第85話 亜遺伝性・高五芒星力魂器
マラヤナに椀に半分ほどの粥を食べさせてもらった。
「それじゃ、薬を飲んでまた眠りなさいな」
「いや、ちょっと待ってくれ。その前にやらなきゃいけない事がある」
「何をよ?」
「説明が難しいんだが…… とにかく鏡を持ってきてくれ。あと髭剃りも」
タルガットと「年頃ねぇ」などと微笑みあって出て行ったマラヤナだが、べつにおめかしをしたいわけでは無い。だいたい30歳手前は年頃ではない。
マラヤナは持って来た青銅の鏡を仰向けのトーマの顔に向けてくれた。案の定だが酷い顔である。眼は落ちくぼみ頬はこけ、無精ひげが目立つ。
慣れないことなので嫌だとマラヤナが断ったので、タルガットの部下にひげを剃ってもらった。身長が1.9メルテはある大男の膝枕でひげを剃られる。
家族のために『器持ち』となった土橋村の少女ミーアと同じ、【操躰】を持つ部下の男の手つきは思った通りとても器用であった。
改めて鏡を見せてもらうと、なんとかトーマの顔だと他人にも判別がつくと思われる。まぶたの裏に写るくらいに見つめてから、目を閉じ、≪書庫≫を開く。
「ナンですか? その顔ナンのつもりデス? どういう感情?」
ラケーレの書き込みに意識を接近させ、外側から押しよせる雑念を振り払う。
≪書庫≫の異能と自分の意識を、さらに重ね合わせる。
自分の脳の延長に書庫の内部世界が広がっていると認識する。
いよいよ、≪書庫記載≫を試みる。
まずは今見たばかりの自分の顔を書き写す。
今のトーマの顔よりは、10日くらい前に公衆浴場で髭を剃った際の顔の方がずっとふさわしいように思うが、一門が書庫内に記している「記載の手引き」によれば自分の顔の認識というのは実像とすぐにズレていくので、直前に鏡で見た容姿しか書き込んではいけないという。
手引き通りにしなければ一門の者の書き込みだと信じてもらえない恐れがある。
書き込みにはマナを消費した。
『火炎鞭』一発分程度を費やし、無事に『七賢』や後継候補の者と同様の、左右反転した顔の書き込みに成功したようだ。
そして何より大事なクローヴィスの秘密について、全ての認識を書き写す。グロロウの領主賢者は元書庫の賢者であり、現在59階梯。60階梯に至ることで書庫の完全破壊を目論んでおり、それが妄想でなく確実性の高い危機である事。
書庫の賢者との対立に備えて戦争を準備していて、近いうちにコーステスタ連邦などの反『書庫の賢者』勢力が行動を起こすかもしれないということ。
顔を書き写すよりは簡単に、少ないマナで記載に成功した。手引きでは自分の全身像も顔と一緒に書き込むことになっているのだが、現状の全裸おむつ姿を書き写すのはさすがに羞恥心が許さなかった。
最後に生まれ年と月日、そして「『雷光のラケーレ』が弟子・トーマ」と署名。
ラケーレの書き込みと途が繋がった。これで必要なことは全て書き込むことができた。
書き込みはもはやトーマを殺しても消すことは出来ない。
秘密がばれることを恐れて、クローヴィスがトーマに対して追手を差し向けるという危険がこれで無くなった。
ばらされた腹いせで逆に軍勢を送り込むようなバカな男ではないはずだ。
最低限やらなければいけない義務が、1つ解消した瞬間だった。
翌日、トーマは口に詰め込まれた砂の感触で目が覚めた。むせて咳が出る。腹の傷が痛む。
「あ、トーマ。ごめん、やっぱりタツノコモドキじゃ駄目だったか」
「……魔石はもういい。だいぶ無駄になっただろ、もったいないことをさせた」
部屋の中にはラウラが居た。今狩りから帰って来たばかりという恰好をしている。灰オオグマの物と思われる毛皮の外套には所々血が散っていた。
「命が助かってよかったよ。あんなに血が出てたから、これは死ぬやつだって思った」
「……」
トーマはボリスがどうなったのかと聞きたかったが、堪えた。それを聞く資格が無いことは自覚していた。
ボリスは最初からグロロウの軍勢が舟で追ってくることを分かっていたようなことを言っていた。なので自分のせいで無謀な戦いをさせたとまでは思わないが、不利な要素を増やしてしまったことは確かだ。
窓の覆い布が捲られていて太陽光が直接部屋に入ってくる。今の時刻をラウラに訊くと昼過ぎだという。昨日目覚めたのと同じような頃あいだ。
枕元にある細い吸い口のある陶器は吸い飲みというらしい。ラウラがその吸い飲みで水を飲ませてくれた。室温と同じ冷たさの水は昨日のぬるま湯よりずっとおいしい。胃が動き出し、腹の虫が鳴いた。
ラウラは粥を作ってもらうといって一度部屋から出て行った。一人の部屋でトーマは慎重に体を動かしてみる。痛みを我慢すれば座ることは出来そうだったが、まだ早いように思う。医者の言う通り安静にしなければ傷が開くだろう。
戻って来たラウラに他の者がどうしているのかを訊くと、トゥイース周辺の森を荒らしまわり、階梯上げに勤しんでいるそうだ。40階梯でも足しになりそうな魔石はすぐに持ち帰ることになっているというから、それは明日から止めてもらう事にする。
