第54話 壁の上にて
幕屋の宿屋は中が内幕で仕切られていて、トーマにあてがわれたのは縦2メルテ、横1メルテの区画だった。
敷かれていた毛皮の上にさらに六つ足オオカミの革を敷いた。オカテリアから使っていた古い物ではなく、【勇者】のディオに別れ際に貰ったものだ。
軍団討伐の死体の分け前の代わりだ。古いほうはその時捨てている。
貴重品を隠してあるボロ布を枕がわりに頭の下に挟み込み、二枚重ねの敷き毛皮の上に寝て、毛布と外套を上にかけて暖かい寝床を作り、休む。
宿屋には交易商らしき『器持ち』の客が集まって、そこらの魔物が襲ってきても返り討ちにできる程度の戦力になっている。窃盗にさえ気を付ければ意外と安心できた。
寝るのが早かったために日が昇る前には目を覚ました。
トーマが起きる前からマラヤナも起きていたらしく、外の調理場で何か煮ている。声をかけたら、「朝食は1刻後くらいだね」と言われた。
枕替わりの貴重品だけ懐にしまい、外套を羽織ってトーマは散歩に出ることにした。散歩と言っても直径150メルテの半円状の、ほんのわずかな土地だ。
薄明の中、ほんの数分で回りきってしまう。井戸ではいろんな年齢の女たちが水汲み桶を使って水を汲んでいた。アクラ川からすこししか離れていない井戸なので、地中を浸透して自然浄化される地下水で水量は豊富なようだ。
水汲みの女たちに訊いてみて大丈夫そうだったので、トーマは村とアクラ川を隔てる土手に登ってみた。土橋の東端、村の西側入り口に番人などはいない。
村から見て橋の右側、つまり北側の土手によじ登って、上を歩いてみる。ほんの少し歩いただけで村を囲う土壁と土手がつながっている部分にたどり着く。村内から土手につながる階段が付けられていた。本来ここから登るべきだったのだろう。
昨日、橋の上から見た土手は10メルテほどの高さに見えた。
だが河岸に比べると村内は少し高く整地されていて、内側から見た土手の高さは半分ほどしか無い。土手に接続されている壁も同じ高さである。
トーマはそのまま壁の上を歩いて村の外周をぐるりと巡ってみた。壁の厚さは基部が1メルテほど。上にいくほど薄くなっていて頂上部分の幅は半メルテも無い。
頂上部分は雑にだが平らに整えられていて、なんとか歩ける。
壁の上から見ると村の周囲の森はそれなりに広く切り拓かれているようだ。距離にして300メルテは木が生えていない範囲があり、壁の外側は深く広く堀になっている。水堀ではなく土を掘っているだけの空堀というやつだ。
壁の高さが不安であったが、魔物対策はそれなりにしてあるようだ。
東の門から街道がつながっている。この道をたどれば東方の国々にたどり着くのだろうか。森の木々の間から朝焼けの光がちらついて見えた。
歩きにくい壁の上をぐるりと回って南側までくると、村内から壁に上るための階段がある。このあたりは壁がぶ厚くなって人がすれ違えるくらいの幅がある。
南に向かって壁の一部が突出して、十数メルテほど岬のように延びている。その上を一人の女児が布で隠した何かを両手で抱えて運んでいる。
何事かと思ってみていると、突出した壁の先端で女児が抱えていたものの中味を壁の外に捨てた。
トーマも昨晩寝る前にお世話になった物と同じ型の、金属製の便器の中を空にしに来たようだ。壁の外のその辺りは堀とは独立して肥溜めになっている。
戻って来た女児がトーマに気づいて、便器を自分の体で隠すように不自然な方向を向いて歩いているので、トーマはそっぽを向いて見ていないふりをした。
壁を一周し、またアクラ川を臨む土手に戻ったトーマは改めて土橋を見下ろした。
約1キーメルテ長さにわたって東西にアクラ川を横断する橋。川の中央よりも少し西側に、大きな中洲があり橋はその上を通っている。
