第81話 小舟
「いったいなぁ、松明落としちゃったじゃん」
「必要ないよな? 必要なかったよな? 壁登る方法なんて他にいくらもあったよな⁉」
「無理だよ、私の魔法じゃ三人も持ち上げられない」
「俺がフロル背負ってよじ登ったよ!」
「トーマがそれ出来るって知らないし!」
「さっきやったことの方が100倍難しかったですけど!」
駄目だ。この女は駄目である。思いついたことをよく検討もせずいい加減にやっているだけだ。
「早く降りてこんか! 時間が無い!」
門の外、少し離れた位置にボリスが立っている。松明を持ち、いつもの服装。西門の爆発音はボリスの地魔法だったようだ。
気を失ったままのフロルを抱き上げて、後頭部を右手で支える。先に飛び降りたラウラの後をトーマも追った。
雪の積もっている地面に細心の注意を払って着地し、気を失ったままのフロルを背負い直そうとすると、ラウラは巨大な斧をトーマに渡してきた。
「フロルくんは私が背負うから、トーマはこれ持って」
「なんでだ」
「トーマは魔法で明りをお願い。松明だと目立ちすぎる気がしてきた」
持っていた松明を雪の中に投げ捨てるボリス。
トーマは懐から石炭を一つ取り出すと。『明火』を右手に灯した。
左肩に20キーラムの斧を担ぎ、右手には燃える石炭。南門から真東に。アクラ川に向かって走る。
周辺は畑地で見通しがよく、グロロウの防壁の上からなら明るさを抑えた『明火』でも見つかる可能性は高い。と言って真っ暗な中を走るわけにもいかず、そもそもグロロウの夜番の巡回は『梟』が多いはずだった。
「塔を倒したのは陽動の意味もあったんじゃ。面白半分でしたわけではない」
「火事もですか? 火をつけたのは誰です?」
「グロロウに住んでいる者でも、当然クローヴィスやその政治に不満を持つ者は居る。暮らしてみて分かったはずだ」
「あれくらいの火事はすぐ魔法で消えるよ。かく乱のための破壊工作ってやつだね」
ボリスには悪いがクローヴィスを倒す方法やレオニードの行方を探るのに忙しく、不満を持つ者を知る機会は実はあまり無かった。せいぜい家族が酒の毒に頭をやられ、鉱山送りになったという話を聞いたくらいか。
南門から東に700メルテほど。アクラ川の渡し場にたどり着いた。
防壁の一番近い部分も200メルテ以上離れている。渡し舟を使って発展した街と言っても、ニストリー川とは危険度が違う。なので水辺と人の住む場所には多少の距離があった。
「う、ん…… トーマ、さん? なんか柔らか…… え? ちょ、誰ですか?」
「ラウラだよ。よろしくね」
「……。ラウラぁっ⁉」
目を覚ましたフロルが暴れてラウラの背中から飛び降りた。なおも後ずさろうとするのを後ろに居たボリスが押しとどめる。
「落ち着いてくれ、アリストンの子フロルよ。わしの迂闊さのせいで、おぬしには申し訳ないことになってしまった。だが今は我らに従ってほしい」
「あなたは誰なんですか」
「グロロウでは水神ボリスなどという、不相応な二つ名を知られていた。お父上とも交流があり幼いおぬしを抱き上げたこともある」
「水神ボリス……」
自分の脚で歩けるようになったフロルを連れて船着場の立派な桟橋を進む。先には松明を持ったディル・ペトラシュ兄弟が居た。もう一人、名前は忘れたがマラヤナの息子が居て、中型の舟の後端に小型の舟を綱で結わえ付けていた。
「ようトーマ! 無事に逃げ出せたな」
「あぁ」
「おいディルよ何じゃ、この小さいのは」
「小さい方がいいだろ? どうせ二人増えるだけなんだし、二隻も運ぶんじゃ爺さん大変だと思ってよ」
「大きい舟を一隻残しておけばよかったろうが」
「なんでだ? これが俺たちの乗ってきた船だろ。置いてくのかよ」
「もうよい……」
渡し場には10人乗りほどの舟が数隻水の中に沈められていた。ディルたちがやったのだろうか。
