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第78話 クルミの殻

 退店するフェルナンドと【剣士】の女。玄関広間で二人を見送るクローヴィスとトーマ。

 72歳のコーステスタ評議会議長は最後までにこやかな笑みをたたえたまま、明日の朝にはグロロウを出立すると言って去った。



「議長を検索したのか、トーマ」

「……はい」

「せっかくの料理が台無しになったようだな」


 クローヴィスの視線はトーマの腹部に向いている。3皿の料理を平らげたトーマの腹は(かわや)に行く前はだいぶ膨らんでいた。


 閲覧したのが厠であったことは幸いだった。≪書庫≫を閉鎖した直後、こみ上げる吐き気に耐えられず、食べたばかりの料理は全て通常とは異なる経路で便器の中に収まった。



 トーマには理解できなかった。

 ああいうクソのような趣味があるにしても、なぜそれを≪書庫≫に晒すのか。20階梯を超えた賢者なら誰でも閲覧できる場所に醜悪な恥部をさらけ出して、あのジジイはなぜ平気な顔で笑っていられるのか。


「なぜあんな者と、親交を持つんです」

「あんな者だからいいのだろう。あのおぞましい老人は決して『書庫の賢者』と相容れない。『同じ空の下で生きられない』というやつだな」


 トーマと目を合わせるクローヴィスの顔にはまた表情というものが消えていた。


「書庫を破壊すれば、当然『書庫の賢者』一門はそれを成したものを探し出そうとするだろう。それほど時間がかからず私の仕業だとばれることは、あり得る。そうなった時にグロロウの戦力で対抗するだけではなく、ああいった連中に書庫の賢者勢力を牽制させる」

「ああいった連中? 書庫を自分の日記帳と勘違いしている精神異常者どものことでしょう? 書庫を破壊されれば、むしろやつらこそ敵に回る」

「精神異常者か、上手い言い回しだな」



 店の中でする話ではないということで、二人は外に出た。

 グロロウの家々の4軒に1軒は窓にガラスを使っている。地魔法での材料の精製が甘く、質が悪いガラス窓は透明度が低いうえに色がついている。家々の窓からこぼれる青や緑の灯りで政庁舎への帰り道はぼんやりと明るかった。


 道を行く二人の賢者の前をいつの間にか男が先行していた。一瞬ではあるが『五芒星の力』のすべてを増大させる異能、≪集中呼吸≫の使い手である【妙手】。

 同階梯の【剣士】の剣を素手で挟み取ったという逸話もあり、魔法系以外を欲する魂起こし希望者の間では【剣士】に次ぐ人気がある。


 その【妙手】保有者の男は階梯も40台後半と高く、危険な存在と思われたので隣のクローヴィスの顔を伺った。

 当然「魔眼」で男を見ているはずのクローヴィスが何も反応していないことから、本人の護衛と思われた。国の首領が護衛も無しで出歩くのもおかしい。


「『書庫分離』だよ、トーマ」

「なんですか?」

「書庫の破壊がどういう過程をたどるのか、やってみなければわからない。だが利用者の制限が可能なことは既に明らかだ。一時的に奴ら精神異常者だけが利用できる『日記帳』を用意してやれば、敵に回るどころか奴らは私に逆らえなくなる」

「……閣下はああいう連中を嫌っていると思っていました」

「嫌いだね。ただでさえ卑小な自我をおぞましい欲望に腐らせて、大人しくこの世から消え去るならともかく、それを永久に保存しようとする歪み切った自己愛には心底吐き気がする」


 クローヴィスの筋肉がミシリと硬直する音が聞こえた。


「だが奴らを利用すれば書庫の一門の力の結集を妨げることが可能だ。天敵である書庫の一門を最も恐れ、対抗する手段を欲しているのが連中だからな。私という指導者が立てば各地でそういう動きをしてくれる。そういう話が付いている」

