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第84話 微睡

 まどろみと、ほんのわずかな時間の覚醒の繰り返し。

 何度か水を飲ませてもらった感覚だけがあった。


 夢を見た。

 幼い日のトーマが故郷で近所の子どもと仲良くなる夢。オカテリアの下宿に帰り、女主人の作る麦がゆを食べる夢。

 強大な魔物を倒して抜き取った魔石を噛んだら、なぜか口の中が砂でいっぱいになる悪夢も見た。



 乾燥してなかなか開かない瞼を、何度かしかめっ面を繰り返してようやく開く。

 仰向けに寝かされているトーマの視線の先には天井が無く、大きな木の梁と屋根の裏側がむき出しだった。藁ぶきか、あるいは草ぶき屋根だろう。



「おヤ、起きてまスか? 意識ありマス?」


 声のする方に目を動かす。喉が枯れていて、腹に力が入らず。なんで? という声が出せそうにない。


「まったく、コノ私に『ちょっと見てて』とは、何を考えテルんでしょうネ?」


 黒い口ひげを生やした小麦色の肌の中年の男。タルガットはトーマの頭の右横で椅子に腰かけ足を組んでいる。後ろに控える部下に向かって、トーマの知らない言葉で何か命令をした。部下は部屋を出て行ったようだ。


 今トーマは裸であるようだ。体にかけられている毛皮の寝具と体の間に、肌に直接触れる植物繊維の布のカサついた感触。

 腰辺りも綿布でぐるぐる巻きにされている。これは例の、赤ん坊が着けるあれだろうか。


「おや、医者の言った通りだ。目が覚めたんだね」


 きしむ首を動かして足元の方向を見るとやはりマラヤナの声だった。トーマの方に歩きながら、タルガットに対して「医者を呼んできてちょうだいな」と言いつけている。

 ため息を吐いた東方商人は、今マラヤナを連れてきた部下に再び命令を伝えた。



 トーマの今いる建物の壁は黄色味の強い煉瓦がむき出しになっている。

 部屋の形は円形で、なかなか広い。隅の方に小さな持ち運び式の暖炉があり、金属製の細い煙突が壁に開けられた穴から外に突き出している。

 南側の窓にはガラスが嵌っているのだろう、青みがかった光が布の窓覆いを透かして室内を明るくしていた。


 マラヤナはトーマの頭を持ち上げて自分の膝の上に乗せると、細い吸い口が付いた陶器製の水飲みで水を飲ませてくれた。

 ぬるま湯だ。真冬の水は今のトーマの体には毒になるので、しかたないのだろうが。


「……何日ねてた……? ……ここはどこで、なんでこいつが居る……?」


 ぬるま湯で喉を湿らせ、かすれる声で聞いた。

 マラヤナとタルガットはトーマの質問に代わる代わる、根気よく答えてくれた。



 今いるのはグロロウから南東400キーメルテ足らずの場所にある東方の街、トゥイース。人口規模は数千人。トゥイースより西にも小規模の街はあるのだが、クローヴィスの影響が及んでいるので近づかないほうが得策だという。

 この街まで運ばれてきたトーマはボリスの指示した通りの薬を毎日、寝たままで飲まされて、12月7日の夜からずっと意識を取り戻さなかったらしい。

 昨日薬の量を減らされた結果、今日13日に目が覚めたということだ。


 タルガットはトゥイースの人間ではなく、もっと東の大きな街が故郷だという。

 この街の領主に対しても特に政治的影響力を持ってはいないそうだが、土橋村の200人以上の人間をかくまうために私財をなげうってくれているらしい。


「……なんでだ?」

「村でトーマさんと再会シた次の日、ラウラさんに頼まレマしたカラ」


 頼まれたからと親切にそうしてくれるタルガットではないだろう。そう指摘し、真意を質した。

 別に隠すことでもないと教えてくれたところでは、見返りに橋の無税通行権を得ているらしい。橋は今グロロウが支配しているのに、そんなもの何か意味があるのかとさらに訊く。


