第58話 再会
ラウラが寝転がっている灰オオグマの毛皮は、生前は体長4メルテはあったであろう最大級のものだ。
頭の皮の中には頭蓋骨が残されているようで、人間が一人がうずくまっているほどの大きさで膨らんでいる。ラウラはその部分を枕のようにして寝転んでいた。
「考え込んでるねぇ、トーマ」
「それで、ラウラはこれから土橋村とグロロウの関係をどうするつもりなんだ?」
「別に、現状維持で構わないよ。お互いに不干渉が一番かな。前に交渉に来たやつは納税しろとか、誰それは罪人だからグロロウに返せとか言ってきたんだ。そういうのはのめない」
「ここは本当に、非人道的なことをしなくても運営できているんだよな?」
「ヒジンドウテキって、何?」
「……盗んだり、殺して奪ったりだ」
「問題ないね。橋の通行料で儲かってるから、東方とも商売できてるし。人数が少ないわりに『器持ち』が多いから狩りの獲物で食料も充分」
そうであるなら、交渉の糸口はあるような気もする。
東西交易の主導権がこっちに移ってきてしまっている事を、むこうがどう思っているのかが問題だが、時間稼ぎの交渉くらいならいくらでもやりようはありそうだ。
トーマにとって重要な事はラウラの保護である。
何らかの方法で、信頼のおける一門の者に現状を伝えたい。事情を知っている師叔アルスランに伝われば申し分ない。おそらく状況を知れば一門はラウラ保護に動くはずだ。
そうなる前に全面戦争になってラウラが命を落とすような事は、最低限防がなければならない。申し訳ないが土橋村の他の住人は二の次だ。
場合によっては他の【賢者】保有者に読まれることを覚悟のうえで、トーマ自身が≪書庫≫への書き込みを試みてもいい。最後の手段にしたくはあるが。
ラウラに大銀貨2枚を渡されて、住人の一人に魂起こしを施すことになった。
ラウラに案内されて訪ねた小さな幕屋。そこには母親が一人と、十代半ばと思われる少女と、10歳に満たない男児が居た。
「あっ、ラウラ様!」
「こんにちは、ミーア。賢者様を連れて来たよ」
ミーアと呼ばれた少女は、喜びの表情をトーマに向けた。明るい金髪で、緑の目をした少女は一枚の毛皮に穴をあけただけのような、簡単な造りの上着を腰帯で留めていた。
「あの、賢者様、私どうしても『魂の器』が欲しいんです。父が鉱山で亡くなって、母と弟のために私が食べ物を採って来たり、お金を稼げるようになりたいんです。お代は、稼ぎから少しずつお払いしますから、どうか……」
「ああ、代金は払っておいたから、返すならアタシにお願いね。稼げるようになってからでいいから」
ミーアは喜んで、ラウラに礼を言い母親と手を取り合った。弟はなんの事か分かっていないのか、立ったまま二人の訪問者の様子をきょろきょろとうかがっている。
母親は小柄で痩せていて、あまり健康そうな様子には見えない。確かにこの家族の中で『魂起こし』を受けるべき者が居るとすれば、丈夫そうな体つきをしたミーアだろう。
「魔物と戦う力が欲しいんだね?」
「はい。危険なことは分かっています。でも家にはそれ以外に稼ぐ方法が無いんです」
毛糸作りや裁縫などの仕事はか弱い女でもできる仕事と言われている。だがそういう仕事はそれなりに技能や道具が必要になる。トーマが明日から裁縫で食べていけと言われたとしても、無理だ。
こういう境遇の人間に適した働き口を与えるような仕組みが共同体社会にできていればいいのだが、この小さな土橋村にそれを求めても無駄だろう。
ミーアはちゃんと分かったうえで覚悟を決めているのだ。トーマはそれに応えなくてはならなかった。
一刻と少しの『魂起こしの儀』によって、16歳のミーアには世界に満ちるマナの恩恵をその身に受けるための『魂の器』が備わった。
現在100種類以上が確認されている『魂の器』の中で、感覚強化系に分類されているものは3種類。
夜間視覚が強化されるのは【梟】といって、タフェットでトーマの荷物を狙った警備兵が持っていた。
聴覚を全般的に強化するのは【耳利き】。味覚や嗅覚を強化するものはまだ見つかっていない。
そして今、ミーアに目覚めたものが三つ目の感覚強化系で、名は【操躰】という。
