漫画・アニメの悪役のセリフを格言のように持ち上げる人がいる。
漫画やアニメに限らず、フィクション作品には往々にしてその話の中で否定される役回りの悪役が登場する。断っておくと、立場や出自であるとか善人・悪人などと言った括りではなく、物語のテーマ的に否定される存在という意味である。
例えば、欲望を叶えることを全肯定し、どんな手を使ってでもより多くのお金を稼いだ人が正しいという価値観で作られた物語においては、他人を騙して大金を手に入れる詐欺師が肯定されて主役となりうるし、金儲けを否定し慎ましく生きようとする人間は、主人公を引き立てるためのモブであったり、徹底的に否定されるやられ役になる可能性が高い。
しかし、清貧に生きることを理想とする物語においては、両者の立場は逆転することになる。実際の物語はテーマが入り組んでおりもっと複雑な要素が絡んだ作りとなっているものもあるので、一概にこのような考え方が正しいとは言えないのだけれど、あえて単純化してみた。
同じような言動や考え方をする人物であっても、ある物語では主役となり、別の物語では悪役になることもある。重要なのは個々の物語のテーマに照らして、その人物、言動がどういった立ち位置になるのかということだ。
物語の受け取り方は人それぞれであるし、悪役の考え方にも一理あるという前提で組み立てられている物語もあることは理解しているが、お話の中で明確に否定されている悪役のセリフや考え方を金科玉条のように振りかざし、あたかも正論であるかのように言いふらす様を見ると違和感を禁じ得ない。
切り抜き動画やらSNSの投稿でそのようなものを目にすると、なんとも悲しい気持ちになることがあるのだが、同じような経験をしたことがないだろうか。
悪役というのは物語の進行上、主人公に立ちはだかる存在であり、そのセリフや立ち振る舞いは印象強く描写されることが多い。強烈な印象を受け手に与えることで主人公側との対比を明確なものにすることができ、物語のテーマをより深掘りすることに繋がる。受け手に与えた衝撃が大きければ大きいほど、打倒された時のカタルシスも大きくなる。
物語の要請上、悪役というのは圧倒的な存在感を持つことになるのだと思うのだけれど、その勢いというか巨大さに圧倒され、受け手がその考え方を真に受けてしまうことがあるのかもしれない。まして、本編を知らずに一場面だけ切り抜いた情報を見た人の目には完全な正論に見えてしまう可能性も大いにある。
刹那的な消費が横行している現代社会において、人の注目を集めるには過激な物言いをしなければならないという強迫観念に染まってしまった人も多いように思える。そういった人たちが自覚の有無に関わらず、物語の中で否定されている悪役のセリフや考え方を格言のよう持ち上げて拡散している様子は多くの人にとって不幸な結果を招くような気がしてならない。
作り手にとっては物語の意図が真逆に広められてしまうことは本意ではないだろうし、受け手としても真っ当に物語と出会うことを邪魔されることになりかねない。
冗談のような話だけれど、否定されるべき考え方として悪役が口にした言葉が、さも作り手の主張であるかのように言いふらされている映画も存在する。終わりまで観れば作り手の伝えようとしているメッセージは悪役のものとは真逆であると分かるはずなのだが、ネットの評判が先行して、その映画や同じ監督の作品は観たくもないと言い出す人も出る始末。
どんな感想を抱いてもその当人の自由だけれど、その考え方を不特定多数に押し付けることが出来てしまうのが、良くも悪くも現代社会の特徴であり、そのおかげで見つかる物語もあれば、そのせいで取りこぼしてしまう物語もあるように思う。
幸運なことに、世の中には素晴らしい物語がいくつも存在する。けれど、その全てに触れることはどんな人間にも不可能なことで、限られた時間でどれだけ自分にとって大切な作品を見つけることが出来るかが人生の豊かさに繋がっていくことになると思う。誰かが切り取った情報だけで分かった気になって、唯一無二の価値があるかもしれない物語を取りこぼすことになってしまってはもったいない。ネットミームやバズっている投稿を条件反射的に魔に受けたり闇雲に拡散したりすることは、自分だけでなく他人の人生の楽しみを邪魔をする可能性もあるので、控えた方が良いと考える次第。終わり




