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オカエリナサイマセ

 身体の水気をバスタオルで拭き取り、寝巻きを着込んで髪にドライヤーをかけてから、僕は未だに早鐘をうつ心臓を抑えるようにそっと胸に手を当てた。

 今この部屋にて煌々と明かりが灯っているのは、僕が今いる脱衣室だけ。

 それ以外の部屋の電気は、全て何者かによって消されていた。

 少なくともリビングも電気はついていたが、そこも真っ暗。玄関は元々鍵がかけられていたので……普通に考えればこの部屋に僕以外の誰かがいるということになる。


「……よ、よし」


 気を抜くと震えそうになる身体を鼓舞しながら、僕は一気に脱衣所を飛び出し、玄関ホール、そこからリビングに移動しつつ、パチン。パチンと電気のスイッチを入れていく。

 こうして電源が生きている以上、やはりブレーカーが落ちたわけではないらしい。

 リビングに入ると、すぐに右手には壁越しに安置された収納付きベッドと、まだ荷解きが中途半端ないくつかの段ボールが目にはいる。

 左側にキッチンに続く小空間。形はちょっとしたバーで見るオープンキッチンみたいで、反対側にカウンター席みたいな部分が備え付けられている。この物件で気に入っているポイントの一つだが……。

 今はそれを見てニヤける余裕はない。

 ベッドの上に無造作に置かれたスマートフォンが、ピコピコと緑色のランプを点滅させているからだ。

 不在着信のサイン。かけてきたのは……想像通りアパートの管理人さんだった。

 時刻は夜20時に差し掛かろうとしている。他の仕事だったとは確かに言っていたけど、それこそどこかに空いてる時間がなかったのか。他にも次から次へと不満は芽生えてくるが……今はいいだろう。

 すぐに話を聞くべきだ。少なくともこの部屋が普通ではないという事実は嫌という程に体感したのだから。

 折り返しの通話をタッチし、待つこと数秒。


『もしもしぃ。内谷(うちや)さん申し訳ありませ〜ん。立て込んでおりましてぇ』


 間延びした若い男の声。今朝、僕に部屋の鍵を渡してきた、管理人さん。名刺では確か……戌亥(いぬい)さんだったか。


「何度も電話をしてしまい申し訳ありません。ちょっと問題点が……沢山」

『も、問題……ですかぁ?』


 さて、どこから切り出したものかと思ったが、こういうのはシンプルでいいだろう。


「その、値段と……ここに来て実感したんですが、このサンドボックス201号室って――もしかしなくても事故物件だったりしますか?」

『…………』


 入居初日に騒ぐ酷い奴だとは思う。勿論、薄々察していながらもここを選んだのは僕であるので、その辺についてはあまり文句を言う気はない。ただ、そういうものか否かをしっかりと管理人から聞きたいだけだった。あと、あの不気味なメイド人形は引き取って欲しい。


「別に出ていったりする予定は、命の危険がないかぎりはないです。ただ、確認したくて。……扉の御札とか……」

『……他の部屋の住人とか、ですよねぇ』

「……ん?」


 少しだけ疲れたような戌亥さんの言葉に、僕は思わず首を傾げる。他の住人? それが事故物件とどんな関係がある?


『アレ? 他の人に遭遇したから、私に連絡してきたのでは?』

「え? いやいや違います! 他の人とはまだ……。聞きたいのはドアの御札とか……」

『ああ、アレは201号室に限らず先代から部屋が空いたら必ず取り寄せて、次の住人が来るまでは貼っておけと言いつけがありましてね』

「……僕の部屋だけじゃ、ない?」

『ええ、なので剥がしても問題はありませんよ。物凄い念をおされたので、怖くて今も守っていますが……。過去の記録を見る限りこの、土地やアパートで何かがあった。とかは無いようで』


 律儀に続けてる私が言うのもアレですが、何なんでしょうね? と、おどけたように戌亥さんは笑っていた。

 一方で僕はあまりにも拍子抜けするような種明かしに、スマートフォンを持ったまま固まってしまっていた。

 御札は問題なしらしい。だが、戌亥さんの口ぶりからして事故物件だと思われかねない他の要因が明らかにあるようだった。即ち――。


「あの、さっき事故物件か聞いて真っ先に住人の話が出てきたんですが……もしかして」

『…………こう言っては心苦しいのですが、非常に我が……ではなく、個性的な方が多く住んでおりまして』

「あの、今我が強いって……」

『ユ、ユニークな方が多くて。少々御近所トラブルになったり、ならなかったり』


 戌亥さんの声が何となく苦々しいものを含んでいるような気がするのは、絶対に気の所為ではないだろう。つまりは部屋云々ではなく、サンドボックスそのものが事故物件と言われてもおかしくないくらいに凄い人達が住んでいて、それ故にあんな破格の値段で叩き売られていた。ということだろうか?


