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第67話 カニ

 たとえトーマの5割増しの『耐久』があっても、『火炎旋風(フィオムベンティゴ)』の熱を耐えることは出来ない。距離をとって逃げられることは想定していたが、まさか単精霊中魔法で打ち消されてしまうとは。


「プラト!」


 叫んだラウラは右肩を押さえている。

 その向こうに、プラトの姿があった。盾を両手に持ったまま、膝から崩れ落ちる。血塗れの長剣をプラトの体から引き抜いたロベールの表情は、乱れた髪の陰になって見えない。


「撤っ退ぃい! 逃げるよ、みんな!!」


 ラウラが大声で宣言した。その視線はロベールでなく、クローヴィスの背後を見ている。

 50メルテ先、森の中から複合鎧を着た大勢の人間が飛びだしてきた。5人や10人ではない。


 ディルとペトラシュがクローヴィスに背を向けて逃げ出している。ボリスの姿だけ見当たらないが、皆ラウラの撤退命令に従うようだ。


 クルムの糸がロベールの足元に何度も打ち出されては長剣で切り払われる。左手の大斧を引きずりながら後ろに跳び退るラウラに合わせてトーマも退く。新たに取り出した2つの石炭にマナを込めて、詠唱を始める。


 クローヴィスはまるで散歩でもするかのようにゆっくりとこちらに歩いてくる。『雷光(イカヅチ)』一発と、不発が一発。それと『脱気(プニアジス)』。マナ切れとは思えないが微妙なところだ。『雷光』の消費マナがどれほどか、そもそもトーマには分からない。

 

 『火炎鞭・煽フィオンヴィーポ・ベント


 トーマの右手から延びる炎が地面すれすれに蛇行してロベールの足元に襲い掛かる。

 双剣による高速の連撃で火魔法をかき消すという離れ業を成すロベールだが、自身の足元はどんな武術においても攻撃しづらい。しかも風によって煽られて燃え上がる『火炎鞭・煽』の飛翔速度は『火炎鞭』よりも速い。舌打ちをするロベールだが、距離をとる以外の選択肢は無い。


 プラトを「魔眼」で見ても、その体にはもう『魂の器』が見えない。命と共に消えている。プラトの遺体は残されたままだ。未だ麻痺の残る仲間を抱えた【不燃】のバティルが逃げて来た。


 ラウラに殺されたと思しき不明種の男の死体をクローヴィスが跨ぎ越す。そもそも向こうにはロベールを加えても6人しか戦力が居なかった。ラウラ率いる土橋村勢力はトーマを除いても11人居たのに、歯が立たなかった。


「俺がしんがりをする、賢者さんは退け」


 右目が潰れて血が流れているグレイプがそう言ってトーマの前に出た。ロベールが近づいてきている。

 トーマは新たな石炭を二つ取り出した。


請う(エルク) 風の精霊(ファンシルフェ) 熱をその(スリファタス)身の力と変えて (ゼル ヒュローン)マナの(バレス)導く先へ爆ぜよ( マナヴァーサ ビノ) 焦撃波(アルダレヴィーコ)

請う(エルク) 火の精霊(ファンヴルクン) マナを喰らって(グロップ ピンマナ) 焦熱と化し(ファラエナ ローン) 風と交わり爆ぜよ(ランエシルフェ ビノ) 焦撃波(アルダレヴィーコ)


 左手の石炭を握り砕く。その破片を集まった風が巻き込み、半メルテの空気の球となる。石炭の破片が白熱して燃え、風を集め続ける空気球が悲鳴を上げる。トーマは前に居るグレイプの襟首を掴み、引っこ抜くように自分の横まで移動させた。


 トーマの使う3つの火・風複合精霊魔法、その最後の一つ。『焦撃波(アルダレヴィーコ)』は操作性も殺傷力も度外視。純粋な力の大きさだけを追求した魔法だ。

 伸ばした左手の先で空気球が爆発した。腹に響く衝撃音。衝撃の大半は精霊への要求通り前方に向かっているが、トーマ自身にも息の詰まるような暴風が叩きつけられた。


 ロベールは10メルテ先で仰向けに転がっていた。とにかく広範囲に爆風をまき散らす『焦撃波』は射程距離内に居れば避けようがない。使い勝手がとにかく悪い魔法だったが、媒介に木材ではなく石炭を用いると発動から爆発までの時間が短いようだ。


