第66話 机上の空論
クローヴィスを取り巻いている白い靄が内部から発光。直後、空気の張り裂ける音と共に青白い稲妻が空間に放たれた。
大樹の枝のように幾重にも分岐する光の糸が、ラウラ側の戦力全体に降り注ぐ。
その一瞬の閃光が、彼らの背後に位置どっていたトーマの瞼の裏に焼き付いた。
瞼を開くと、レオニードを攻めていたプラト他1名、ラウラをかばう様に立っていたディル・ペトラシュ兄弟が倒れている。バティルと共に【槍士】に相対していた者、それにボリスまでが膝をついている。
プラトと、ついでに倒れていたレオニードがゆっくりと立ち上がった。『雷光』は川から出てきて体が濡れていた者に、より強く作用したようだ。
およそ三十年前、トーマの師匠であるラケーレが編み出した水・風複合精霊魔法『雷光』。水と風の力を使って、その精霊力とはまるで性質の違う力を生み出して放つ、回避も防御も不可能な神速の魔法。
天から降る本物の稲妻と比べればその威力は小さなものだが、現代における最強格の魔法である。
極東賢者の記憶発掘を趣味としているラケーレが、極東言語の語彙から登録名を付けている。
七賢としての二つ名『雷光のラケーレ』は、当然これに由来していた。
未だモヤに取り巻かれるクローヴィスに大斧を肩に担いだラウラが突進。左足には血が流れているが『雷光』の影響は感じられない。
ラウラの脚に噛みついていた不明種の男は首を折られて死んでいた。
風に吹き消されるように、一瞬にしてモヤが晴れる。視界確保のためにクローヴィス自身がそうしたのだろう。ラウラに気づき、杖を構える。かまわずに大斧を斜に振り下ろすラウラ。杖が半ばから破断し、後方にはじき飛ばされるクローヴィス。
突如として発生したつむじ風にラウラはトーマのそばまで吹き飛ばされ、仰向けになぎ倒された。紫外套の女の『大蛇旋風』のようだ。
クローヴィスの護衛、【槍士】の足もとの地面が爆発した。武器を手放し天高く舞い上がる【槍士】の男。続いてレオニードとプラトの間の地面が爆発した。
ボリスが地面に両手をついている。位置の関係で『雷光』の影響が少なかったのかもしれない。放った地魔法は『大爆地』。トーマにはぎりぎり2度しか使うことができない大魔法だが、ボリスにとってはそれほどの負担ではないだろう。
トーマの目の前でラウラが勢いよく跳ね起きた。
「……あの魔法はまともに喰らうと死ぬぞ」
ラウラは一瞬だけトーマの顔を見た。その眼は狩りに集中する肉食獣を思わせた。
稲妻に精霊力というものが宿っているのかわからないが、魔法としての『雷光』はあくまで水・風精霊複合魔法である。
2種の精霊を通じて間接的にしか制御できない『雷光』。ラケーレが使う時は一条の太い稲妻として放たれていた。クローヴィスが今使った、狙う範囲に拡散して放つやり方とどちらが魔法技術として高度なのか、トーマには分からない。
だがラケーレのやり方で撃つ方が当然威力は大きいだろうし、基本はそちらだと考えるのべきだ。ラケーレが編み出した魔法である。
クローヴィスも当然その基本の撃ち方ができるはず。
基本の『雷光』が頭部を直撃して、倒れなかった魔物は居ない。人間でも同じだろう。『器持ち』でも即死しておかしくない。
トーマの頭の中は未だに混乱している。ラウラの味方をすると言ったし、ラウラの身の安全は優先されるべきだが、それは必ずしも土橋村勢力の勝利が必須という事にはならない。
トーマだけがこの奇襲を知らされていなかった事を思うと、裏切られたような気持ちもあった。
『大爆地』で巻き起こった土煙が風で吹き払われた。クローヴィスは断ち切られた杖の半分、円柱状の金属容器が付いている方を持って立っている。
僧服の胸部は切り裂かれて、中に金属が見える。僧服には中に鎖が仕込まれていたようだ。ラウラの一撃はその鎖までは断ち切っていたが、60階梯に迫ろうかというクローヴィスの肉体までは傷つけられなかったようだ。
バティルとプラト、比較的『雷光』の影響が少なかった二人がクローヴィスに迫る。バティルの鎖鉄球付き鉄仗はクローヴィスの左手に掴み取られ、本人は右手でぶちのめされた。プラトはさきほどのラウラと同じ運命をたどった。『大蛇旋風』で吹き飛ばされる。
グレイプが、『大蛇旋風』を放ったばかりの紫外套の女にいつの間にか肉薄し、その顎を拳で打ち抜いた。ぐらりと態勢を崩す女。倒れずに、拳打を返すもグレイプには届かなかった。
