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冥土の土産にしても限度はある

 時間が止まっているかのようだった。

 僕はその場から動くことが出来ず、彼女もまた、座った姿のままでこちらに頭を垂れたまま静止していた。

 花のような香りがフワリと届く。白檀と何かが混じり合ったかのような……それは、お風呂で嗅いだものと同じものだった。


「君は……」


 何だ? 再び口から疑問が出ることはなかった。動かぬ彼女はただ沈黙を貫いている。

 目を閉じて、こちらに忠誠を誓うかのような姿勢のままでそこに在る様は、本当に置物か人形のようだった。

 十秒が過ぎて三十秒。

 一分がいつしか三分に。

 永遠に続きそうな互いに何もしない状態がひたすら流れていき、いよいよ時間の感覚がおかしくなりそうになってきた辺りで、僕はどうしてこうなったんだっけ? なんてありふれた疑問が浮かび始めていた。

 あまりにも無音にして不動。今なら途方に暮れているという状況を世界一体感している自信が生まれてしまいそうだった。

 どうすればいい? 何が最適解なのか? 

 またクローゼットに仕舞えたならいいが、近づくのは怖いし、出来れば触りたくもない。

 少女の見た目は確かに美しい。身に纏う着物も素人目ながら上等そうなものだ。よく見ると葡萄の刺繍がしてあり、細部の造形に作り手のこだわりが見えるようだ。……本当にこうして何の予備知識もないままに彼女を見たら人間と区別がつかない。


 “だから怖い”


 この現象、昔テレビで解説を観た気もするが、何と言っていたか。ちょっと思い出せない。


「もう、誰でもいいから助けてよ……外に連れてってくれ」


 弱気になり、思わずまた独り言が漏れてしまう。 

 でも、外に捨てる。それ自体は悪くない考えだろうか。これで部屋に戻ってこられたら、いよいよもって呪いの人形そのものになってしまうが、試してみる価値はあるかも……。

 やってみるか? その考えが固まりかけたその時だ。

 不意にすぐ前から衣擦れと何かが動く気配がした。


「えっ? ……っ!?」


 顔を上げる。目に入ってきたのは……メイド人形が、ズリズリズリと正座したままこちらに這いずり寄って来る姿だった。


「う、――うわぁ!?」


 短い悲鳴を上げて後ろに飛び退こうとするも、すぐ後ろにはベッドがある。

 結果、僕は無様にベッドへ尻もちをつく羽目になった。

 ヤバい。そう思った頃にはメイドはすぐそばまで接近していた。

 音もなく立ちあがったメイドはまるでこちらを覗き込むかのように近づいてきていて……僕はそこで初めて、彼女の顔を見た。


「……あ」


 “目と目が合う”

 最初は御札で封じられ、その後も固く閉じられていた瞼が今は開かれていた。

 吸い込まれそうな、宝石みたいに綺麗な青紫の瞳が僕を映している。浮世離れしたその虹彩から視線が離せなくなって……自分の手がヒヤリとした感触に包まれているのに気がついた頃、僕はベッドから助け起こされていた。


「お外へ、お連れします――ハルト様」

「えっ? ちょっ――」


 グイグイと引っ張られ、僕はあれよと言う間も、ありとあらゆる疑問や謎を考える暇すら与えられぬまま――気がつくと強引に外へ連れ出された。


 ※


 そもそもお風呂上がりであり、僕はパジャマ姿だった。しかも強引に連れ出されたせいで靴すら履けぬまま……今は隣に和服のメイド少女の人形を控えさせたまま、部屋の入口に立たされている。


「……何でだよ」

「次はいかがいたしましょう?」

「いや、あの。どうして外に?」

「連れ出せと……ご要望でしたので」

「は? そんなこと言ってな……あっ」

「……次はいかがいたしましょう?」


 控えめかつ無機質な声で人形少女は僕を見つめたまま、こちらの質問によどみなく答える。

 身に覚えがない要望についてはしばらく考えてから、ついさっき何の気なしに漏らしていた独り言を思い出した。

 嘘だろ? アレに反応した?