昨日は気づかなかったが、中洲には2軒、建物が建っている。早朝の薄明の中、トーマの視力では500メルテ以上離れた場所はよくわからないが、幕屋ではなくきちんとした木造の建物のようである。
水辺に3人ほど人間がいる。釣りでもしているのだとしたらその関係の建物なのかもしれない。
散歩を終えて宿に戻ろうとする途中、井戸のそばに差し掛かるとソフィアが水を汲んでいた。
「手伝いますよ、ソフィアさん」
「あ、トーマ様。おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
「えぇ、おかげさまで」
井戸櫓があって滑車が付いているような井戸ではなく、深く掘った穴を石で補強しているだけの井戸である。常人にとって水汲みは重労働になる。
ソフィアは遠慮したが、トーマは水汲みを手伝った。麻の綱で結ばれた汲み桶を井戸の底にほうり込んで引き上げる。4回繰り返してソフィアの2つの木桶はいっぱいになった。
トーマが木桶を二つとも持ってどこに持っていくのか聞くと、ラウラの大幕屋だという。
「ソフィアさんはラウラの身の回りの世話をしているんですか?」
「いえ、ラウラ様はご自分で何でもお出来になります。私はほんのお手伝いをさせてもらっているだけです」
「その、ラウラ様という呼び方ですが、俺もそう呼んだ方がいいんでしょうかね? 呼び捨てだと土橋村の皆さんは不愉快に思ったりしますか、やっぱり」
水がいっぱいに入っている木桶を二つぶら下げていても、トーマの方がソフィアの歩く速さに合わせなければならなかった。手持無沙汰な様子で横を歩くソフィアは微笑んで首を横に振った。
「ラウラ様に地魔法を教授なさったのがトーマ様だとうかがっています。それが無ければ橋は作られず、土橋村はありえなかった。今の私たちもありませんでした。それを説明すればラウラ様と対等に振舞うことを咎める者はいません」
ラウラの大幕屋の裏側まできて、そこにあった水がめの蓋をソフィアが取ったので、木桶の水を二つとも注いだ。水がめは半分ほどが満ちた。
「……その、実の所この村に住んでいるのはどういう人たちなんです? ロベール――グロロウ側の人間はならず者の集まりのようなことを言っていましたが、ソフィアさんや昨日会ったボリスという方のたたずまいを見る限り、そういう感じとは思えないんですが」
「私たちは、グロロウからの追放者や、逃亡者です」
「……罪を犯したもの、ということですか?」
ソフィアはトーマの顔を見返した。朝の光が映り込むその瞳は緑と茶色が混じったような、複雑な色をしていた。たしかハシバミ色とか、そんな名であった。
「罪、とは誰が決めるものなのでしょう。クローヴィスの定めた法に従わないことが罪と言うなら、私たちは罪人でしょう。ですがクローヴィスの法の下、グロロウで暮らし続けることは人間として生きることではありません。クローヴィスの道具になり果てるに等しい事です」
ソフィアの強い言葉にたじろいでしまった。どうもグロロウの執政官クローヴィスは単に優秀な為政者という訳ではなさそうである。
クルムとボリスと、そしてラウラ。土橋村にはトーマより力のある『器持ち』が少なくとも3人いる。決して無力な集団ではないのは確かだ。
しかし、20年間で人口が3倍になったという話が本当なら、グロロウは現在、人口2万を超えているはずだ。一般的なの街の比率であれば800人程度『器持ち』がいることになる。
散歩のついでに土橋村の外観を改めて見てみたが、東岸には多くても200人程度しか人間がいない。しかもこちらに居るのは基本的に非戦闘員だろう。器持ちは西岸に居る数十人が中心だ。
ラウラの味方をするというトーマの考えは変っていないが、常識的に言って正面衝突はあり得ない。
やはり和平交渉というやつを試みるべきなのだろうが、ソフィアの反応を見る限り簡単なことではなさそうだった。




