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第87話 漲る

 二人の兄弟との会話を終えてしばらくすると、二日ぶりに例の医者がやってきた。トーマを座らせて、助手の女が腹の包帯を巻きとる。

 一昨日の経過観察時にも腹に貼られた布を剥ぎとられた。塗ってあった軟膏は半分乾いている。濡れた綿布で黒い軟膏の残りを拭き取られ、患部が露わになった。


「問題無いな。刃が縦に刺さったから筋肉の損傷が最小限で済んだのは、幸いだった。もう抜糸しちまうぞ」


 そう言って、細長く奇妙な形に曲がったハサミを助手から受け取った。傷口を縫い合わせている絹糸を切り、抜き取っていく。


「終わりだ。もう好きにしていいぞ。二度と会わないように祈ってやる」


 そう言って、トーマに対して右手をかるく挙げた。部屋に居たタルガットと東方の言葉で一言二言話し、タルガットの部下から金を受け取って去って行った。


「今のは俺の治療費だよな? 金ならあるから、自分で払うよ」

「そうデスか? じゃあクダさい」


 ラウラに返してもらったボロ布包みの中から金を取り出して、以前に立替てもらった分も合わせて金貨4枚を渡した。

 グロロウからの逃亡時着ていた服は血塗れだったので、カザマキヒョウの外套以外は捨ててしまったという。懐に入れたいた財布だけは返ってきていた。


「それにしてもよく会うな、タルガット。なんで会いに来るんだ」

「トーマさん、アナタねぇ。この屋敷の持ち主ヲ誰だと思ってるんデス? ここは私が買った屋敷デスよ」

「そうだったのか……」

「まぁ、食べる以外は殆ど寝てたわけデスし、知らナカった無礼は許しマスよ」



 調理場に居たマラヤナに、とりあえず完治したと伝えた。


「そりゃよかったわ。今日は粥じゃなく普通の食事を作ってあげようね」

「それもありがたいんだけど、服を買ってきてほしいんだよ。とりあえず一着でいいんだ、この格好じゃ自分で買いにも行けない。代金は払うから」

「それもそうだ。お金は要らないよ。宿に置いてあったトーマの荷物をゴタゴタで無くしちゃったのはこっちだしね」


 グロロウで着ていた服は持ってきていなかったし、土橋村に置きっぱなしだった背負子(しょいこ)の荷物は、直接マラヤナに預けていたボロ布の財産以外、どこに行ったのか誰も知らないらしかった。買い直せない物は飛竜の羽根と大蛇の革筒くらいなので別にいいのだが。


 療養明けの最初の食事は牛シカの背肉の炙り焼きだった。

 トゥイースの料理屋で教わったという、特別な調味液に漬けてから焼かれた肉。

 薄焼きパンに包んで齧ると粥とは違って味が強く、香辛料の刺激があった。

 久しぶりに歯ごたえのあるものを食べて、ようやく体の調子が戻ったと感じられた。



 この屋敷には風呂があるというので、マラヤナが服を買いに行く間に入浴させてもらう事にする。

 アクラ川とは比べ物にならないほど小さな、二つの川の合流点のそばにあるというこのトゥイースの街。

 小さな川と言っても合流後の流れはそれなりに激しく、流れが土を削って時代とともに地形が変化。住民は徐々に南側に移住し、街の形は変化し続けた。昔は町の中心にあったこの屋敷は100年前まで領主館だったらしい。屋根が藁ぶきなのは古い様式だからだ。


 土地を贅沢に使った屋敷は二階が無く、中心が中庭になった真四角に近い形をしている。

 四隅に丸い部屋があり、トーマの居たのは南西の隅。風呂場があるのは北西の隅だ。

 底が鉄になっている大きな樽を専用の(かまど)のような設備の上に置く仕組みの風呂。個人宅に設置する風呂としては西でも一般的なものだ。


 体の回復のためにも自分で水を汲もうと、行き会ったフロルに井戸の場所を訪ねたら屋敷に井戸は無いという。生活用水は少し離れた街の共用井戸から汲んでくるらしい。

 領主が住んでいた頃は住民に毎日運ばせればよかったのだろうが、不便な事である。


「中庭に積もってる雪を使えばいいんじゃないですか?」

「それもそうだな。教えてくれて助かった」

「あ、待ってください。その恰好で外に出て雪を取ってくるのは哀れすぎます。僕がやるんで、トーマさんは火をお願いします」


 フロルとレオニードが木桶で雪を運んで来てくれて、トーマは『焦火(ロッコロン)』を使って薪を効率的に熱に変える。

 半刻ほどで肩まで浸かれるたっぷりのお湯になり、約半月ぶりの入浴。樽の中は動物の骨で出汁を取ったように濁って、垢が塊で浮いてきた。


 石鹸を使って全身を洗い、新しいお湯を調理場から運んでもらって泡を流す。

 体が数キーラム軽くなったような気持ちで風呂場を出ると、脱衣場にマラヤナが買ってきてくれた服が置いてあった。ボリスが着ていたような東方様式の服。

 ズボンは西部様式とあまり変わりが無いが、上半身に着る物は丈が長く、釦や留め紐がついておらず前合わせを重ねて帯で留める服だった。上下ともえんじ色だ。




 夜になり、皆にトーマの丸部屋に集まってもらった。

 夕食は済ませている時間。日中の狩りから帰って来た、ラウラをはじめとする土橋村の戦士の主だったものが11人。階梯が一番低いのはディルとペトラシュの双子だ。31階梯になっている。マラヤナはこの場に居ないが息子が居る。名前はアッサンだった。