倒れて顔にナイフの刃を投げつけられたはずのグレイプであったが、生きていたらしい。
吹き飛ばされたプラトと入れ違いに、三度クローヴィスに切りかかろうとするラウラの大斧が、何者かに防がれた。いや、正確には受け流された。二本の長剣での高速の連撃。ラウラは鎧で守られていない頭部を守る事しかできていない。
黄銅色の髪を振り乱し、鬼気迫る形相で攻撃を続ける男はロベールであった。
いったい何時、どこから現れたのか。
戦いが始まってすぐ、紫外套の女が風魔法で空に打ち上げた赤い布。おそらくあれは交渉が決裂した合図だったに違いない。
それからまだ1分程度しか経っていない。ロベールが今この瞬間参戦できているということは、護衛以外の戦力を1キーメルテ以内に入れないという約束を守っていたのかどうか怪しい。
いずれにしても、もう迷っている状況ではなかった。
駆け寄りながら右手の石炭にマナを流しいれ、射程距離に入ると同時に放つトーマの『火炎鞭』。ラウラから少し間合いを取って、高速連撃で火炎をかき消すロベール。
「邪魔をするな、立会人」
そう言いつつトーマとの距離を一瞬で詰めたロベールを、横から3本の土槍が襲う。掠らせもせずに避けたロベールに今度はクルムの灰色の糸が迫った。これも斬り落とされる。
ラウラの右後ろからレオニードが斬りかかった。35階梯のレオニードと50階梯に相当するラウラである。速度が違う。上段から振り下ろされたレオニードの剣は、振り向きざまの大斧で止められたかと思うと、ぶつかった部分から砕け散った。
いくらラウラが怪力を発揮し、巨大な斧を振るったとしてもさすがにおかしい。
【剣士】の使う≪斬気≫のマナは剣の切断性能を高めるだけではなく、ちゃんと強靭化の効果もあるはず。
異能を使っていなかったとしか思えない。まだマナ切れではないはずだが。
最強の武技系、【剣士】といえど剣が無ければ何の脅威も無い。
トーマはカザマキヒョウの外套の内側に縫い付けた物入れ袋から石炭を2個取り出し、ロベールに目線を戻した。
ラウラとクルムとプラト。三人を相手に一歩も引かない、わけではない。
大斧の一撃は剣では受け止められるものではない。ラウラの攻撃だけは回避している。
クローヴィスが杖の残骸に付いている金属容器を両手で引きちぎった。中の水は滴り落ちるのではなく、クローヴィスの体全体に吸い付いた。
基本的マナ・精霊力運用による魔法の準備行動。水精霊へと呼びかける呪文を唱え始める。『雷光』を行使する気だ。
トーマはクローヴィスに向けて走った。右手の2つの石炭にマナを流し、『火炎旋風』の呪文を唱える。
『雷光』の弱点があるとすれば、それは呪文の長さにある。『火炎旋風』も短いほうではないが、後から唱え始めても『雷光』よりは先に発動できる。
単精霊魔法の思考詠唱なら『速さ』が大きければそれだけ早く発動できるが、『速さ』が強化するのはあくまで認識、思考速度だ。
発声詠唱は実際に音を出す必要がある以上、口や舌、喉の動きに物理的な限界がある。複合精霊魔法の詠唱に時間がかかるのは避けられない。
火炎旋風の射程距離に入った。これ以上近づけばクローヴィスに接近され、ぶん殴られて終わる危険がある。
クローヴィスは『雷光』の詠唱を止めていた。
『風の精霊よ 我がマナと交わり 生気を滅し ――』
新たに唱えているのは単風精霊中魔法『脱空』の呪文だ。それも時間のかかる発声詠唱。なぜ今、トーマの呼吸を阻害するのか。
呼吸が苦しかろうと『火炎旋風』を発動する間くらいは我慢できる。
『――死気となれ 脱空』
クローヴィスが右腕をトーマに向けて振るった。生気を除かれた風が押し寄せる。だがトーマは肺の中に残った空気で『火炎旋風』の呪文を唱え終えた。右手の石炭を握り砕く。マナで満ちた石炭は、砕けて火精霊に捧げられ炎と化す。トーマを取り巻く空気が運動し、風となって炎を煽りたてる。
トーマの突き出した左腕に合わせて、渦巻く炎はクローヴィスに襲い掛かり、その頭部を覆った。
(やられた……!)
6秒間燃え続けるはずのトーマの『火炎旋風』は、ほんの一瞬クローヴィスを炙っただけで力なく燃え尽き、黒い煙になって霧散した。
「ぬるい」
焦げた眉毛を撫でながら、トーマを見るクローヴィスの顔には火傷ひとつない。
聞いたことはあった。
生気を完全に除かれた空気の中で、炎は燃えることができない。よって精密を極めた『脱空』は火魔法に対する完璧な防御になり得るという、机上の空論を。




