第69話 狼狽
普通の大弓から次々に放たれる矢はあまり効果が無いように見える。
『速さ』の恩恵で認知・思考が高速化される『器持ち』にとって投射武器はあまり脅威ではない。熟練の戦士なら掴み取るなり打ち落とすなり、防御が可能だ。
仮に体に当たっても『耐久』の大きな者なら大怪我にはならないだろう。よほど強力な毒でも塗らなければほぼ無意味なのが普通の弓矢の長距離射撃だ。
頼りは大型弩弓の攻撃だ。南側の弩弓から発射された矢が、また二人のグロロウ兵を橋から落とした。だが北側の一発は巨躯の盾兵に弾かれ、斜め上空に飛んでいってしまったようである。
巨大な衝撃力を持つ大型弩弓の矢も、特別な資質を持った者ならば拍子を合わせ、弾いて無力化できるようだ。
北側の土手に居た『魂の器』・【投射】を持っている男が、唾で濡らした人差し指を空に掲げている。階梯30前後の、額が広くなった男の持つ弓は、なにやらいろいろな素材で補強されていて他の者の持っている木製の弓とは趣が違う。
美しい姿勢で引かれた弓に番えられている矢の鏃は正三角形。色合いからすると青鉄製のようだ。狙いを定め、発射する。
巨躯の盾兵は山なりに飛んでくる矢を防ぐために、盾を少し上に構え橋の上を駆けていた。直線的な軌道で飛んだ【投射】の男の放った矢は、巨躯の盾兵の足元に当たったようだ。前のめりに転んで盾を取り落とし、右膝を抱えてうずくまっているようだ。
投射武器の衝撃力とは、飛翔体の速さと重量によってもたらされるものであって、その硬度はあまり関係ない。だが【投射】の異能で強靭化した、剃刀のごとく薄く鋭い鏃であれば金属製の脛当ても貫くことが可能だろう。
対象が肉体そのものを強化する異能を持っていない場合、脛の骨まで損傷させることも考えられる。
巨躯の盾兵が倒れたことで、戦列に混乱が生じたようだ。乗り越えて進もうとする者に今度は弩弓のでかい矢がぶち当たる。近づけば近づくほどに威力と速さが増していくのだから、これに正面から向かっていくのはよほどの覚悟がいる。
総勢100名を超えるグロロウ側の軍勢であったが、50メルテの距離になって侵攻速度は目に見えて衰えた。理由はなんとなくわかる。
これ以上近づけば、今度は魔法の射程に入る。
悲しいことに魔法は射程距離があまり長くない。『火炎旋風』を最大限伸ばして15メルテほどだろうか。
実戦で使ったことがないが、トーマの使える魔法の中で最も射程が長いものは『脱空』だろう。生気を取り除いた風を送り届ければ、30メルテ先の生き物がまともに呼吸できなくなる。自然に吹く風の、風向きや風速次第でうまくいかないし、当然相手側に風魔法使いが居た場合は簡単に無効化されてしまう。
つまり、50メルテ離れたこの距離ではトーマにできることは無い。「魔眼」によって相手の力量を測ることさえできない。
弩弓がまた一人橋から兵を叩き落とした。落とされた兵は全員舟に救出されているようだ。よく見れば舟の周囲の水は盛り上がっていて顕現精霊魔法で守っていることが分かる。
人間同士の戦争などトーマは経験がないのでよく分からないが、犠牲を恐れずに一気に攻め寄せれば、グロロウの軍勢の大半はこちらの岸までたどり着くのではないだろうか。そうなれば人数の差は少なくとも倍で、土橋村側は一気に不利になるはず。
それが出来ないのは士気が低いというやつなのだろうか。どうも軍勢の中にクローヴィスもその護衛だった者など、知った顔がいるように見えない。この100人超の軍勢に、指揮官は居ないのではないか。
戦闘が始まった直後。トーマが居る土手の北端。そのさらに北、川の上流側で数名が何か作業をしていた。樽から川に何かを流していたようだったが、彼らが帰ってきてその樽の中身が何であったのかを知ったトーマはゾッとした。
樽の中は何かの血液でどす黒く汚れていた。アクラ川が何百年もの長きにわたって西側と東方を隔てていたのは、顕現精霊で舟を守っても守り切れないほどの魔物が出るからだ。
グロロウの軍勢の側で悲鳴が上がった。下流からなにか巨大な生き物が泳ぎ登ってくる。水面に岩のようなものが一列に並んで、水しぶきを上げながら接近している。その長さは10人乗りほどの大きさの舟の全長を超えている。
魔物の背中の鱗か何かだろうか、その形の揃った岩の列は一度水中に潜った。一瞬の静寂。
橋の下流側の舟が水中から何かに突きあげられるように持ち上がった。水面から持ち上がることで見えた顕現精霊はイモリのような形をしていたが、黄色と黒のまだら模様の、尖った何かで中心を貫かれ、一瞬で形を崩して消えた。
精霊による守護を失った舟の上で、助け上げられた兵や船頭だろう顕現精霊魔導士が慌てている。
