第89話 緊急事態
油入れの金属容器の修理のために、トーマは街で唯一の鍛冶屋に行くことになった。東方の街でも建物の様式にグロロウとの違いはあまり無い。
似たような環境下、限られた資材で必要最低限の機能を果たすために作られた建物は、どこでも同じような形にしかならない。文化は余裕が生むものだ。
屋根にはだいたい膝の高さほどの雪が積もっているようだ。足元は除雪されていて、道の両脇に固まった雪が積み上げられている。
「トーマさん、その荷物は何なんです?」
同道しているフロルが聞いてきた。トーマは自分の全身が入りそうなほどの大きな背負い袋を背負っている。
「ただの薪だよ。体力を戻すための重しだ」
トーマの手足の太さは寝込む前の二割減と言った感じになっている。前からやせっぽちのトーマと言われがちだったのに、殆どフロルと変わらないほど華奢になってしまった。
持久力も無くなっている。街の北端にあるタルガットの屋敷から、南の鍛冶屋までの500メルテ少々の道のり。30キーラムほどの薪を背負って歩いているだけなのに息が切れてきた。
到着した鍛冶屋に入って、タルガットを二回り筋肉質にしたような男に油入れの修理を頼むと、話が通じていない。眉根を寄せて口を半開きにして睨んでくる。
「あ、そうか。東方語じゃないと駄目なのか。どうしよう」
「あー、僕が話しましょうか?」
「え?」
フロルは油入れをトーマから受け取ると、それを指し示しながら片言の東方語を使って交渉している。一分ほど話し続けて、鍛冶屋の男は油入れを受け取った。
「前金で小銀貨3枚だそうです。西のお金が使えるみたいですよ」
「何で話せるんだ? グロロウでは東方語も教えてるのか?」
「教わってませんけど、僕はトーマさんと違ってこっちに来てからずっと起きてますし」
「起きてるから、何? いつの間にか東方語が分かるように? 天才?」
トーマには異民族の言葉を覚えようとすることがまず考えられなかった。28年と半年生きてきて、ラケーレに連れられ西側中を何千キーメルテと繰り返し歩き回り、共通語が通じない場所など無かったからだ。
ニストリー草原の南に住む少数部族のチャベニ族ですらディオとペンディーは共通語を話していた。
フロルはたったの10日あまりトゥイースに居ただけで、片言とはいえ異民族の言葉を話せるようになっている。これが若さか。
「目の前に反応してくれる相手がいる言葉のほうが覚えやすいっていうか…… 精霊言語の方が難しくないですか?」
「そんなことはない。精霊言語は東方どころか極東ですら共通だ。世界の力の運行と普遍的な理を通じている。理論を学べば自ずと身につく」
「はぁ……」
「それより言葉が通じるなら代わりに注文してくれないか」
トーマは地面に指で図を描きながら、フロルに訳させて自分用の金属容器の注文をした。鉱油を魔法の媒介として有効利用するための工夫をいろいろ考え、追加していく。
半刻ほど交渉したが、細かい仕様までフロルは伝えることができなかった。やっぱり後でタルガットに頼もうと鍛冶屋を後にした。油入れは明日までには直るそうだ。
雑貨屋に寄って着替えと下着を何枚か買った。元来た道を戻って館に帰る。
玄関広間から調理場の方に行くと、途中の廊下の窓の外に誰か居た。
古い屋敷だが窓だけはガラス張りになっている。
元の持ち主が改装したのだろう。ガラスに顔を近づけてよく見ると、中庭の積もった雪の上に立っているのはタルガットだった。はめ殺しではなく横開き窓だったので、開けて声をかけた。
「何してるんだ、タルガット」
「シィッ! うるさい!」
今朝に引き続きまた怒られたのでトーマは少し落ち込んでしまった。
悲しい気持ちでフロルとしばらく見ていた。タルガットは空を見上げながら右腕を伸ばしている。バサバサと音がしてその腕に大きな黒い鳥、ワタリガラスが止まった。
カラスはタルガットの腕の上を横に細かく跳びながら移動し、肩に乗った。頭を何度かつついている。
タルガットは部下から生肉を受け取り、カラスに与えた。
拳の半分ほどの大きさの肉塊を3つ食べさせると、カラスは大きく一声「カァ」と鳴いた。それが合図であったのか、タルガットは懐から取り出したハサミでカラスの足に巻かれていた何かを切り取った。
その日の夜。タルガットの居室にトーマとラウラ、そしてクルムが呼び出された。
クルムの顔を見たのはあの日以来だった。
「ラウラさんのお仲間がいろいろと調べたトコロでは、グロロウの執政官閣下は今年も遠征をするみたいデスよ」