 他の武技系が強靭化できる武器は8から10キーラム程の重さの物までなのに対し、アッサンの持つ【大武器使い】は、はるかに大きな武器を強靭化できる。



 トーマは【賢者】の異能≪書庫≫の概要と、クローヴィスの目論見。そして『書庫の賢者』とクローヴィスが決定的に対立することになるという事情を全て話した。

 半刻ほどの時間をかけ、質問を挟まれながら丁寧に説明する。

 ラウラは座った姿勢で腕を組み、いつになく真面目な顔で一言も発しない。部屋は一人の女と11人の男でぎゅうぎゅう詰めである。


「よく分かんねえが、つまりトーマもクローヴィスの野郎と戦うってことだろ?」

「なんの問題も無いな」


 双子がそういったが、レフという名の男はしかめ面だ。

 レフはクローヴィス襲撃にも橋の防衛線にも参加しておらず、村の非戦闘員を連れてここトゥイースに着くまで守り抜いた男だ。年齢も階梯も40過ぎの武技系の大男は少し不服げに口を開いた。


「だがしかし、クローヴィスが60階梯に上がる前に倒したいっていうのは『書庫の賢者』の都合なわけだろ? 正直オレ達には関係ないし、もっと時間をかけて力を蓄えてから戦った方が勝算が高いだろ」

「そうは言っても、ここいらの魔物はほぼ狩っちまったぜ?」

「もっと奥地に入ったら良いべ」

「女子供を守らにゃいかんから、泊りがけってのはなぁ。いつグロロウの追手が来るかもわからん状況だろ?」


 村の男たちは議論を重ねている。トーマとしては60階梯に上がられる前に倒したいのは山々だ。

 単に情緒的な問題ではなく『書庫通信』が使えなければ大陸中を遊歴する『書庫の賢者』一門が連携を取ることが難しくなり、各個撃破されかねない。

 だが≪書庫≫を破壊された後でもクローヴィスを倒し、新たに一門の仲間の誰かを60階梯に押し上げて再建を図るという考え方ももちろんある。

 その場合は土橋村勢力と共闘する必要は無く、一門に合流し実際に顔を合わせての連携体制を模索するのが筋だろう。



 ≪書庫≫内でもまた、一門の主だった者たちが『書庫通信』によって議論していた。

 時折、意識がはっきりとしていて暇だった時。

 七賢や後継候補、あるいは元七賢や、七賢の兄弟弟子。彼らの書き込みの中の雑記事項に記される意見をトーマは読んでいた。


 内容はまずトーマの書き込みの内容を疑うもの。信じて討伐隊をグロロウに送り込むべきと主張するもの。自分こそが先に60階梯に上がり書庫を改革するという者も居た。

 一時、調査隊を組んでトーマの元へ送るべきだという意見に大勢が決しそうになったが、ラケーレが「ここでの話も相手に筒抜けである」と書き込んだことで議論自体が沈静化していた。クローヴィスが読むかもしれない、というより当然読んでいるはずの≪書庫≫内にトーマの現在地を書き込むわけにはいかないのだ。


 ラウラが立ち上がり、トーマの横の床に尻を叩きつけるように勢いよく座った。


「皆の意見はわかった。けどひとつ、トーマの話を聞いても皆が理解していないことがある」

「ふむ、それはいったい何です?」


 聞いたのは橋防衛線で活躍していた【投射】持ちの弓使いだ。


「グロロウ内でのクローヴィスの暗殺は不可能というのが我々の認識。そうだな? ここ数年、毎年地竜狩りの遠征に出ているクローヴィスのことを、我々は自分自身の強さに固執する人間だと思っていた。だからこそ、そこに付け込めれば勝算があると思っていた」


 男たちは22歳の女指導者の言葉の続きを待っている。


「けど、トーマの話ではそれが今回の地竜狩りで終わる可能性が高い。60階梯に至ることが奴の目的で、実はそれほど自分で戦うことが好きな人間ではない、ということだ」


 男たちはざわめいた。厳しく入国を審査するグロロウに反抗勢力を大勢送り込むのは困難であり、少数での暗殺も警戒が強く難しい。弱点を探っていたトーマも同じ認識だった。


「60階梯に上がって目的を達したクローヴィスはその後、表には出ないでグロロウの勢力拡大と自身の政治体制の強化に専念するだろう。そうなれば、我々の手がクローヴィスに届くような機会は無くなるだろう。結論は二つに一つ。この冬の間にクローヴィスを倒すか、一生クローヴィスとは戦わず、見逃してもらうのを期待して逃げ続けるか、だ」



 土橋村の戦士たちは一瞬で結論を出した。その眼には燃えるような闘志が漲っていた。

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