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説明書にはそう書いてあるけども

『メイドは断りたい? 承知いたしました。お部屋に着きましたらいらっしゃると思いますので、その旨をお伝えください。双方同意の上であれば大丈夫です』


『ああ、先にお伝えしておきますが、退去時に壁や床の傷や汚れによる追加料金はいただいておりません。お好きに過ごしていただいて構いませんよ』


『部屋は事前に“掃除”しております。壁や床、戸などに貼られているものは業者が完了した旨を伝えるものですので、剥がしていただいて問題ありません』


『あ、私はこれから他の仕事で出かけますので、何かあれば電話連絡をお願いします』


 ここに来る前に管理人の男に言われた言葉だ。因みにアパート『サンドボックス』は個人で管理している物件らしく、マンションのすぐ近くに管理人の自宅兼事務所がポツンと建てられていた。

 何かあれば電話するかここに来い。そういうことなのだろう。

 ……さっき鍵を貰ったばかりなのに、もう通話したくなってしまっているが、多分僕は悪くない。

 何回見ても部屋のドアにはいかにもな御札がベタベタ。……これが、掃除完了の印? 一体何を掃除してたの? そもそもこれ、本当に剥がしていいの? 等、叫びたいことがこの僅かな時間で沢山出てきてしまっている。


「……っ、ふぅ〜」


 焦る心を落ちつけるように深呼吸する。

 出鼻は挫かれたが、まだ慌てる時間じゃない。元々変な物件らしいということも承知の上でここを選んだのだ。御札の一枚や二枚くらい何だというのか。

 寧ろこれならば変な勧誘や訪問も遠ざけられるに違いない。壁にポスター等貼り放題だというならば、ドアにちょっと奇抜なものを付けるのも大丈夫だということ。つまり問題なし! ……決して剥がしたら何かの封印が解けそうだから放置することにしたのではない。ないったらない。

 という訳で、僕は勢いに任せてドアに鍵を差し込んで、新居の中へ足を踏み入れた。

 入りたての部屋特有のまっさらな建物そのものの香りが鼻に届いた。

 入口でいきなり写真詐欺にあった後なので、異臭がしたり、なんなら床や天井に怪しい染みがあったり、また御札でびっしりコーティングされていることも覚悟していたが……どうやら杞憂だったらしい。

 部屋の中は拍子抜けするくらい綺麗な状態だったのである。


 サンドボックス201号室はワンルームではあるが、玄関にちょっとしたホールと備え付けの下駄箱があった。

 ホールに入ってすぐ左側には扉があり、そこは洗面台と脱衣室。そしてお風呂へと繋がっている。

 逆にホールから右側はほんの少し奥行きがあり、最奥突き当たりはトイレ。その手前右側の壁に物置用の大き目な収納スペースがある。

 最後は正面だ。そこにはリビング……キッチン付きかつ13.4畳の居住スペースにつながるドア。これからの生活において自分の拠点となる場所だ。

 今はまだ何も置かれていないが、これから持ち込む色々なもので自分の部屋を改造していける。その事実が否応なしに僕の胸を高鳴らせた。

 靴を脱いで、リビングのドアを開ける。何もない状態の部屋は極論ではあるが今しか味わえない。今日はこれから様々な家具や私物が届くので、そのわずかな時間を大いに楽しむことにしよう。


「ただい…………ま………えっ?」


 そんな未来への希望に満ちたマイルームへの第一歩は……。部屋のど真ん中に安置されていた存在を目にした途端に、ビタリとその場で中断された。

 人は理解不能なものに対峙すると声も出せず、動けなくなるという。その例は今まさに僕に適用されていた。

 きっかり十秒。僕はその場で縫い付けられたかのように立ち尽くし。ようやく思考と現実が追いついてきて、そのまま数歩下がってリビングのドアを閉めた。

 一時撤退。この判断は間違っていないはずだ。だって施錠されていた僕の部屋に“先客”がいたのだから。


「…………いや待て。待て待て待て」


 思わず出る独り言。自分の心臓の音がやけに早く、大きく聞こえるようだった。

 そんな筈はない。幻覚だ。そう言い聞かせながらもう一度、今度はドアをほんの少しだけ開けて、その隙間からリビングを覗き込む。

 自分の部屋で何をしているんだと傍から見たら言われそうなものだが、これは仕方がないだろう。

 何もない部屋にちょこんと和服姿の女の子が正座していたら……誰だってこうなると思うのだ。

 見間違いではなかった。確かにそこにいる。ただ……その姿と状態が問題だった。

 見た所、歳は僕と同じくらいだろうか。上下の誤差があったとしてもニ、三歳程度だと思うが、正確にはわからない。

 臙脂色の和服を着込み、その上に割烹着を思わせる白いフリルのついたエプロンをつけている。

 肌は蝋のように白く血管すら透けて見えるかのよう。

 髪は黒。それは輝くような艷やかさと、座り姿から見ても腰ほどまで届く長さを有していた。

 美しい少女……なのだと思う。そんな曖昧な表現になったのは、彼女の表情がここからではうかがえないからだ。

 いや、もっと具体的に言おう。物理的に隠されていた。

 両目はまるでアイマスクのように横向きで御札が数枚貼られ。口には猿轡を噛まされて。よく見たら身体にもロープが……ちょっと目のやり場に困る形で結ばれて、後ろ手に拘束されていた。

