第75話 初雪
7刻の入国審査が無事に終了したので、夕方の11刻までは自由時間である。
オリガとヘンリクの二人組と別れて、トーマは最近の習慣通りグロロウの街を廻ってみる。
寝起きはずっと政庁内の客室なので宿代はかからない。味気ない単純な料理しか出ないが、職員用の食堂も無料で利用できる。
給金は月末払いであり、働き出して5日目、11月の末日に金貨を1枚受け取った。
拉致されたときにも上着の懐の財布は無事だった。その中にも金が十分残っている。なのでいろいろな雑費含めて生活費に困るということは、今の所無かった。
グロロウの町並みは他の街と大して変わり映えしない。灰土で作られているのは街の南側と北西、北東に立てられている3本の尖塔と、政庁舎など中心部の政治にかかわる建物だけである。
庶民の住む家には石造りのものも少なく、木造二階建ての住宅がほとんどだ。
他の街との違いがあるとすれば、どんな小さな家にも屋根雪を捨てるための狭い裏庭があることだろうか。
どんなきっかけでトーマの異能が≪書庫記載≫に変化していることがばれるか分からないので、クローヴィスとはなるべく会わないように気を付けていた。
直接顔を合わせないままでクローヴィスの動向を探ってみたが、「竜狩り」の遠征を実施しようとする動きはまだ見られない。
グロロウには東方からの交易に来る者、東方から帰還した者が多い。自由時間には酒場や料理屋でいろいろな話を聞いた。
トーマの育った文化圏では竜と言えば巨大な翼をもち、風を操り空を翔けるあの竜のことだ。しかし東方では竜の事をタツと呼んでいて、他の強大な魔物も同じくタツ扱いだそうだ。
タツノコモドキという名称の魔物が居るが、姿が似ている巨大な魔物を東方でトゥラヌタツと呼んでいることがその語源だという。トゥラヌタツを西側の共通語で訳せば地竜になる。
全身が尖った硬い鱗に覆われ、地精霊を操る地竜。海にはヘビのような長い首を持った水竜が潜んでいるとされる。ときどき森の広大な範囲が焼け落ちているのは火竜が暴れた跡と言われ、その姿は定かではないが、伝説上では長い尾を持ち人のように直立二足歩行する巨大なトカゲなのだとか。
トーマのよく知るあの鳥の化け物は飛竜と呼ばれるらしい。
クローヴィスはここ数年、グロロウのはるか北、アクラ川の源流付近に地竜を狩りに遠征に出かけているという。
トーマが昔聞いた、足に板をくくりつけて雪の上を移動する方法はこのあたりで普通に使われている。
同じような板を車輪がわりに荷車に履かせたソリという道具で物資を運びながら、移動だけで半月もかかる奥地まで赴く。
なぜ冬に遠征をするのかといえば、雪で地面が覆われる季節には地竜が地精霊を操ることができなくなり、倒すのが簡単になるのだそうな。
トーマが見た限り、クローヴィスの『魂の器』は現在空である。成長素は少しも溜まっていなかった。59階梯に上がってから一度も魔石を食っていないのだろう。
地竜の階梯相当格がいかほどのものか知らないが、少なくとも3頭の地竜を倒さなければクローヴィスは60階梯に達することは無い。
南門広場に並ぶ露店を見回っていたら、空から白いものがちらちらと降って来た。雪だ。いよいよである。この雪が十分に積もれば、クローヴィスは遠征を始めるだろう。
トーマの生まれ故郷でもデュオニア共和国でも冬は寒かったし、時々雪が降り、足首の高さくらいまで積もることもあった。
だがトーマが本当の雪を知ったのは4年前の修業の旅の途中、北海沿いに広がるジェルムナ民族勢力圏でのことだった。毎晩のように大雪が降り、積雪はトーマの肩の高さにまでなる。海風の影響なのか、雪は湿っていてずっしりと重みを持ち、それなりの階梯の『器持ち』だったトーマ達3人でも雪をかき分けて移動する気にはならなかった。
板を使って雪の上を歩く方法など当時は知らなかったので、冬の間中ジェルムナ族の集落に厄介になった。3百人ほどの集落だったが、滞在費代わりに施した『魂起こしの儀』によって、一冬で半分ほどが『魂の器』に目覚めるという結果になった。
