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第2話『鏡月紗羅について』

Side.鏡月紗羅

 その夜、紗羅は自室で今日の出来事を思い返していた。月明かりだけが照らす部屋の中で、彼女は窓際に立ち、自らの影を見つめている。


(あいつ……なんであんなにしつこいの?)


 焔城楔。その少年の無邪気な言葉が、どこか煩わしく頭の中で反響する。


 普通なら笑い飛ばすような話。子供じみた妄想としか思えない。

 でも──。


(この世界には、表の顔と裏の顔がある。それを私は現実として知っている)


 鏡月家という名門の影で密かに行われる争い。紗羅は幼い頃から、その世界で生きることを強いられてきた。


(私に居場所があるなんて……本当にそう思ってるの?)


 胸の奥にわずかな戸惑いが生まれる。それは決して表には出さない感情。なぜなら──。




 鏡月家の本邸は、どこにでもあるような静かな日本家屋だった。だが、その中に一歩足を踏み入れると、全てが緊張感に満ちた空間に変わる。冷たい畳、整然と並ぶ調度品、そして家の者たちの表情は皆、感情を抑えた無機質なものだった。


 この家で、感情を見せることは弱さの証とされる。特に紗羅のような立場の人間には、それが許されない。


 その一室で、鏡月紗羅は静かに跪いていた。彼女の目の前には、鏡月家の当主、宗一郎が厳しい目で彼女を見下ろしている。


牙影会(がえいかい)が活発に動いている。次の計画を探り、その勢力を削れ」


 宗一郎の声は低く冷徹で、命令というよりも機械のように感情が排されたものだった。その声は、この家の本質そのものだった。


「承知しました」


 紗羅は短く答えた。だが宗一郎はその言葉をあえて無視するように、さらに冷たい言葉を続ける。


「お前は家にとって何の価値もない。使い捨てにされないのは、鏡月の血を引いているからだ。それを忘れるな」


 その言葉は、紗羅が生まれてからずっと聞かされてきたものだった。母が他家の出であることを理由に、彼女は常に家の端に追いやられ続けてきた。それでも紗羅は、自分の存在価値を示すため、与えられた任務を完璧にこなしてきた。


(私はただの道具……それ以外の何者でもない)


 それでも、紗羅は表情を一切変えずにその場を立ち去った。感情を押し殺すことは、彼女にとって呼吸をするのと同じくらい自然なことになっていた。


 自室に戻った紗羅は、再び窓の外を見つめる。そこには相変わらずの月明かりが、変わらない世界を照らしている。


(秘密結社なんて、非現実的な妄想……)


 そう思おうとしても、楔の言葉が頭から離れない。この世界の裏側にある数々の謎。全てを否定しきれない自分に、紗羅は少しだけ戸惑いを覚えていた。


その夜、紗羅は自室で任務の資料を読み込んでいた。


(牙影会……最近になって急激に勢力を拡大している組織。不自然なほどの武力と、背後にいるとされる謎の人物。そして、人体強化を目的とした薬品の取引)


 資料には、断片的な情報が並んでいた。鏡月家は数年前からこの組織の動向を警戒していた。裏社会での影響力、そして人体実験の噂。どれもが、ただ事ではない気配を漂わせている。


 紗羅は与えられた情報を一つ一つ整理していく。牙影会の幹部たちは用心深く、正体を明かすことはない。だが、彼らの残した痕跡を追えば、必ず何かが見えてくるはずだ。


(結局、私の役割は情報を持ち帰ること。それ以上のことは必要ない)


 そう自分に言い聞かせながらも、紗羅は資料に目を走らせ続けた。だがふと、学校での出来事が蘇る。


『僕の秘密結社に、君の居場所を用意しておくよ』


 焔城楔の無邪気な声。それは、どこか現実味のない響きだったが、何故か頭の片隅に残っていた。


(……どうして? あんな戯言を)


 紗羅は首を振り、感情を振り払うように資料に集中した。


 *


 次の日の深夜。満月の光が雲に遮られ、倉庫街は濃い影に覆われていた。


 目標の倉庫は、一見すると普通の物流倉庫に見える。だが、夜間の出入りが不自然に多い。そして、周辺の警備の密度が明らかに高かった。


 紗羅は建物の死角を縫うように進み、高所に設置された換気口から内部に潜入した。黒装束に身を包んだ彼女の動きには無駄が一切ない。これまで幾度となく繰り返してきた任務の経験が、体に染み付いている。


(まずは状況確認。相手の数、配置、そして……)


 倉庫内には数人の男たちが集まり、何かを話している。だが、声は小さく、内容を聞き取ることはできない。紗羅は梁の影に身を潜め、彼らの様子を観察した。


 その時、違和感が胸を掠めた。

 男たちの配置があまりにも整然としている。視線の動きも不自然だ。そして、物流倉庫のはずなのに、中の物資が極端に少ない。


(まるで……誰かを待ち構えているよう)


 その直感が走った瞬間、背後からわずかな足音が聞こえた。


 紗羅は即座に構えを取り、背後に潜む気配を捉える。そこには牙影会の兵士が数人、銃を構えて立っていた。


「鏡月家の犬が何のようだ?」


 その言葉に、紗羅の心が冷たく震える。冷静に周囲を確認すると、すでに退路は塞がれている。


(私の行動が読まれていた……?)


 疑念が浮かぶ。しかし、それを考える時間は許されない。紗羅は腰に忍ばせた暗器に手をかけた。


「『散月(さんげつ)』!」


 放たれた暗器が空気を切り裂く。正確な軌道を描き、二人の兵士の武器を弾き飛ばす。その隙を突いて、紗羅は間合いを詰める。


 一撃、また一撃。無駄のない動きで敵を仕留めていく。だが、胸の奥で渦巻く疑念は消えない。


(なぜ、こんな任務を.....?)



 任務を終えた紗羅は、静かに夜道を歩いていた。月が雲に隠れ、街灯だけが彼女の帰路を照らしている。


(私は道具……それ以上でも以下でもない)


 幼い頃から、その言葉は彼女の中に刻み込まれてきた。父方の血は鏡月家のものでも、母は他家の出。そんな彼女に与えられた役割は、ただ一つ。家の影として、汚れ仕事をこなすこと。


 これまでの任務なら、ただ黙々とこなすだけだった。なのに、今日は違う。胸に重く沈むものを感じる。


(罠を仕掛けられた相手は牙影会のはず。でも、その裏で私を試していたのは……)


 あまりにも完璧に仕組まれた罠。そこには鏡月家の意図が見え隠れする。まるで、紗羅の価値を量るための実験のように。


 風が吹き、街路樹の影が揺れる。その暗い影に、彼女は自分の立場を重ねていた。


 再び楔の言葉が頭をよぎる。


『僕の秘密結社に、君の居場所を用意しておくよ』


 紗羅は立ち止まり、闇夜に小さく呟いた。

「……本当に子供みたい。この世界の闇も知らないで」


 だが、その言葉の裏には、微かな羨望が隠されていた。現実を知らない、あの無邪気さが、どこか眩しく感じられる。


 暗い路地を曲がると、月が顔を覗かせた。冷たい光が、紗羅の迷いを照らし出す。


 明日からは、また普通の高校生のふりをして学校に通う。周りの生徒たちは、彼女の本当の姿を知らない。優等生という仮面の下で、牙影会の監視を続ける。そして今度は、戯言のような秘密結社の話を振りまくあの変わり者の相手もしなければならない。


(煩わしいわね……)


 紗羅はそう思いながら、静かに歩みを進めた。月明かりの下、彼女の影は長く伸び、そしてまた闇に溶けていくのだった。

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