本来の川面の高さに落とされた舟が、次の瞬間、素早く振り回された魚の尾ヒレに真っ二つにされた。尾ヒレの大きさは人間よりも大きい。船に乗っていた人間は全員、水に投げ出された。
鎧を着ていた者たちは浮かんでこない。軽装の魔導士がこちらの岸に泳ぎ渡ろうとしている。その真横の水面が乱れ、大きく波立つ。
黄色と黒のまだらの魔物のとがった鼻先が突き出した。人の身長を超える長さの尖った鼻先。根元に光る、巨大で無機質な眼玉。
鼻の下、口があると思われる部分に魔導士の男が吸い込まれた。
遠くて聞こえるはずはないのだが、トーマは人間の体が砕ける音を聞いた気がした。
「アクラ川の、ヌシなのか……?」
誰に言うでもなくトーマは呟いた。
「ヌシなんて大層なもんじゃねぇよ。あんなのはうじゃうじゃ居る」
答えたのは川に血を流していた男の一人。トーマの知らない顔だった。
グロロウの軍勢は退却した。川に落ちても助けてくれるものは無く、巨大な魚の魔物の餌になると思えば戦い続ける気力も失せるというものだ。
数名の見張りを土手の上に残して、ラウラたちは壁の中に降りて休息をとっている。
クローヴィスの暗殺には失敗しているのだが、100人を超える軍勢に何もさせず、撤退に追い込んだことでなにやら祝勝のような雰囲気が漂っていた。
トーマは一人、矢倉塔の上に居た。沈む夕陽を見つつ豆茶をすする。
壁で囲われた土橋村跡地の、東門から誰かが出てきて向かってくる。
トーマは飲んでいた豆茶の杯を置いて、矢倉塔から飛び降りた。
「ソフィアさん、まだ残っていたんですか」
ソフィアの格好は普段と同じスカート姿だった。逃げ出さずに残っているのは『器持ち』だけだと思っていた。
なぜ戦う事の出来ない、戦うべきでないソフィアが残っているのか。理由があるとすればあの事だろうか。
「レオニードは無事でしたよ。さっきの、橋の戦いにも参加してないようでした」
「あぁ、それはラウラ様にも伺いました……」
「そうですか?」
ではもう、トーマに訊きたい事など無いはずだと思うのだが。
「……ラウラ様のおっしゃるには、トーマ様は計画を知らされていなかったことにお怒りであるとか……」
「……ひどく簡単に言えば、そうなのかもしれませんね」
「申し訳ありません、トーマ様。ラウラ様はあくまでも私たち土橋村の者が人間らしく生きられる、そのために最善の方法を選ぼうとなさっただけなのです」
「それで、こちらに二名死ぬ者が出ました。向こうはもっとたくさん死にました。望んでいた結果ですか?」
ソフィアは唇を引き結んでトーマの顔を見つめた。二人の子を持つ母の顔には、確かに失われた命への哀しみが滲みだしていた。
「すいません。ソフィアさんに言ってもしかたがない事でした」
「……いいえ。出てしまった犠牲に対する責任は、私たち全員にあります」
その私たちの中にトーマは含まれていないのだろう。計画を知らされていなかったことで、責任をあまり感じずにすんでいることも事実だった。
「逃げた人たちは、どこに向かったんです? これから来る冬を乗り越えられそうなんですよね?」
「それは……」
やはりそれも余所者であるトーマには教えられないということか。
グロロウ司法官部隊は契約違反者をどこまでも追いかけて制裁を科すのが仕事だという。
場合によってはトーマを拷問にかけ、逃げた人々の行く先を訊く可能性も無くなない。教えてもらわないほうがいいかもしれない。
「ソフィアさん。俺は一旦ここを去ろうと思います。難しいかもしれませんが、雪で移動が難しくなる前に、ひょっとしたら強い味方を連れて来られるかもしれない。あるいは雪が積もった後でも」
何年も前の事だが、トーマは雪の上を沈み込まずに移動する方法を聞いたことがある。足に長い板をくくりつけて滑らせるように移動するらしい。
『書庫の賢者』一門に連絡をつけて、ラウラの保護のために戦力を送ってもらうよう働きかけるのが、今トーマにできる最善のことだろう。
問題はどうやってアクラを越えるかだ。橋の向こうにグロロウの戦力がひしめいているという現状では難しい。
「え⁉ そんな、なぜ!」
「なんです?」
ソフィアが狼狽えた。別れを告げる言葉に驚いたのかと思ったが、トーマの背後を見ているようだ。
臨戦態勢で振り返る。矢倉塔の裏から飛び出してきた人間が一瞬で距離を詰め、トーマの顔面に拳をめり込ませた。頭の中が真っ白になり、意識がもうろうとする。
飛び出してきたのは一人ではない。膝をついたトーマの首に誰かが腕を回し、首を締めあげようとしている。抵抗するも、力が入らない。
ソフィアが「誰か!」と叫んだ。
トーマを殴った男が、助けを求めて村の方に駆けだすソフィアの背後に迫る。
黒くにじんでいくトーマの視界に、黄銅色の髪を振り乱したロベールがソフィアを長剣で貫く光景が映った。