 十人にこの状況は? と尋ねたら、十人が拉致監禁中。もっと俗な方向の話に捻じ曲げたら、特殊なプレイ中の図と応えるだろう。それくらい酷い光景が、僕の新居にて起こっていた。


「け、警察……! いや」


 呼ぶべきだろうか? でもその前に――。


「あ、あの! ここにこれから住む者なんですけど……どちら様でしょうか? というか……だ、大丈夫?」


 耳には何の拘束もなかったので、僕はドアごしに彼女に話しかける。意識の有無次第では警察より救急車かも。そう思ったのだが、少女から反応はない。

 身動ぎ一つせず、彼女はただそこにある。どちらかといえばそれは人というよりも――。


「あの、もしもし? 君は一体……って、ん?」


 根気よく話しかけるが、やっぱり反応はない。どうしたものかと感じたところで、僕はそこで初めて、彼女の膝上に何かが置かれているのに気がついた。

 白いフワフワした布フリルのついたヘアバンド。俗に言うメイドカチューシャだ。

 僕はそこで思わず天井を仰いだ。

 なるほど、確かに間違っていない。部屋に着いたらメイドは“いらっしゃる”と言ってはいた。でもそれは後から予定の者が来るから対応してという意味だと思っていたのだ。

 こうして部屋にこんな形でいらっしゃるとは思わないじゃないか。僕にどうしろというのだ。


「あー! クソっ!」


 とにかく、拘束は解いてあげよう。話はそれからだ。というかここまで不動だといよいよ怖くなってきた。異臭はしないから死体ではないと思うが……。

 意を決していつでも飛び退いて逃れる体勢――へっぴり腰とも言う――を維持しながら、僕はメイドさん(仮)に近付いていく。

 御札はテープ式なのか分からないが、ぺったりと彼女の目に張り付いているようだ。まずはコレを……。

 そう思い手を伸ばした矢先だ。

 ピンポーン! と、甲高い電子音が部屋内に響き渡り、僕は思わず「のわっ!」と変な悲鳴を上げてしまう。

 音源に目を向けると、リビングに備え付けられたインターフォンのモニターに作業服を着た男性二人組が映っていた。


『こんにちは〜! イデア・スリーパーで〜す! ご注文されていたマットレスと組み立て式ベッドをお届けに参りました〜』

「あっ、はい。ご苦労さまです。すぐにうかがいま……」


 ああ、さっそく最初の荷物が届いたなと僕は玄関に行きかけて、言葉を詰まらせる。

 せっかくなのでマットレスはそれなりに大きくて立派なものを。ベッドも組み立て式で収納スペースが沢山ついたちょっと凄いのを頼んでいた。『イデア・スリーパー』は特に評判がいい寝具のメーカーで、理想の寝心地をアナタに。なんてキャッチフレーズが有名……ではあるが、今はどうでもいい。

 問題なのは、このオーダー。玄関口ではなく、部屋の中まで運んで貰うよう手続きしてしまっているばかりか、ベッドの組み立てまでお願いしていたのである。

 つまりそれは……。ここに人が入ってくるという意味で……。


「ちょ……ちょっとだけお待ちくださいぃ!」


 無我夢中だった。冷静さも欠いていたといえよう。拘束を解く暇はなく。ここで万が一彼女に叫ばれても色々終わる。ならばもう、隠すしか無かった。

 さっきまでのビクつきが嘘のように僕は正座する彼女を抱きかかえ、猛烈に部屋中を見回した。

 目についたのは……リビング内に備え付けてあるクローゼットだった。


「――ごめん!」


 僕は小さく謝罪しつつ、彼女をそこに押し込んでドアを閉める。

 少しだけ触れ合った肌はびっくりするほど冷たくて。何よりも……不思議な違和感があった。


「……軽い? てか……」


 彼女、息……していただろうか?

 そんな疑問は再び鳴ったインターフォンの音で押し流される。今度は実家からの荷物が『猫の宅配便』で届いたらしかった。

 結局、諸々の荷物が届くまでの間、メイドさん(仮)は押し入れにしまわれたままとなってしまった。

 ……何も悪いことをしていない筈なのに背中にびっしょり汗をかいてしまったのは……不可抗力である。


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