八千時間ぐらいをトラックの中で過ごしている私には、とても新鮮な話題だった。きっとたまこさんにとっても新鮮で、そして懐かしいような話題だろう。彼女の顔をチラリと見ると、懐かしさに目を細めている。
「私、わからないまま彼の恋人なんて、続けてらんない……っ!」
女の子がテーブルに顔を伏せてしまった。友達らしいもう一人はどうしていいかわからないらしく、ただオタオタとしている。
羨ましいな……
そんな恋バナなんて、私、どれくらいしてないだろう……
「たまこさん……」
私は思わず箸を置き、真剣な顔で向かいに座るひとを見た。
「私……、わからないの……」
「えっ?」
たまこさんは隣の会話に気をとられて止めていた食事を再開しながら、私の相談に耳を貸してくれた。
「どうしたの、ユミちゃん?」
「私、わからないの……。松原ジャンクションのことが……」
「松原ジャンクション!?」
「うん。あそこ、どの車線にいたら阪和道に行けて、どの車線にいたら西名阪道に行けるのか──いまだによくわからなくて……っ」
「えー? わからんかなー……。わかりにくいかぁ〜?」
「近畿道のほうから行ったらわかるんだよ。でも、阪神高速湾岸線から行った時、すぐに一番左の車線に寄っとかないと阪和道に入れないの知らなくて──。あそこ、色んな道が交差してるから……わかりにくいの……っ!」
恋に悩む女の子のように、私はテーブルに顔を伏せてみた。
「あたし……こんなことで……トラックドライバー続けてていいのかな……」
たまこさんの憐れむ心が伝わってきた。
恋バナなんてできない代わりに複雑なジャンクションの話をする女子なんて、女子ではあるまい。同情されて当然だ。
でもたまこさんは、私を優しく慰めてくれた。
「大丈夫よ、ユミちゃん。松原ジャンクションなんかわからなくても、あなたはもっと複雑な鳥栖ジャンクションを間違えたことないじゃない。あと、あの迷路みたいな首都高速を迷わず走れるんだもの。もっと自信をもちなさい」
私は顔を上げ、にっこりと涙顔を笑わせた。
そうだよね、松原ジャンクションのことがわからなくても、他にいいジャンクション、あるもんね?
ひとつの終わった恋にさよならを告げるように、ソースカツ丼の重みが、お腹の中を駆け抜けていった。




