【002】封印された過去
神楽木夫妻は、誰もが知る天才役者だった。
若い頃から最前線で活躍し、全盛期には夫婦揃ってあらゆる賞を総なめした過去を持つ。男は神楽木弘、女は松村栞(旧姓)と言われるほどに、役者界のスターとして名を挙げられていた。
そんなビックカップルが結婚ともなれば、世間は大いにざわついた。
今から約二十年前、絵に描いたようなスター同士の結婚に、歓喜と一部の悲鳴が飛び交った。新聞は一面を染め、会見には過去類を見ない数の記者が集まり、ニュース番組はしばらくジャック状態だった。
だからこそである。
結婚から五年後。二人のその知らせは、結婚報道以上の衝撃を世間に与えた。
天才役者夫妻による、新人若手俳優の殺害。
役者界の新星と期待されていた若手俳優の命を、二人の天才役者は奪ったのだ。
今まで積み上げてきた地位や名声が、大きな音を立てて崩れていく。
天才役者夫妻のイメージは一転、犯罪者夫妻のレッテルを貼られ、ファン含めて世間全体からバッシングを受ける始末となった。
夫婦は揃って無罪を主張したが、判決が覆ることはなく、かえって世間に醜い印象を与えることになった。
それから数日後——神楽木夫妻は、命を落とした。
保釈されてほんの一時のことだった。自宅で夫婦揃って倒れているのが見つかり、死亡を確認。遺体の状況と近くに置かれた遺書から、殺人の自責による自殺とみなされた。
同情の声は少なく、何より一人息子を残して逝った二人の選択を責める声ばかりで、落ちたイメージをさらに地の底まで沈める結果となった。
神楽木成翔。
四歳という若さで両親を失い独り身になった彼を待つのは、終わりの見えない地獄であった。
× × ×
それからというもの、成翔の人生はまさに地獄だった。
成翔は父方の祖父母の元へ引き取られた。以前から頻繁に交流があり、たった一人の孫として可愛がってくれた祖父母。温かく成翔を迎え入れてくれた。
両親のことは忘れてこれからはここで新しい日常を——そう簡単にはいかなかった。
なにせ神楽木という珍しい姓である。名乗るだけで自身が殺人犯の血縁者だと暴露するようなもの。事件から間もなく、祖父母宅への嫌がらせは始まった。
初めは不審な電話や郵便物が家に届く程度だった。『殺人一家』などと書かれた紙が度々ポストに入れられたり、終始無言のいたずら電話がかかってくる。
それだけでも、今まで平和に暮らしてきた祖父母には苦痛だった。
しばらくすれば収まるだろうと信じていた。だが時間が経過しても尚、その嫌がらせはなくなるどころか、次第にエスカレートしていった。
鳴り止まないインターホン、家のドア一面に描かれた落書き。飛び交う怒号、割られた窓ガラス。明らかに法の範疇を越えているが、警察はまともに取り合ってくれなかった。
このとき成翔はまだ四歳。両親が訳もなく消えてしまったものだと思っている彼にとって、何が起こっているのか分からない。
ただその大きな音と、たっぷりと怒りを含んだ声に怯えて、成翔はどうしようもなく泣き喚いた。そんな彼を、祖父母はひたすらに慰め続けた。
そんな生活が二ヶ月ばかり続いた頃——祖父は体調を崩した。
元々持病もなく、高齢者の手本のような健康体であった祖父が病に侵されたのは、間違いなく昨今の生活のせい。
心身共に疲弊しきっていた祖父は、数週間後に息を引き取った。そして彼の後を追うように、同じく病を患った祖母も生涯を終えた。
成翔が真の意味で一人になったのは、五歳の誕生日を迎えたばかりのことだった。
× × ×
成翔は国の支援を受けて施設に入れられた。
身寄りのない子供の手助けをしたいという想いを持つ養護施設の職員は、成翔が殺人犯の息子だと分かっても特に差別することはなかった。
だから成翔は居心地がよく、すぐに施設に馴染んだ。同じくらいの年端の子も多く、ほとんどの児童が成翔の事情を知らないため友達もできた。
あれから十四年、高校生になった今、人生で一番景色が輝いて見えたのはいつかと問われれば、成翔は間違いなくこの時だと答えるだろう。
無論、その輝きもすぐに消えるのだが。
成翔は施設の後押しを受けて小学校に入学した。両親のいない現実を受け入れ始め、学校という新たな空間に期待感を積もらせていた成翔は、思い知ることになる。
初めは普通だった——入学してクラスメイトと交流し、授業を受けたり、最初の一ヶ月は何気ない日常を過ごせていた。
異変が起こり出したのは、その後くらいからだ。
今思えば、あれは親の入れ知恵だったのだろう。今まで仲の良かったクラスメイトの態度が素っ気なくなり、やがてほとんどの生徒に距離を置かれるようになった。
幼い子供は、真意を考えずに親の言うことを真っ直ぐ受け止める傾向にある。大方、あの子には関わっちゃいけないという言葉を鵜呑みにし、多くの生徒が成翔を疎外するようになった。
この時はまだ良かった。
仲間はずれにされる辛さはあったものの、それが両親のせいであるとは気づいてなかったからだ。
けれど二年が経ち、三年生に進級したあたりで、成翔はようやく全てを理解する。
何気なく施設のテレビを観ていたときだった。
そのときは、職員が他の児童の相手をしていて気づかなかったのだ。成翔は食い入るように画面を観ていた。
お母さんたちが映ってる——成翔はそう思った。
「…………え?」
おかしいとは思っていた。小学生にもなれば具体的に成翔に悪口を向ける者もいる。成翔の両親は犯罪者だと馬鹿にしたように言われることもしばしばあったが、いずれも何を言ってるのかと成翔は相手にしてこなかった。
それを確認する家族もおらず、施設の職員に聞いてもはぐらかされてしまったからだ。まさかそれが本当だとは思わず、今まで理不尽に仲間はずれにされたことも、祖父母の家を襲った悪戯も、その理由を考えたことはなかった。
なんとなく、考えないようにしていた。
成翔は慌てて職員に尋ねた。テレビの画面を観て青ざめていく職員の顔を、成翔は今でも覚えている。最初はなんとかはぐらかそうと試みていたが、成翔の必死な訴えもあって、もう無理だと判断した職員は成翔に全てを話した。
成翔は幼い頭で理解し、未熟な器で必死に受け止めた。けれど、溢れてしまった。
幼いながらにも、成翔は両親の仕事を理解していた。何度も仕事現場に連れて行ってもらい、実際に演技をする二人の姿を目にしていたからだ。
まるで別人のように豹変する両親の姿に成翔は感動し、役者に憧れた。自分も彼らのようになりたいと思った。
今後の人生で、これ以上の喪失感を味わうことはないだろう。
憧れた両親は、殺人犯だった。人の命を奪った、悪い人だった。
なぜ今まで自分が疎外されてきたのか、なぜ祖父母の家は怒号に塗れていたのか。分かった。分かってしまった。
以来、成翔の身に起こるいじめが意味を持つ。内容は大して今までと変わらない。けれど、それが両親の罪によるものだと思うと、成翔の心を大きく抉った。
小学校を卒業し、中学校に入ってもそれは続いた。そして中学二年になり、成翔は気づく。
名前が悪いのだと。神楽木という名のせいで、自身はこんな目に遭うのだと。
佐藤成翔——成翔が親の姓を捨てて生きると決意したのは、高校入学直前のことだった。
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