南門広場の露店の商人たちは分厚い上着を何枚も重ね着にしている。
天幕を張っていない露店の中には雪で商品が濡れてしまうのを嫌って店をたたむ者も多いようだ。
残っている丈夫そうな天幕を張っている露店の商品を一つ一つ見ていたら、中くらいの壺の中に黒く縮れた乾いた葉が詰まっている。
「お客さん、それは東方で作られた本物のお茶だよ。半病人のじいさんだって飲めば元気になって夜も眠れないくらいさ」
「いくらなんだ?」
「一壺で金貨2枚さ」
「高すぎる。要らないよ」
≪書庫≫が使えるようになったので、トーマはカーキーの葉のお茶の製法はもう閲覧していた。思っていたよりずっと手間がかかり面倒そうであった。
300年以上前の極東賢者の残した情報は≪書庫≫最深部にあってなかなか潜れなかったが、他にもいろいろな面白そうな知識につながる途が見えた。
師匠ラケーレが趣味として極東賢者の記憶を探るのも今は理解できた。
出来る事なら≪書庫≫が破壊される前にクローヴィスを倒したい。
そのための手段をトーマは探っている。情報を集めて構想を練っては、欠点を見つけてそれを捨てる日々。
いっそのこと一人でさっさとグロロウを逃げ出して書庫に全てを書き込み、師匠たちに対策を委ねてしまおうかとも思ったこともある。
だが自由に動き回らせてもらっているようでも、小心者のクローヴィスの事である。トーマにわからないように手練れの監視が付いていると見たほうがいい。軽挙は禁物だ。
夕刻の入国審査も無事に済んだ。8日間の審査所勤めで、もう300人近くを見極めたが本物の『不明種』が見つかることは無かった。
正体不明の『器』を持った者がグロロウを訪れると拘束されるという評判が既に広まっているらしい。何をするか分からない『不明種』が近づかなくなるという事なので、クローヴィスにとっては悪い事でもないのだろう。
もう今日は審査は終わりなのだが、まだオリガとヘンリクが残っている。何か深刻そうな様子で話し合っていので近くに寄ってみた。
「——副隊長が言っていたのをイゴーリさんが聞いたんだと。だから本当だと思う」
「イゴーリさんの話なら間違いないか。あの人いい加減な事言わないものね」
「何の話?」
トーマに急に話しかけられ、二人はびくりと肩を跳ねあがらせた。振り返ると二人とも不安げな表情をしている。
「トーマには関係ない事よ」
「いや、関係はあるだろ。むしろ当事者だ」
「どういうことだよ」
「俺たち衛士隊の隊長だったレオニードが平衛士に降格されて謹慎をくらってたのは知ってるか?」
「聞いてる」
ロベールはクビになったと言っていたが、実際は降格処分と無期限謹慎だという事は情報収集の中で分かっていた。
クローヴィスは一国の最高指導者であり、レオニードはその安全を守るべき立場に居た衛士長である。
知らぬこととはいえ、それをだまし討ちの場にいざなったのだから過重な処分とは言えない。
まだ20代半ばの若者と考えると可哀そうにも思うが。
「彼が数日前から行方不明らしい。一人暮らしだったから正確にいつから居なくなったのかも分からない」
「家に荒らされた様子はなかったっていうから、変なことにはなってないと思うんだけど……」
「トーマ、お前がちゃんと仲介役をやっていればこんなことには……」
「それは言いっこなしでしょ。トーマが襲撃を企んだわけじゃないんだし」
「……そうだな。悪いのはラウラだ。すまん」
二人はそう言ってくれたが、トーマは責任を感じていた。
交渉の席でのラウラによる奇襲攻撃が避けられないことだったとしても、仲介の主導権をトーマがしっかり握っておけば、レオニードが衛士長の座を追われるまでにはならなかったかもしれない。
レオニードが重要な地位に留まっていれば、母であるソフィアが殺されなかった可能性すらあるのではないか。少し考えすぎなのかもしれないが。




