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第79話 深夜のグロロウ政庁舎

 グロロウ滞在13日目。日の4刻。トーマは仕事をした。いつも通り問題無しと役人に告げて入国審査所を出る。

 外に出るとオリガが居た。


「どうしたオリガ。今日は当番じゃないよな?」

「あ、トーマ。今日は非番なんだよね」

「衛士隊の仕事が休みって事?」

「そゆこと」


 トーマより少し背の高いオリガ。いつもの衛士隊の複合鎧姿ではなく、グロロウ市民の多くが身に着ける毛編みの服に毛皮の外套である。普段着でも足元はスカートではなく革のズボンだ。


「それで俺に何か用?」

「頼みたいことがあってさ。トーマって魂起(たまお)こしもするんだよね?」

「まだ任されてはいないけど」

「トーマの話したら、親戚の子が受けたいって話になってさ。担当できるかどうか聞いてみてくれない?」


 グロロウの法で定められた、無料の魂起こしを受けられる条件は3種類。

 1つは身寄りのない子供や希望者が養成所に入る場合。

 遠征や開拓など、軍および行政府の公的な活動の結果得られた余り魔石を与えられ生活の保障もされる。

 代わりに、卒業後も年間1以上の階梯上昇義務を課されてしまう。30階梯に上がれば徴用され、所属部隊の選択も許されない。

 2つ目は他所から来た移住希望者が『魂の器』を持っていない場合で、魂起こしを受ければ自由な再移住が認められない上に、納税額が少しだけ上がる。

 3つ目は元から市民である者やその子供の場合。特に制限は無いが特定の有用な種別の『器』に目覚めた場合はやはり移住が禁じられる。


 そしてグロロウには行政府に所属しない【賢者】保有者は居ないし、一時滞在のために外から入り込もうとしても入国審査で許可されない。

 『魂起こし』は完全に行政府が管理していることになる。だから国内で有料で『魂起こし』を受けるという状況がそもそも有り得なかった。

 また徴兵基準を満たした時に兵役があるのは住民全てであって、どこで『魂起こし』を受けようと同じである。


「なんで俺に頼むんだ? 市民の子なんだろ? どうせ無料じゃないか」

「その子は女の子なんだよね。普通に申請したらほら、あれじゃない? 肌に直接触れるからさ」


 オリガの言わんとしていることは分かる。現在グロロウで『魂起こし』をするのは基本的にはあの3人の賢者だ。太っていて不健康な見た目のあの3人に長い時間触れ続けられるというのは、多感な年ごろの女子にとっては嫌なのかもしれない。


 だが一生に一度、自分の人生を決定しかねない重大な儀式に、そういう浮ついた感情を持ち込むべきではないとトーマは思った。たとえ相手が妙齢の女性であっても『魂起こしの儀』の最中に妙な気持ちになった事など無い。最近は無い。