桟橋に隣接する丸太小屋から誰かが出てきた。気付いても騒ぐ者は居ない。近づいたその人物を右手の『明火』で照らしてみればクルムだった。
ラウラの橋を接収してから休業状態だった渡し場。とは言え少数の見張りは居たはずなのだが、まぁ無力化したのだろう。
中型の舟の舳先に立って杖から水をこぼしつつボリスが呪文を唱えている。
『願い奉る |滔々たる大河に宿る水精霊 |心のままにその御力を《ジャ ファンプタス アーリーン》 顕わに――』
ラウラはトーマから大斧を受け取ると中型の舟に飛び乗った。舟は桟橋から1メルテ下に浮いている。ラウラに続くように元土橋村の男たちが次々に中型の舟に乗り込んだ。
中型の舟は6人で満員のようである。
「トーマもフロルくんも早く乗ってよ」
「でもこっちの舟、ちゃんと精霊で守られるのか?」
そう言っていたらボリスが呪文を唱え終わり、綱で結ばれた船は二隻とも少し浮き上がった。ぬかりは無いらしい。
トーマとフロルが乗り込んで、舟は動き出した。陸を歩くくらいの速度で二隻の舟は若干蛇行して進む。顕現した精霊はカニ型ではないらしい。
先往く中型の舟の、前と後ろに別れて腰かけている双子。二人が持っている松明の明かりに穏やかな水面が照らされている。ゆっくりとした速度だが、吹きさらしの夜風は頬を刺すように冷たかった。
「トーマさん、誰か来ますよ?」
フロルの指さす方。今離れた桟橋の上を複数の人間が走ってくる。その足音は常人の足運びではない。
焼け崩れて細かくなっていた右手の石炭に再びマナを流し『明火』を最大火力で使う。燃え上がった火に照らされた人物。遠くて顔まで判然としないが、恰好を見ればわかる。
双剣使いロベール。もう一人は紫外套の女。クローヴィスの護衛を務めていた風魔法使いだ。石炭くずは燃え尽き、二人の姿は真っ黒な影になる。
影に向かってトーマは叫んだ。
「クローヴィスに伝えろ! 企みは明らかになり、叶うことは無い。書庫に魂を囚われているのは、お前だと!」
返事は無い。クローヴィスが女に向かって何か言い、桟橋の上でさらに加速した。
跳ぶ気なのか? だが桟橋の先端から舟は既に20メルテは離れている。さすがのロベールでも届く距離ではない。踏み切って空中に飛び出したフロルの母の仇。
さっきまで静かだった川面に、まるで嵐のような風音を聞いた。
「くそ、風魔法!」
とっくにアクラ川に落ちているはずのロベールが迫ってくる。後ろから吹く猛風にあおられて黄銅色の髪がはためく。
こちらも『大蛇旋風』で押し返す? 呪文が長く間に合わない。『風纏』は体の周囲の空気を動かすだけ。魔法は全て無理。
トーマは留め紐を無理やり引きちぎり左腿の短剣を抜いた。ロベールが上空から舟の後端に降り立つ。小さな舟はその重さに負けて激しく後方に反り返り、前の舟に繋がれている綱がつっぱり、その衝撃で足元が浮く。
「わっ!」
腰を落として姿勢を保とうとするトーマの背中にフロルぶつかり、舟から転がり落ちた。その水音とともに、ロベールの長剣が鞘から引き抜かれる音。舟の揺り戻しに合わせて間合いを詰め、右手の剣を突き込んできた。
短剣で払う。腹部に激痛。もう一本の剣がトーマの腹のど真ん中に突き刺さった。
瞬時に硬直したトーマの腹の筋肉を長剣は易々と貫いた。なおも食い込もうとする剣身を右手で掴み止め、青鉄の短剣を叩きつける。激しい火花が上がり、ロベールの剣は半ほどから破断した。
間合いを取ろうとしたロベールに向かって、前傾姿勢で船底を蹴り突進する。
顔を狙って突き出した青鉄の短剣は当然のように躱された。
折れた剣を手放したロベールは短剣を持つトーマの手首を捻り上げる。
「魔法も無しにこの俺に――」
ロベールが左肩を大きく引き、剣の先端をトーマに向ける。
トーマは右腕を振りぬき、腹から抜き取った剣先をロベールの首に突き刺した。




