土地を守る男の話
土地を守る男の話
前を向いて歩いてきた。
後ろを振り返ることも、横に歩く人を引っ張ることも、引っ張られることも、前を歩く人に怒られることも沢山あるけれど、どんなことがあろうと前を向いていた。前向きという意味ではない。ただ、己の信ずるものを通すために、前を向いているだけだ。前を向いていなければ、と。それを真っ直ぐに見つめ続けていなければならないと、そう思ったからだ。
短刀を懐から取り出す。豪奢な柄が刻まれたそれは、幼い頃に祖父が楓に渡したものだと言う。なんでも、生まれた時から傍に置いていたとか。赤子の傍に短刀を置く祖父の考えはよく分からないが、この短刀は楓を「主」としているらしい。
スラリと抜き放つと、刀身はぬらりと光を跳ね返す。この刀の名は朱椛。その刀身は、音を吸い取るほどの切れ味、紅葉が地に舞い落ちる音が鮮明に聞こえる程の、静けさを呼ぶという。
ふっと前を見ると、十代半ばか、後半に見える青年が膝を突き合わせるように此方を見詰めている。
「主。…俺を抜くのは久方ぶりだな」
少し長めの黒髪で右目をかくした着物姿の男は、表情を変えずにそう口を開いた。その様子を見ながら、再び刀を鞘に納め、二人の間に置く。
「お前は懐刀だからな。出番は少ない方がいいだろ」
「そうだな。出番など無い方が良い。…うるさくない」
「……お前こそ珍しいな。起きているなんて」
刀の性質故か、性格ゆえか、彼は騒がしいことを酷く嫌う。それから、普段は眠りについていることが多かった。お互いに珍しい行動をしている。ふっと笑うと、訝しげな顔を向けられた。
朱鷹家。楓の生まれた、ある地方の土地を守る一家でもあるこの家は、先祖を辿ると鬼の一族に行きつくのだと言う。それは伝説か、まことかは分からないが、その鬼の一族には懇意にしている刀匠がいた。その刀匠が打った刀を一族は大切に扱っていた。今も刀匠の子孫と朱鷹家は懇意にし、関係が続いている。
刀匠、十朱。十朱家が打った刀たちには、刀匠の力によって意志が宿り、このように時折人型となって現れるらしい。実際、楓や妹の桐の目には刀たちの意志が幼い頃から見え、話すことが出来ていた。幻覚ではないか?と言われればそれまでだが、見えているのだから仕方が無い。
「…主、お前は息苦しくはないのか」
ふっと、朱椛が楓に問う。急になんだ、と問い返すと、その生き方は人の子には重いだろうと静かに返される。その言葉に、少し笑った。
「俺は朱鷹が好きだ。この朱鷹を、朱鷹が守る地域を守りてぇ。そのためには、それ相応に強く在る必要がある。俺が望んで、求めてきた生き方だ。息苦しいと思ったとしても、それは必要な息苦しさに違いねぇよ」
膝を打って、に、と笑うと、朱椛は軽く息を吐き、本当に主は変わった人の子だな、と静かに呟く様に言った。
「お前は家の為なら躊躇わず死ぬのだろう」
「ああ」
「たとえ最愛の人が出来たとしても、それは変わらぬのだろうな」
「そこを変えたら朱鷹 楓じゃなくなるだろうな」
返し、朱椛の顔を見据えた。変わらない表情、湖面のように揺らがない瞳。しかしそれが、少しだけ笑った。
「よい主だな」
そう朱椛は囁いた途端に消え、部屋には楓一人となった。
「……最期はきっとお前と一緒なんだろうさ、朱椛」
呟いた声は、眠った朱椛には聞こえたか、聞こえなかったか。