皮膚感覚だけでなく、筋肉や骨、内臓までも。体のあらゆる物理的な感覚を詳細・正確に感じられる特性を持っている。
他の二つに比べて痛く地味ではあるが、武術を学ぶにはとても有利な種類の『魂の器』であることを伝えると、ミーアは喜んだ。火精霊と地精霊に適性があることを伝えたときの半分くらいではあったが。
2脚の鉄の灯り台が灯されていて、食事に支障がないくらいには明るい。
トーマは昨日と同じく、マラヤナの宿の食事処で夕食を食べていた。
土打ちヤギの骨でダシをとった、羊肉入りの小麦粥と、川魚の燻製。トーマの苦手な松葉の茶が付いていた。
「お、居たな」
声がしたので顔を上げると頭頂にだけ逆立つ黒髪が残っている男が食卓の向こうに立っていた。
「ディルか。何か用か」
「鎚持ってないのになんでわかった?」
魔眼で見れば顔が同じ双子でもどちらかはわかる。
「まぁ俺の方が男前だからな。この人らがあんたの知り合いだっていうんだが、本当か?」
ディルが横に退くとそこには確かに知り合いが居た。
「ドーモ、いやぁ4日ぶりデスね。ご機嫌いかがですカ? トーマサン」
黒い口髭の下に三日月のような笑顔を張り付けた中年の東方商人。タルガットが大きな荷物を背中に背負った6人の護衛の男を引き連れていた。トーマのカザマキヒョウの外套に似た、毛足の長い高級そうな上着を着ている。
「イヤぁ、急にトーマさんが居なくなったので。びっくりしてしまいましたヨ。悲しく思っていたのデスが、こんなところでオアイできるのは、やはりご縁があるのデスかねぇ」
「……」
「アレも何本か持ってきています。再会の記念に、一瓶差し上げましょう」
「黙れよ」
粗末な長方形の食卓は木製だ。いい具合に乾燥しているので、燃やして全員まとめて火あぶりにしてやることもできる。この男に舐められるのはどうにも我慢が出来なかった。
酒を醸造している集落でロベールと一泊した際、タルガットについて何に気を付けるべきなのか聞いてみた。酒というあまり良くない物を教えられたのは確かだが、それにおぼれたのはトーマの自業自得と言える。
しかしロベールによればタルガットはかなりの事情通としてグロロウ行政府でも知られ、クローヴィスとも面識があるという。
トーマの探していた【賢者】の少年。
彼がクローヴィスの弟子である事についても知らないというのは不自然であるそうな。
トーマの態度にタルガットは笑みを消した。真顔になった東方商人の表情はひどく冷酷な印象をトーマに与える。タルガットは食卓の反対の丸太椅子に許可も無く腰かけた。ふてぶてしい態度で大きくため息をついた。
「そうムキになるな。私は西の金貨と一緒に、実力のわりに年若い、手頃な賢者を故郷に連れ帰れないものかと考えただけだ。別に悪事とは思わんがね」
「……流暢な共通語だな」
「ふん。西の人間は自分たちより優れた者に会うと、尊敬するどころか敵視するからな。たどたどしい言葉を話しておけば警戒心も持たれにくいのさ」
ディルは薄気味悪そうな顔で態度の豹変したタルガットを見つめている。
「こんな所まで何の用だ。俺を追って来たのか」
「うぬぼれるなよ。あんたの酒の相手をしていたのは、他の隊からの金貨が集まるのを待つついでにしただけの事。予定通りすべての交換が終了したから、あとは国に帰るだけだ。春までにまた金を集めなきゃならんからな」
タルガットは常人だ。徒歩ならライマーンからたった四日でここまで来られるはずがない。護衛に荷車を引かせて乗って来たのだとしても、出発したのはトーマが去ったすぐ後のはずだ。
トーマを酒で操る計画がとん挫したのを機に東方に帰ることにした、というのが本当の所だろう。
まぁどっちみち、諦めたのだったらどうでもいい。トーマにとっても、もうこの男に用は無かった。
「それでなんだ? 今晩はここに泊まる気じゃないだろうな」
「他に宿が無いんだから当然だろうが」
「……」
トーマはタルガットと同じ場所で休む気はなかった。
頼み込んで西岸のディルたちの幕屋に一晩泊まらせてもらう事に決めて、寝床の荷物を纏めた。