「オリガはいくつの時に魂起こしを受けたんだ?」

「ん? 普通に13歳の時だけど」

「早いな」

「そうかな? 発育が良かったからね。って何言わせるの」


 鳩尾を軽く殴られた。衛士として日頃真面目に鍛錬しているオリガの拳は女性とはいえ階梯相応に重い。


「あの頃はクローヴィス閣下しか魂起こし出来る人が居なかったんだよね。今より痩せてて、もうちょっと優しそうだったんだけど。髪の毛は無かったけど」

「閣下に頼めないのか?」

「その子は閣下も怖いって。なんとかならない? 私がいくらか包んでもいいからさ」

「それは禁止だろ。まぁ、一応聞いてみるよ」



 トーマがいちおう了承したのでオリガは去った。「おねがいねー」と念を押されたが、その願いはたぶん叶わないだろう。


 今晩夜半過ぎ、夜の8刻。トーマはラウラの呼び出しに応じるつもりだった。

 今の状態を続けてもクローヴィスを倒し≪書庫≫の破壊を防ぐという道筋が見えない。

 それに、仮に今『書庫の賢者』にクローヴィスの企みを通報しても、その実現を防ぐことは難しいかもしれない。計画は思っていたよりも現実的だった。


 この閉鎖的状況をラウラならぶち壊してくれる気がした。

 ラウラが何を企んでいるかまだ分からないし、事態がどう転ぶか分からない。だが結果がどうなろうとトーマの立場は今とはまったく変わるだろう。

 悪いほうに転べば拘禁されたり死んだりする事も十分有り得た。


 北東大通りを半ほどまで進み、右に曲がる。食料品以外を売る店が10軒ほど並ぶ雑貨通りに着いた。必要になる物を買って、職場に戻る。

 午後の審査でも、不明種はもちろんトーマの知らない種別も見つからなかった。

 待機所に居たのは10人。西交易路最大の街セレニアから帰還した外交担当の役人の家族が5名含まれていた。申請通りで、新たに『魂の器』を得た家族は居ない。


 午後、レオニードの状況を探る。

 オリガたちにその発言をなぜか信頼されていた、イゴーリという衛士隊員を探しに衛士隊の宿舎を訪ねる。新入りの賢者様が来たと少し騒ぎになった。

 イゴーリは勤務中ではなく、夜番からの午前勤を終えて、今はいきつけの料理屋に居るという情報を得る。


 西南地区の魔物肉料理屋の戸をくぐると、長卓に椅子がいくつか並んでいるだけの小さな店だった。


「あんたがイゴーリさん?」

「そうですが、何か?」


 3人の客の内一番年かさであり、普段着で背も小さく痩せていたが、『器持ち』は一人なのですぐわかった。妙に鼻の大きい男だ。


「イゴーリさんは事情通だって話を聞いてね。あなた方、衛士隊の隊長だったレオニードさんが今どこに居るのか、知ってることがあれば教えてもらいたいんだ」

「まずあなたが誰なのか教えてください」


 執政官閣下の部下としてグロロウで働かせてもらっている賢者だと名乗ると、イゴーリは黙り込んでトーマを見ている。


「どうしました?」

「何も知りません。知っていたとしても、我々の仲間であるレオニードを売る気は無い」

「売るって…… 俺を司法官部隊の仲間か何かだと言いたいんですか?」

「司法官はクローヴィス様配下の賢者が持ち回りで務めるんですから、当然では? 言っておきますが我々古参の衛士隊は亡きアリストン様に親しみを持つものが多く、司法官部隊にはあまり良い印象を持っていませんから」

「ん? アリストンも司法官だったのでは」

「司法官部隊なんてものが出来たのはアリストン様が辞任した後です。それ以前は司法官職の護衛も我々の仕事でした」


 ようするに政治的な派閥争いといったようなものだろう。トーマには今更そんなことはどうでもいい。そういう事情ならむしろ簡単な話だ。


「俺は今政庁舎の中に住んでいます。アリストンさんの残した唯一の子であるフロル君とも親しい。そのフロル君が兄であるレオニードの身を案じているから調べているんですよ。悪いようにする気はありませんから、教えてください」

「……そうですか。変な勘ぐりをしてすいません。でも最初に言ったように、何も知りません」


 フロルの名を出しても情報は教えてもらえなかった。

 だが、イゴーリが実際レオニードの行方を知っているか、それは実はどうでもいいのだ。

 レオニードの行方について、弟であるフロルが今も知らされていない、その確認が必要だったのだ。



 夕刻の仕事までまだ間があるので、レオニードが暮らしていたという家を訪ねてみた。行政府職員以外立入禁止の看板があったが、ならトーマは入っていい解釈し、入る。

 外観も普通の一般家屋だったが、一国の衛士長が暮らしていた家とは思えないくらい内装も質素であった。

 居間兼食堂の南向きの窓が一カ所だけがガラス窓だ。箪笥の中に衣服が残されている以外、個人的な物は何もない寂しい家だった。



 夕刻の入国審査も終わった。今日は交易商の旅人と思われる『器持ち』は合わせて10人も居なかった。雪が積もりだし、交易路がにぎわう季節はもう終わりという事だろう。


 政庁舎の食堂で最後になるだろう食事をとった。比較的人気のある献立だという、蜂蜜塩ダレ焼き肉の冬菜っ葉包み。

 畑地のほとんどは小麦が作付けされていて、腹に溜まらない冬菜っ葉はわずかしか採れない。瑞々しい冬菜っ葉に包まれた何かの肉を、さらに薄焼きパンで包んだものを手づかみで食べる。

 ただでさえ薄い肉の味付けが菜っ葉の水分でさらに希釈され、そこそこ不味かった。




 グロロウ政庁舎西棟二階の客間。夜の6刻半ば。

 一度寝て刻限までに起きようかとも思ったが、寝過ごす可能性が高かったので我慢した。

 真っ暗な部屋の中でトーマは音を立てないように身支度を整える。

 短剣を左脚に装着。上着の懐には街で買った石炭。カザマキヒョウの外套を羽織る。左手の皮袋には黒く染められた大きな布が2枚。


 扉に耳を当てて廊下の音を聞く。誰も居ないと思われる。

 廊下に出てみれば1カ所だけ灯されている灯皿の明かりでなんとか歩ける。


 今晩フロルが政庁舎に居ることは確認済み。だがフロルの部屋は東棟なので、巡回の夜番衛士に見つからないように移動しなければいけない。距離はそこそこある。

 図書室の扉の前を通り過ぎて、突き当りの階段を下りる。一階に降りて折り返す。


 ここまでは別に見つかっても怪しまれることは無い。廊下の分かれ道を左に曲がれば(かわや)がある。夜中に催したという言い訳が立つ。問題はこの先。

 大廊下ではなく裏廊下を進んで東棟に続く中央吹き抜け広間を目指す。

 履いている靴には毛を表に出した毛皮覆いを被せてあって足音は少ない。だが【耳利き】の持ち主が居ればこんな工夫は意味が無いだろう。


 というか、5000人も器持ちが居るのだから希少種でもない『魂の器』の保有者は何人いてもおかしくないのだ。確率上、【耳利き】や【梟】といった夜間警備に向いている種別がそれぞれ30人は居るはず。見つからないほうが不思議なのだが、もはや破れかぶれである。ラウラが何とかしてくれていると思うしかない。

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