「いや、さすがだな。じゃあ早く逃げようぜ」


 グレイプが振り返る。橋まではもうすぐだ。狭い橋の上なら、接近戦における人数差は関係なくなる。

 クローヴィスをだまし討ちにすることは叶わなかったが、まだラウラたちに生き残る目はある。


 ブオンと、風音。何かが視界の端から飛んできた。

 グレイプがつんのめるように倒れる。その背中に柄が2メルテある大きな穂先の槍が突き立っている。

 槍の飛んできた方角、20メルテ以上離れたその場にはクローヴィス。

 【槍士】の男の落とした武器を投げ終えた姿勢から、ゆっくりと上体を起こした。


「クロォオオオヴィィイスッ!!」


 橋の上、たもとから10メルテほどの位置に立つラウラが叫んだ。


「あんたに! 橋は! 渡さないっ!!」


 ラウラが振り上げた右脚を、橋に叩きつけた。その位置から、たもとまで。橋が膨れ上がり、飛び散った。


 橋はもともと水面から5メルテの高さにある。よってたもとから何メルテかは川岸の水の無い部分にかかっており、橋の残っている部分から水際までは4メルテほどか。

 たっぷり助走をつければ跳びあがれない距離と高さではない。だがそんな余裕はもうない。複合鎧を身に着けたグロロウ司法官部隊と思われる『器持ち』たちは、もうすぐそこまで迫っている。

 その人数はもはや100人を超えていて軍勢と言ってよい。

 グレイプの体には、もうマナの恩恵は宿っていない。

 トーマ一人が取り残されてしまった。



 トーマの首に、何か細いものが巻き付く。右脚、右腕にも。


「なんだ? なんだよ?」


 糸の本数はどんどん増えていく。十数本も巻き付いたところでトーマの体は橋に向かってひきずられた。クルムの髪でできた糸だ。今日だけで消費した髪糸の量はかなりのものになるはず。いったい何年間自分の髪を溜め続けたのか。


 川の水に落ちそうになったのでトーマは自分の脚で跳ねた。空中で糸に力が加わり、無事に破壊された橋の先端に手を掛けることができた。


 水面が大きく盛り上がる。水音と共にしぶきが上がり、人間の身長をはるかに超える大きさのカニのハサミが水面に突き出す。川岸に殺到していたグロロウの軍勢をなぎ倒した。


「アクラの魔物の餌になりたい者は、放り込んでやるから前に出ろ」


 顕現精霊の透明な背中の甲羅にはボリスの上半身が突き出している。胸から下はカニの体内で胡坐を組んだ姿勢だ。



「久しいな、ボリス翁。先ほどは魔法に巻き込んでしまい失礼をした」


 語り掛けるクローヴィスに、ボリスは返事もせずに鼻を鳴らした。


「トーマ、はやくこっちに来て」


 ラウラは東に向かって橋を進んでいた。トーマが追いかけると、ラウラは狭い橋の上でトーマと位置を入れ替えた。


「うぅううう……、おりゃっ!」


 ラウラが右足を橋に打ち付けると同時に、そこから先7メルテほどが膨らみ、砕けた。どうなっているのか全く分からない。「おりゃ」で魔法が使えれば魔法使いは誰も苦労しないのだ。


「これで完全にマナ切れ。東岸まで逃げるよ」



 橋の上を駆ける土橋村の人間はトーマ以外に全部で8人。まだ体が痺れているのか、動きがぎこちない者もいる。ボリスも途中でカニから橋に登って追いかけてきていた。

 グロロウの軍勢を振り返ると、今の所だれも追ってきていない。だが浅瀬に10メルテ程度の足場を築くことぐらいすぐに出来るだろう。猶予は殆ど無いに等しかった。

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