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第71話 呪い

 ロベールが背中で何かやっていると思ったら、手枷の圧迫が消えて、外れた。

 硬直していた肩の筋肉を動かすと、ミシミシと音がする。


「じゃあ俺も、もう寝させてもらうぞ。くれぐれもこのトーマを甘く見るなよ」


 ロベールの忠告にクローヴィスは苦笑して、トーマを見た。

 その「魔眼」には、自身の三分の二ほどしかないトーマの『五芒星の力』が見えていることだろう。


 上着の前が開いているので、下に着ている質素な綿服が見える。僧服姿の時は直接分からなかったクローヴィスの体形がはっきりと見て取れる。

 体重はトーマの倍もありそうだが、鍛え上げられた肉体に贅肉はほぼついていないようだ。


 まるで図書室のような、この部屋の大きさは奥行きが10メルテ近く、幅も同じほどだ。

 正面奥の壁。中央に開いている大きな窓は色ガラスの組み合わせで何かの意匠が描かれている。

 室内が明るく外が暗いのでわかりづらいが、恐らくは古代宗教において信仰の対象になっていたという、羽の生えた人間を表しているようだ。


 丸卓には手前と奥に二脚だけ、背の低い総革張りの椅子が備え付けてある。

 クローヴィスは奥の椅子に腰かけ、トーマに対面に座るよう促した。


「警戒するのはわかるが、素直に座りなさい。何かするつもりなら、君が寝ている間にできた。そうだろう?」


 反論しようのない事実である。

 トーマが大人しく革張りの椅子に掛けると、後ろで扉が開く音がした。フロルが盆にのせた茶碗を持ってきて、トーマとクローヴィスの前に置く。

 去り際、立ち止まって濡れた手巾を渡してきた。


「……?」

「その……、お顔を」

「拭けという事さ。鼻血で口元がずいぶん汚れている」


 そういえば首を絞められて気絶する前、ロベールに殴られていた。

 鼻から下を何度か拭うと手巾は真っ赤になってしまった。「すまん」といってフロルに返すと、困ったような顔で「大丈夫です」と受け取った。


 未熟な賢者の少年は身長こそトーマより少し高かったが、まだ線が細い。やせっぽちと言われがちなトーマだが、時折鍛錬して修業時代の筋肉は維持している。

 師匠ラケーレがフロルを見たら、鍛え方が足りないと言うだろう。

 瞳の色は母や兄とは違い焦げ茶色だったが、自信なさげに見えるその表情にソフィアの面影があった。


 フロルは母親が死んだことを知らされているのだろうか。トーマの巻き添えになって殺されてしまったのだ。膝を着いて詫びるべきなのではないか。

 逡巡している内に、フロルは汚れた手巾を持って隅の小扉から出て行ってしまった。



「さて、トーマ。荒っぽい手段で連れてくることになったが、謝罪する気はない。なにしろ君が整えたはずの和平交渉の席に赴いて、私は命を狙われたのだからね」



 クローヴィスの方にしても、ロベールだけでなく100人以上の軍勢を近くに潜ませていた。本当に平和的な話し合いをする気があったかどうか怪しいものである。

 何より襲撃計画を知らされていなかったトーマに責任はないのだが、それを言ってもしかたがないので黙っていた。


「君がニストリー川を渡ってこちらの勢力圏に入って来たと分かった時、ロベールは君を排除すべきだと主張した。何しろあの悪名高い『書庫の賢者』の幹部候補だからね。橋造りのラウラ率いる土橋村勢力と手を組まれれば、厄介どころの話ではないと。ロベールはそう言っていた」

「悪名高い?」

「大陸中で権力を持つ【賢者】保有者を次々に殺害しながら、何の罪にも問われずにのうのうと世界を闊歩している。そういう評価もあるんだよ」



 プラムーシの渡し船を利用する客を「魔眼」で監視すれば『書庫の賢者』がこちら側に侵入してくることは察知できるわけだ。

 大変な監視のようだが、プラムーシも大きな街であり、もともと『魂起(たまお)こしの儀』のために常駐する【賢者】が居てもおかしくはない。

 ついでに渡し場の近くに住んで、一日100人程度の利用客を監視するくらいなら可能だろう。侵入だけ監視すればいいなら50人で済む。

 グロロウから西に延びているという街道でも、似たような監視の仕組みがきっとあるのだろう。



「一門は権力者の【賢者】なら誰でも殺して回るわけじゃない」

「知っている。権力の座にあり≪書庫≫に混乱をもたらす【賢者】保有者。その首級を上げた者のみが、『七賢』の継承権を得る」

「なんで……」

「何故継承条件を知っているかって? 元は私も書庫の賢者の一員だ。そう意外な事でもないだろう」

「……いや。正直に言えば、驚いたが……」


 ≪書庫≫の異能を使いこなせない出来損ないの賢者であったが、トーマは自分が『書庫の賢者』の一員であり、またそうあり続けることに不満は無かった。

 七賢継承のための殺人行為に抵抗はあったが、アルスランの言った通り、もはや成り行きに任せればいいと割り切っていた。


 師匠ラケーレと(たもと)を分かち、一門を抜けて生きる事など考えたことは無い。クローヴィスが一体なぜ、どうして世界で最大だろう賢者の組織を抜けたのか、トーマには見当がつかない。


「ああ、≪書庫≫で私を探ろうとしても無駄だ。名を変えているし、二十年以上も前に記録された容姿とは、だいぶ変わっているから検索は出来ないはずだ」


 トーマが呆然としているのを、≪書庫閲覧≫を使っていると勘違いされたらしい。

 剃り上げた頭をひと撫で。クローヴィスは取っ手付きの陶器の椀を持ち上げ、フロルの淹れたお茶を飲んだ。


「話を戻そう。つまり君が私の命を狙ってやってきたわけでは無いことを、私は知っていた。なにしろ私は20年来、≪書庫≫には何も書き込んでいないからね。殺害対象として、目をつけられるはずがない」