「モチロン今後、ラウラさんたちガ橋を取り返してくれるのが一番デスよ。デモあの橋は今も本来ラウラさんのモノで、私がクローヴィスに通行税を払う義理は無い」

「そんなの、通用しないだろ」

「今はネ。無税通行権はワタシの一族に与えられたモノ。東方人は無力ではナイし、クローヴィスがいずれ死に、力関係が逆転シタ時。権利を主張する十分正当な根拠にナル」

「……分からん」

「トーマさんにはムズカシイようですね。まぁ言ったヨウニ、さっさとグロロウを打倒してくれればいいんデス。タダで橋を利用できるなら東方の産物はすべてワタシを通して商われることになるデショウ。ワタシは商人の王様にナレル」


 グロロウの軍勢が攻めてきたら追い返してくれるのかと聞くと、そこまでは無論してくれないらしい。だがグロロウに今のところそういう動きは無いという。


「なんでそんなことが分かる」

「賢者のミナサンは遠く離れていても一瞬デ連絡を取る方法があるトカ。何とも羨ましい事デスが、常人(つねびと)には常人なりの、やり方というものがあるんデスよ」

「その話し方、止めたんじゃないのか」

「西のお客サンがいっぱい居ますカラ。トーマさんだけに話し方を変えるのは、メンドウデスね」



 話していたら医者がやってきた。50がらみの東方人の男で【マナ操士】。水風地の3種精霊適正の30階梯。常人の女の助手を連れている。

 掛けていた毛皮と布を(まく)られて、腹の包帯が巻き取られ、軟膏の塗られた布も剥がれて傷がむき出しになった。

 医者は持参した陶器瓶の栓を抜き、逆さにして何やら呟いて、押さえていた指を外し中の水をトーマの腹に注いだ。激痛が走る。


 思わず暴れるトーマの肩をマラヤナが抑えこみ、両足をタルガットの部下が抑え込む。水は次々に注ぎ込まれ、トーマの腹を蹂躙。桃色に濁った水がトーマわき腹に添えられた廃水入れに流れ込んでいった。


「それだけ暴れても動脈血の漏出は無いようだな。もうこのけったいな糸取って穴を閉じちまおう。これ以上開けっ放しだとかえって悪い」


 そう言って医者は細長く奇妙な形に曲がったハサミを助手から受け取った。トーマの腹にそれを突っ込んでクルムの糸を切っているようだ。傷口にハサミが触れ、動かされるたびに激痛が走る。


 次々に取り出される、血で染まった髪糸。助手の手のひらにこんもりと盛り上がるほどになった。

 あんな量の他人の毛髪が腹の中に入っていたのかと思うと気色が悪かった。

 もう一度傷穴を洗浄され、トーマの腹には激痛が走った。腹の皮をつついて硬さを確かめ、医者が選んだ縫合用の針は必要以上に太い気がする。

 絹糸を結んだ針が傷口の皮を往復で何度も貫通し、激痛が走った。


 軟膏と包帯で最後の処理をし、5日は安静にして大臭ジェドラムの根も毎日5ラムずつ飲むように言って医者は去った。

 大臭ジェドラムは血のめぐりを穏やかにする薬で鎮痛効果もあるという。量を間違えると心臓が止まって死ぬらしい。ちなみに鼻が曲がるほど臭いのは花だけということで、渡された粉末状になった根は少し薬臭いだけだ。



 汗だらけになったトーマはマラヤナに全身を拭いてもらい、膝枕で粥を食べさせてもらった。

 コメという東方の穀物の粥。小麦よりも甘みが感じられ、風味も少し違った。7日ぶりの食事に全身が活力を取り戻すのが感じられる。



「……他のみんなはどうしている? 無事なんだよな?」

「ラウラ様やみんなはトーマに喰わせる魔石を採りに、トゥイース周りの森を狩りあさってるよ」

「俺に? なんでだ?」

「『耐久』があった方が、合併症、ってのを防げるって医者が言ったのよ。40階梯なんだからいまさら少し上がっても変わらないって、言ったんだけどさ。大勢で狩りに行って、よさそうな魔石を寝てるあんたに何個もかじらせてたよ。砂にならないのも何個かあったみたい」


 トーマは自分の両手を見た。右手は全体に包帯が巻かれている。

 「魔眼」で確認するとトーマの『五芒星の力』が少し増えている。

 皆の期待に反して『マナ出力』『マナ操作』が上昇し『耐久』はほんのわずかしか上がっていない。ともあれ41階梯になっているようだ。


 記念すべき1年3カ月ぶりの階梯上昇だったが、寝ている間に済んでしまったようだ。

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