「そうか……」
トーマが≪書庫≫に全て書き込んだことで、クローヴィスが計画を断念する可能性もわずかに期待していたが、強行するようだ。
タルガットは色鮮やかな絵付けが施された持ち手つきの陶器椀を持ち上げ、豆茶を一口飲み、話を続けた。
「今から12日後、チョウド年が変わった1月1日に衛士隊の50人と司法官部隊の50人。そして補給部隊の一般兵200人を動員して北の鉱山に向かい、そこカラさらに森の奥に進んで地竜を狩るそうデス」
「確かな情報なんだよな?」
「それはそちらの方にオキキになってクダさい」
タルガットが視線で示したのはクルムだ。クルムはトーマに向けて頷く。
「こちらの協力者、向こうからすれば裏切り者ですが。彼は衛士隊の中で信頼を獲得しています。きっと今回の遠征大隊にも組み込まれているでしょう」
そんな位置にこちら側の人間が居るのなら、もうその線で暗殺できないのかとトーマは一瞬思った。
だが相手はただの権力者ではなく、世界最上位の可能性もある59階梯の『器持ち』である。
刃物も毒もまともに通じない灰オオグマ以上の耐久力と、一対多でも相手どれる拡散型『雷光』を打ち破らない限り、奇襲だろうが何だろうがそもそも誰も勝てないのだ。
他にも情報があるが、クルムにだけ伝えるとタルガットが言う。
言われた通りに出ていこうとするがラウラが動こうとしない。不思議に思ってトーマが見ると、いつにない真剣な表情をしている。
「その情報は、きっとアタシも知らなくちゃいけないこと。聞かせて」
トーマも残って聞くことになった。
今より10日前。12月9日の早朝に水神ボリスと思われる遺体がグロロウの共同墓地に葬られたという。
罪人として晒し物にされる事は無かった。埋葬された遺体は止め傷が一つあるだけのきれいな状態だったらしい。近親者は無く、埋葬は行政府の手でひっそり行われたとのことだった。
情報が入ったことで基本的な方針は決まった。
ワタリガラスはグロロウからトゥイースまで二日から三日かけて飛んでくるという。クローヴィスの遠征大隊が確かに出発したという情報が入り次第、ラウラ率いる土橋村勢力はアクラ川東岸を北上して源流域を目指す。
クローヴィスがグロロウから離れて、十分に距離が出来てから戦いを挑む方が得策だ。どうせ地竜を最低でも3頭、探し出して倒さなければクローヴィスは60階梯になれない。
トーマは体力回復のために毎日薪を背負って街中を歩き回った。土橋村の戦士たちが周りの森で狩りをしまくったために肉類は豊富に手に入る。トーマは食事の量を増やし、格闘術の鍛錬も再開した。
数日後。トーマは部屋でディル・ペトラシュ兄弟とラウラと一緒に朝食を摂っていた。
「やっぱり見つからないか……」
「あぁ。街の魔法使いにも『雷光』を使えるやつはいねぇみたいだ」
「精霊適正が合う魔法使いは居たんでしょ? 本当に今からじゃ教えられないの?」
「無理だろうな。前も言ったけど」
グロロウ養成所出身のオラスという男は魔法を得意としていて二重詠唱も使えた。特殊な呪文を追加で唱えることでマナ消費を抑えて魔法を行使できる【祝詞師】のオラスは、火・水にそれぞれに適正を持つ珍しい魔法使いだった。
『突沸』という、登録された唯一の火・水複合精霊魔法の使い手をトーマは初めて見たが、特に強力な魔法ではない。
200人ほどいる街の『器持ち』をタルガットが当たっていたが、駄目なようだった。二重詠唱を使える者がまず数人しか見つからず、火・風あるいは水・地適正だった。周囲の街や開拓村まで人をやって探すしかないか、という話になっている。
朝食の主菜である久しぶりの川魚の焼き物を食べていると、屋敷が騒がしくなった。フロルが戸を開けて飛び込んできた。
「大変です! なんか西の街道から、あのなんか雪の上をすごい速さでなんか来たって、見たって言ってました!」
全員が部屋を飛び出し、街の西門に走る。直線距離なら300メルテ弱の距離だが雪が積もっている。屋根の上を跳んで走るのは難しく、除雪されている道なりに進むほうが早い。
一分ほどかかって門横の見張り台の上までトーマたちがたどり着くと、30メルテ程の位置まで迫っていた襲来者が広げた外套を風にはためかせ飛び上がって来た。
「あらっ! あなたトーマちゃんよね? 会えてよかったわぁ。≪書庫≫の顔よりだいぶ元気そうじゃなぁい?」
背筋を伸ばしてトーマを指さしそう言ったのは、トーマも≪書庫≫で見た顔。
『七賢』の中で2番目に若い33歳男性。『飛翔のガイウス』であった。