「だとしても、なぜ俺をラウラに引き合わせた?」

「もちろんラウラと面識のある君に間と取り持ってもらい、土橋村との和平を実現するためだ。あの橋を利用することの利益はとても大きい。そして同時に、普通は権力から距離をとる立場である君に、直接会う機会を作れると思ったからさ。20代の若さで継承者候補にまで上り詰める、優秀な後輩にね」


 トーマの頭にひらめいたものがあった。クローヴィスがグロロウの統治者として表舞台に出てきたのが20年前。今のトーマと同じ20代後半の年齢だったという。

 そしてさらにその数年前、グロロウの領主賢者であったブルスタは何者かに殺害されている。

 ブルスタが≪書庫≫に何か書き込んでいたのかどうか知る由も無いが、女中であったソフィアを孕ませるような人間である。ひどい内容を書き散らすような人格であった可能性は高い。

 書庫の賢者の一員として『七賢』継承の条件を満たすために、クローヴィスがブルスタを殺害したのではないか。

 今のトーマよりもさらに数年若く後継者候補だったことになるが、「優秀」なクローヴィスであれば有り得ない年齢でもない。


「トーマ。君は【賢者】というアールヴィリティについてどう思っている」

「アール……何?」

「魂の器の事だ」


 確かに『魂の器』を精霊言語に翻訳すればアール ヴ イリティだ。


 【賢者】についてどう思うのか。あまりに大掴みな質問。トーマは答えに困った。



 革張りの椅子は背もたれまで詰め物がしてあり柔らかい。大きな上半身を深く背もたれに沈み込ませて、クローヴィスは腹のあたりで指を組んだ。


「私はかつて、七賢継承条件の3条について疑問を持っていた。我々の本懐とは≪書庫≫の内容を整理して有効に利用することなのだから、無意味な、汚らわしい内容を削除させればそれで済む話ではないのか、と。君はどうだ、トーマ」

「……同じ疑問は持っていた」

「やはり、君は私と似ている」


 禿頭(とくとう)の執政官は口角を上げてトーマに笑いかけた。人間的な表情だと感じて、気づく。

 交渉の席で顔を合わせてから今まで、クローヴィスの顔には表情というものが無かった。最初に数秒間変な顔をしていたが、あれは≪書庫≫を閲覧するときにそうなってしまう【賢者】特有の癖であって感情の発露ではない。


「実際に会ってみるまではわからない。≪書庫≫を汚す愚か者どもの多くは、こちらが理を説いて書き込みの削除を要求しても、絶対に聞き届けない。たとえ結果として命を奪われることになっても、その心臓が動きを止める瞬間にも後悔すらしないのだ」

「……」

「なぜか分かるかね」

「……いや」

「魂起こしによって人にアールヴィリティを与える【賢者】保有者が、権力を持つことは自然なことだ。だが【賢者】が遺伝しない以上、その権威は一代限りであり次世代には継承されない。積み上げた富や力が自分の死とともに霧消してしまうと知った彼らが最後に望むことは、自分の人格、自我の永続だ」

「自我の……?」


 先ほど、幸福とは程遠いような、まるで痛みの中にわずかな救いを見つけたような、そういう笑い方をしたクローヴィスが、今度は明らかに何かを侮蔑するような表情をした。


「自我と呼ぶには、あまりに卑小で動物的なものだがね。要は、()()()()()()という事さ」

「……記憶を書き写して、≪書庫≫の中に自我を保存する、と?」


 クローヴィスは頷いた。

 記憶は人間の人格の大部分と言える。そして≪書庫≫への書き込みを削除できるのは書き込んだ本人だけであり、死んだとしても消えることは無い。


 トーマには意味のある行為とは思えない。≪書庫≫に書き込まれるそれは記憶の複製品であって、本来の自己はあくまでも自分の肉体と共にあるのではないのか。


「惨めだろう? 多くの人間は自分の成した仕事、残した家族。そういった物に満足して穏やかに死を迎える。個人の記憶なんてものに本来、価値など無い。だが(いたずら)にそれを永続させる手段を持ってしまったがために、【賢者】たちはその晩節を汚し、人間の本分さえ忘れ、下卑た欲望を満足させてはその腐った自叙伝をせっせと≪書庫≫に書き綴るんだ」



 トーマに妻子は居ない。後の世に誇れるような仕事も成してはいない。まだ28歳なので老いてゆく人間の心情は分からないが、そんな老人にだけはなりたくなかった。この先の人生で、トーマは何を残せるだろう。


「【賢者】というアールヴィリティは、≪書庫≫によって呪われている。呪いによって人間性を腐敗させた、哀れな【賢者】保有者たちの亡霊によって、≪書庫≫は汚染されているのだ」


 クローヴィスは立ち上がると、部屋の左奥に歩いて行き、巨大な本棚のふちを掴むと体重をかけてそれを引いた。

 ゆっくりと、扉のように開いた本棚の裏の壁に、もう一つ小さな本棚が埋め込まれていた。


 体格同様に手も大きなクローヴィスが、両手で持たなければいけないほどの本が隠し本棚から取り出された。


「私は書庫の賢者を抜けたが、他の愚かで醜悪な領主賢者とは違う。トーマ、君に秘密を教えよう。私は【賢者】を≪書庫≫の呪いから解放するという願いを持っている」


 悠然と歩み寄ったクローヴィスが、その手に持つ本をトーマに渡してきた。

 黒い革で表紙が装丁された、歴史を感じさせる獣皮紙の本だった。

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