「……一門が抑えつけられたままで居るでしょうか」

「血を見ることになるかもしれないな。今のフェルナンドあたりは実際に危ない。あの年寄りはタガが外れると手が付けられない」


 政庁舎が見えて来た。西棟と東棟に分かれた三階建ての建物は周囲に焚かれた(かがり)台の明かりを反射して、闇夜にうっすらと灰土色を浮かび上がらせている。


「我らが古巣『書庫の賢者』に脅えなくてはならないのも、わずかな間さ。西交易路はほとんどグロロウの勢力圏のようなものだし、南周りもプラムーシを無血で従わせる手はずが整っている。あとはボセノイア地方のワッセニー連合さえ落とせば、もう『書庫の賢者』にも誰にも、手出しは出来なくなる。デュオニアに匹敵するほどの大勢力を我々は従えることになる」

「戦争、ですか……」

「必要なことだからな。笑えるだろう、トーマ。我々に利用されたあの連中は、グロロウが強大になり手出しができなくなってから真の絶望を味わうのだ。その瞬間、死にぞこないどもの未練が詰め込まれたあの肥溜めをきれいさっぱり霧消させてやるぞ」


 僧服を着た禿頭(とくとう)の男が食いしばった歯の間から堪えられない笑声を漏らす。

 クローヴィスが≪書庫≫に対して抱えている憎悪は、トーマの嫌悪感などとは比べ物にならないようだった。




 政庁の正面入り口にたどり着いて、クローヴィスと共に外塀の門をくぐった。

 【妙手】の男はまだ先行している。

 うしろ姿だが庭の篝火(かがりび)で姿が少しはっきりと見えた。中肉中背。脱毛の皮胴衣に毛織物の上下。短く刈られた赤銅色の髪。一見何の変哲も無いが、常人(つねびと)であったならこの季節には寒すぎる恰好だろう。


 政庁舎玄関から太った禿頭の男が走り出て来た。黒衣を着た【賢者】保有者。初めて見る顔だが、クローヴィスの飼っているという3人の賢者の一人だろう。

 左手に短い杖を持って足を引きずりながら駆けてくる。トーマ達から3メルテの距離で【妙手】の男に押しとどめられた。


「閣下! なぜフェルナンド様との会食に新入りのトーマをお連れになったのですか!」

「マルクスよ、最近また酒の量が過ぎているだろう。あの店の美食はお前に毒だ」

「しかしっ! フェルナンド様をずっともてなしていたのはこのわたくしです!」

「わかっている。次期司法官選定の際はお前の貢献をしっかり考慮する」

「そ、そうですか…… そういうことであれば……」


 マルクスと呼ばれた【賢者】はやはり30階梯後半。他の二人同様≪書庫記載≫が使えるはずのない階梯に留められている。

 一つの都市に留まり続け、旅をすることも修業で己を高めることも禁じられ、命じられるままに『魂起(たまお)こし』だけをさせられている。

 名目ばかりの地位に拘るくらいしかやることが無い彼らに対して、トーマは憐れみを感じてしまった。


「ピウスもお前同様の功績を上げていることを忘れるなよ。それよりも、言っておかなければならないことがあるぞマルクス。入国審査の役目はトーマとも協力しろと言ったのであって、全て押し付けろとは言っていない。魂起こしを施す市民から付け届けを受け取っているという話も聞いた。それは禁止されていると何度も言ったな?」

「え、いえ、それは。わたくしも政務に忙しく、病のために薬代などが――」

「気休めの薬など飲むな。酒を控えて体を動かせ。わかったら、もう行け」

「……はい」


 足を引きずりながら政庁舎にもどるマルクス。見送るクローヴィスの顔に同情の色は無かった。


「トーマ。あ奴らは何歳だとおもう?」

「40代くらいでしょうか」

「そう見えるだろうが、実はトーマとそう変わらない。近隣で【賢者】に目覚めた者を集めて、弟子ではないが私のもとで育っている。あれでも三分の一ほどの魔石は自分たちで狩って採らせたのだが、ああなってしまった」