雪が積もっていてまともに動けるのか疑問だったが、やはり雪板という足に括り付ける道具を使っているのだとか。たまたま橋を訪れて土橋村に参加した者以外、もともとはグロロウの人間なのだから当然だった。
ちなみに余所者の多くはラウラの魅力にほだされ村に参加したという。
以前ソフィアが居ない時にラウラの幕屋で働いていた中年の女が粥を持ってきてトーマの枕もとに置いた。ラウラが椀を持ち上げて、粥を匙ですくってトーマに差し出した。
「あーん」
「やめろ」
「マラヤナには食べさせてもらったんでしょ? 膝枕もした方がいい?」
「少しは回復して来てる。自分で食べるから置いてくれ」
ラウラが盆の上に戻した椀に向かって、右肩を下にして横向きになった。左手で匙を持ち、食べる。柔らかく戻した塩干肉が混ぜられていてうまい。量も昨日の倍はある。
「あ、逆に置いた方がよかったかな」
「いや、こっちでいい。右は使えなくなった」
昨日薬を飲まされ寝る前に気づいたのだが、右手の人差し指は曲げようとしても動かず、中指は動かそうとすると痛みが走った。他の指は順調に回復しているが2本の指はずっと治らない可能性が高い。剣はもう握れないかもしれない。
もともと格闘術においては左右どちらでも同じように動けたし、剣も左手で使える。左で文字を書くのに慣れるのは大変そうだ。
傷ついた右手でも魔法は問題なく使えるだろう。ロベールの命を絶った代償として高くは無い。
「……ごめんね、トーマ」
「なんだよ改まって」
トーマが粥を食べる間、ラウラは押し黙ったままだった。
「4年前トーマと別れたあと、アクラ川西岸を南から北まで狩りあさってたんだ。そんでついでに親父を探してたら、死んでたんだよね。鉱山で」
「……グロロウの強制労働か……」
「いやそれとは関係なく、他の自立してる鉱山街の鉱山。用心棒みたいなことしてて、喧嘩で負けて死んでた」
グロロウの北、アクラ川を30キーメルテほど遡ったところには鉱山地帯があり石炭や鉄鉱石などが掘れる。グロロウが支配する地以外にも鉱山は広がっている。
「アタシの『魂の器』のことは話したよね。14歳の時、親父に魂起こしされてこれを受け継いだんだ。起こすのと同時に『五芒星の力』をめいっぱい詰め込まれるんだ」
「めいっぱいって、どれくらいだ? よくわからない」
「アタシも知らないけど、体が痛くて怠くなって、ふた月寝たきりになった」
それがラウラの強さの秘密だったのか。賢者の使うそれとは違い、最初に体が受け入れられる限界まで『五芒星の力』を高めてしまう特殊な『魂起こし』。
20階梯でトーマの33階梯と同等の強さだったのだから、1階梯の器にさらに13階梯分の力を詰め込まれたことになる。魔石数十個分の力を一度にとなれば『贅沢病』の発症は必至だ。
「それでさ、この『魂の器』は一子相伝ってやつなんだよね。子どもに譲ったら異能は無くなって能無しになっちゃう。親父が死んで、まぁ死んでなくても一緒だけど、この力を守んなきゃいけないなって思ったんだよ。なんとなくさ」
「……異能が無くなるってのは確かなのか?」
「アタシが寝たきりの間は看病してくれてて、その時に言ってたよ。賢者に見てもらったって」
一度使えば無くなってしまう異能であるなら、つまりラウラに兄弟がいたとしてもこの『ラウラ家の魂起こし』は持っていないことになる。
師叔アルスランは世界をひっくり返すほどの『希少種』と言っていたが、数が増えないならそんなに大きな問題にはならない。他に異能を持たない一個人が力を底上げされるというだけのことでしかない。
「実際、変な魂起こし以外はただの能無しだからさ。この力を守るにはアタシ一人強くなってもダメなんだよ。代々受け継いでいく力だから、そのことに価値を認めてもらわなくちゃいけないんだ。だからアタシは地位が欲しい。子供もその子供も、守ってあげられるだけの力と身分が欲しかったんだよ」
ラウラの顔には葛藤が浮かんでいるように思えた。いや、実際はトーマがそう思いたいだけかもしれない。
ラウラが欲しているものは、すなわち権力だ。
権力と距離を置くべき『書庫の賢者』たるトーマとは、基本的に相容れない。
そして力の使い方としてそれは正しかった。世代を超えることがない【賢者】の権威と違い、ラウラのこの【亜遺伝性・高五芒星力魂器】は個人の寿命よりずっと長く、安定した政治権力として街や国を発展させられる。
「……トーマを傷つけちゃって、本当にごめん。これは、アタシのためのアタシの戦いなんだ。ボリスのじいちゃんはああ言ってたけど、賢者は人類全体のための存在でしょ? トーマは付き合わなくていい。本当に、今までありがとう」
そういってラウラは懐からボロ布の包みを取り出し、トーマの枕もとに置いた。
交渉に来たクローヴィスを襲撃したあの日に、マラヤナに預けていたトーマの全財産だった。