 というか、本当に今更ながら隣にいる人の形をした何かは当たり前のように動き、話し、瞬きまでする。一体どうなっているのか。

 尽きない何故の気持ちとは裏腹に、現実は容赦なく僕に襲いかかる。

 いかがいたしましょう? と再三聞いてくる人形からは妙に圧を感じるし、四月とはいえ夜は冷える。

 アパートの廊下をひゅうと風が吹き抜けて……僕は思わずブルリと身震いした。


「寒っ……」


 誓って無意識で、何の意図もない一言だった。

 だが、隣にいた人形はそう思わなかったらしい。


「……寒い。……かしこまりました」


 えっ? と、僕が反応した時には、メイドはエプロンを取外し、シュルシュルと着物の帯を解き始めている。

 寒さとは別の意味で僕がヒヤリとしたのは言うまでもなかった。


「ちょっ! 待て! 待てぇ! 何してんの!?」

「寒いと仰られたので、追加のお召し物を……」

「暑い! 気の所為だった! 暑いなぁ! あぁ暑い! 追加で着るものは要らないなぁ!」

「暑い……かしこまりました」


 咄嗟に出た言葉だったが故に、こんなことを言ってしまったら、この後どうなってしまうのか。

 その想像力が足りていなかったと言わざるを得なかった。

 メイドは再び、無機質な返答と共に有無を言わさぬ勢いで僕のパジャマに手をかけると、目にも留まらぬ速さで上着のボタンを外し始めた。


「何やってんのぉ!?」

「暑いとのことでしたので、お召し物をお預かりいたします」

「よしわかった! 君さてはバカだな!? ただのポンコツだろう!?」

「私はハルト様のメイドです。バカでもポンコツでもございません」


 その返しがもうバカっぽいんだよぉ! と叫ぶが説得に意味はなかった。

 とにかく必死に彼女を引き剥がそうとするが、このメイドは圧ばかりか無駄に力まで強くて始末に負えなかった。


「はっ、離せぇ!」

「ですがまだお召し物を回収できておりません」

「何で離せって言葉は聞かないんだよ君!」

「メイドは離すものではございません。常におそばにいるものです」

「このバカメイドが……! ってこら! 止めろ! 息を吹きかけるな! 冷めないよ! 僕はラーメンじゃな――普通にくすぐったいからやめろぉ!」


 フーフーと胸板に息を吹きかけられたばかりかついにはズボンにまで手をかけられて、いよいよ僕は己の社会的危機を感じ始める。

 今更ながら彼女の着物も僕のパジャマも完全にはだけてしまっている。見た目だけは麗しいメイドさんの肌にドキドキする余裕は……残念ながら全くない。

 胸にサラシが巻かれているのは確認したが、それがどうした。むしろ、このままでは僕がお縄につく羽目になってしまうではないか。冗談じゃない。


「――っ! うん! 寒い! わがままでごめん寒い! 部屋に連れてって!」

「寒暖の感覚が不安定……まさかハルト様、具合が……!」

「いや大丈夫! 悪いのは君の頭だけだ!」

「自覚がないのは危険です。すぐにお連れします」

「ホントにな! 自覚ないって怖いね!」


 僕の皮肉なんて聞き流し、メイドは僕を横抱きにする。

 ……人生初のお姫様抱っこであった。される側だけども。とにかくこれで通報は回避……出来たと思っていた。


「あ……」


 身体が荷物みたいに持ち上げられたせいで僕の目線は自然とその場より遠くへ向けられる。

 今更ながら僕達がいるのは部屋から出てすぐ。即ちアパートの共用玄関の前だった。

 そんなところでアレだけ騒いだら……一人くらいは様子を伺うべく、部屋の入り口から顔を出してもおかしくはないだろうという話である。


「は……はわわ……」


 ――案の定、僕達のバカげた攻防戦は、バッチリと目撃されてしまっていたらしい。

 僕の部屋……201号室は廊下の一番奥にして角部屋なのだが、そのすぐ隣。202号室から、眼鏡をかけた茶髪の若い女性がヒョコッと顔を出していた。

 彼女は顔を耳まで真っ赤に染めながら目を見開き、口をパクパクさせながら、僕とメイドの格好に何度も目線を行き来させていた。――お隣さんとしては最悪のファーストコンタクトとしか言いようがなかった。


「ち、違……」


 思わず弁明しようとするが、時すでに遅し。

半裸の僕は半裸の和服美少女に逆お姫様抱っこされたまま……隣人の目の前で部屋の中へと連れ込まれてしまったのである。


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