「……フロルはどうなのでしょう?」

「あれは私自身が目覚めさせた。まさかアリストンの息子が【賢者】に目覚めるとは、あまりにもひどい運命の女神のいたずらだな」



 トーマが街で調べた情報では、クローヴィスをグロロウの首領に据えたアリストンは、その強引な政策に異を唱えて司法官の座を自ら下りたらしい。

 盟友から政敵に変わってしまったアリストンの息子になぜクローヴィスが『魂起こし』を施したのか分からないが、そのことが二人の関係を決定的に悪化させる結果になった。


「あ奴ら3人は書庫の汚濁に対して、さほど嫌悪を抱かないらしい。自分が一番≪書庫≫を使うのが得意だなどと自慢している。私が奴らに階梯上げを許さないのは、奴らの魂が書庫に喰われてしまっているからだ」

「喰われているとは?」

「書庫の汚濁に惹かれているということさ。奴らが≪記載≫を使う様になれば、きっとフェルナンドや死にぞこないどもと同じ道をたどるぞ」


 あんなものに惹かれる人間が居るとは信じたくなかった。

 ほとんど会ったことが無いが『書庫の賢者』一門の者も当然≪書庫≫は利用する。師匠も師叔アルスランも魂を喰われるというようなことにはなっていないはず。

 グロロウで暮らす賢者が3人ともそうなってしまったのなら、むしろクローヴィスは自分のやり方を省みるべきだ。


「知っているか、トーマ。マナ大氾濫以前の古代世界では一つの国に100万もの人間が暮らす事もあったらしい。魔物の脅威が無い世界だといっても、にわかには信じられんことだろう?」

「俺の居たデュオニアの南の半島にそういう国があったとか」

「そうだ。マナの恩恵無くとも人類にはそれだけの国を作る力があったのだ。魔物に対して為す術なく、壁の中に引きこもる生活から魔物を狩る側に回って、この数百年。人類の復興はあまりに遅すぎる」


 そうかもしれない。せっかく『魂の器』を得て魔物に対抗できるようになったというのに、人間同士が争うことでその力を浪費することも多い。そしてそれを主導するのが権力をもった【賢者】保有者だったりするので、同じ賢者のトーマはやるせない気持ちになる。


「私はこの冬の間に60階梯に至るつもりだ。そして5年以内にはグロロウを誰にも脅かされない存在にする。書庫を完全に破壊し、古代の国々にも引けを取らないような人類の楽土をこの地に打ち立てるだろう。だが、私が為政者として最善でいられるのは長くてもあと20年だろう。こればかりはいくら階梯を上げても避けられない」

「……」

「私の跡を継ぐのはお前だトーマ。書庫に魂を喰われた者には任せることができない。フロルは私なりに大事に育て、階梯もゆっくり上げていたのだが…… ああいう事態になってしまった以上は、な」


 自分の命令が原因でソフィアが殺されたことを、やはり知っていたようだ。


「カレル。お前も明日からいつもの仕事に戻っていい」


 【妙手】の男は何も言わずにゆっくり頷いた。最後にトーマを見たその顔はなんの特徴も無く平凡な中年男のそれだった。




 翌日は入国審査所の勤めを免じられ、10日ぶりの休日となった。別に疲れるような仕事内容でもなかったのでむしろトーマは退屈に感じた。

 『魂起こし』を誰かに施そうにも伝手(つて)が無いし、クローヴィスの配下扱いなので代金を受け取っていいものなのかも分からない。

 午前中はうっすら雪の積もる庭に出て、久しぶりに格闘術の鍛錬をした。午後は浴場で時間を気にせず湯に浸かり、『クフーナ・グロロウ』ほどではないが高級な料理屋で牙角(きばづの)ジシとソバの実の炊き込みを食べる。


 日が暮れてから政庁舎の客間に帰って寝台に寝転ぶと、枕にかかった布の下に固い物がある。舌打ちをして取り出すとクルミの殻だ。一度開けた殻を(にかわ)か何かで接着しているようだ。割ってみると小さく畳まれた植物紙。トーマは広げてみた。


<見張りのおじさんが離れたみたいだね。明日の夜の8刻に南の見張り塔の上に来てください。かわいい黒髪の男の子も絶対連れてくる事。  精霊学の生徒より>


 整った筆跡に見覚えがある。赤毛の肉食獣の顔がトーマの脳裏にうかんだ。

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