『こ、こちらから干渉しなければ無害ですので。皆さんも積極的に他人と関わろうとはしておらず……犯罪なども犯していない……筈ですし。――多分』

「た、多分!?」

『なので、申し訳ありませぇん! 入居している方にこんなことを言うのは心苦しいのですけど……何卒、御近所付き合いは控えていただけるとぉ……』

「は、はぁ……」


 とんでもない言い草だが、このご時世にアパート内での近所付き合いなんて、余程のことがなければ成立しないように思える。

 引っ越しの挨拶なんてする気もないし、深く関わろうとは元々考えていない。なので、これに関しては頭の片隅にでも留めておけばいいだろう。

 他の住人には極力関わらない。簡単なことだ。


「取り敢えず、承知しました。この部屋そのものは事故物件ではないということで。じゃあ最後になるんですが……」

『えっ!? まだあったんですか? ……他に思い当たるのは、何も無いんですけど……』

「いや、今から話すことが一番困っているといいますか……。部屋に置いてあったメイド人形。アレ、何ですか?」


 寧ろこれが一番の謎だし、何なら変な住人らよりよっぽど怖い。募集にあったメイドさんつきに偽りはないとは言えども、演出というにはやりすぎ……。


『メイド、人形? 一体なんの話です?』


 ヒヤリと。部屋の温度が下がる錯覚に陥った。


「い、いや……メイド人形ですよ? 部屋に入ったら置いてあって……」

『ちょ、止めてくださいよぉ。そんなジョークは。確かにメイドさんはつけると書いてますが、それは私の従姉妹がそうなる予定でしてね』

「……はい?」


 曰く。部屋に引きこもり出てこない穀潰し。

 あまりにも働かないので激怒した彼女の両親が戌亥さんに何でもいいから仕事に使ってくれ。と懇願し、ならば家政婦のバイトでもさせよう。なんて流れだったらしい。

 引きこもりだった女の子にそれはイジメでは? と思わなくもないし、個人経営特有な身内に振る無茶苦茶な仕事の典型にも見える。

 とにかく、管理人の事務所から通わせる家政婦さん。みたいな展望かつ、入居者が希望したら導入する予定だったらしい。が、僕が断ってしまったので、彼女は晴れて事務員になることが決定したのだとか。


「でも僕、その従姉妹さんには会っていませんよ? 部屋に来る予定ではあったのでしょう?」

『ん? おかしいですね? 電話でお断りされたと聞きましたが?』

「……僕、電話してません」

『ああ、代理の者ですと名乗っていたとか。従姉妹は――言葉に棘があった。絶対彼女だよアレ。リア充め――と、呪詛を吐いていましたよ』

「……代、理?」


 そんな筈はない。あり得ないのだ。だってここがメイドさん付きと知ってるのは僕と両親くらい。ただ、両親は多忙だし、間違っても断りの電話なんてかけはしないだろう。

 何なら母に至っては「せっかくなら家政婦さんに世話してもうのもアリじゃない?」と言う始末だったのだから。


「な、名前とかは?」

『そこまでは。ああ、ただ――』


 戌亥さんの返事を待たずに、僕は猛烈に嫌な予感がしてベッドからクローゼットへと移動する。

 閉めた筈の扉が……半開きになっているのに気がついたからだ。


『――綺麗な声の、女性だったと聞いております』


 止めてくれ、頼むからもう止めてくれ。

 そんな願いは届かなかった。だってこの時点で――最初から部屋にいたメイド人形の謎は、誰にも分からないものになってしまうのだから。


『あっ、内谷さん申し訳ありません。そろそろ時間が……。また何かありましたらお電話をお願いします。すぐには対応できないかもしれませんが』


 通話はあっさりと途切れてしまう。

 それじゃダメじゃないか。今まさに問題が継続してるよ! なんて文句は、もはや出なかった。

 クローゼットの扉を完全に開いた僕の身体はただ恐怖で震えていて、声なんて出せる状態じゃなかったからだ。

 事故物件ではない? そんなわけあるか。だったらどこの世界に――勝手に動く人形が備え付けの部屋があるというのか。


「……冗談じゃないよ……!」


 空っぽになったクローゼットを確認してから、僕は悪態をつきながら部屋の一角を睨みつけた。13.4畳という絶妙な広さと間取りが悪い方に作用していたらしい。

 僕はこの部屋に戻って来てから、不在着信のスマホにばかり目を向けてしまっていて、部屋の隅々までは確認しなかったから……ソレに気づけなかったのだ。


「何なんだよ……君は……!」


 ベッドが置かれている所とは真逆な部屋の左端には……。仕舞っておいた筈のメイド人形が、三つ指ついて座っていた。

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