第51話 体積
無防備にトーマに向かってくるペトラシュに、トーマは小さく素早い前蹴りを放った。トーマの踵がペトラシュの右膝に当たる。巨大な魔物の分厚い皮に蹴り込んだような感触。関節を攻撃したのに何も効いていないようだ。
双子の『魂の器』は確認してあった。ディルの方は【鈍器使い】。武器にマナを込めることで打撃時の「衝撃の反射」が無くなって、武器やそれを持つ手が痛まなくなるという、まぁ地味だがそこそこ優秀な異能をもっている。階梯は30だろう。
ペトラシュの階梯は少しだけ低く、29程度に見えるが格闘戦においてはこちらの方が間違いなく厄介だ。
【靭躰】という名の『魂の器』。異能の名は≪身体靭化≫。使用を意識して余剰マナを自身の体に纏えば肉体全体が『粘り強くしなやか』になる。
【剛躰】の異能≪身体硬化≫と比べてどちらが刃物の攻撃に強いかは比べてみないと分からない。だが対打撃に関していえば、明らかに【靭躰】のほうが防御力が高そうだ。
ペトラシュが腕をしならせ、鞭でも振るうような拳打を放ってきた。近い階梯であったなら避けられなかっただろう。攻撃技術においてもディルより高度だ。
4発目の拳打を下にかいくぐってトーマは右の貫手を鳩尾に入れた。分厚い腹筋に第2関節までめり込んだように思える。
「ぶゲホッ! ちくしょう! 速ぇ!」
後ろに跳んだペトラシュは一呼吸で息を整えた。人体の急所を突いても効果が薄い。こうなれば少し危険だが打撃以外を使うしかない。
トーマは地を這う如くに低い態勢になると、ペトラシュの脚を抱え込むように肩からぶつかった。前に出ている右脚ではなく、奥の左足に組みつく。弾力のある筋肉の感触しか無い。骨まで力が伝わらず、重心が動かない。初めて対戦するが、やはり【靭躰】は厄介だ。
ペトラシュの大柄な体を素早くよじ登った。何度か肘打ちを入れられたが、耐える。『耐久』があるので負傷はしない。トーマの意図に気づいたペトラシュがわざと地面に転がり防御しようとするがもう遅い。
トーマは右腕をペトラシュの首に回して左腕で固定。背中に負ぶさるような態勢で首絞めを開始する。脚で胴体も締め上げて、もういくら暴れようと振りほどかれることはない。
ペトラシュはトーマの腕を掴んで引きはがそうとする。だが『五芒星の力』込みの総合的な腕力ならトーマはペトラシュと互角だ。
ラケーレ直伝の格闘術の型どおり、完全に極まった締め技を外すことは出来ない。
数秒でペトラシュの抵抗が弱くなってきた。脳に血が廻らなくなると人間は気を失うのだ。
「それくらいで勘弁してくれないか、お客人」
双子との勝負を見物に幾人かの男たちが集まってきていたが、その奥から中年の男が一人進み出てトーマに話しかけた。鉛色の髪を横わけにした、どうということもない風貌。武装も無く体格もトーマとあまり変わりないが、明らかに双子より格上。『魂の器』の種別がわからない。謎の異能を持つ男の階梯は40台後半だ。
どうもこの頃は『不明種』に出会うことが多いようだ。これから会いに行こうとしているラウラもまた不明種だ。
400年以上前から【賢者】が人々に『魂起こし』をかけ続け、最初のころはそれがどんな性質をもつものなのかなど分からなかっただろう。
様々な異能を持った『魂の器』。その種類を判別することは重要であり、賢者たちが≪書庫≫に情報を記録するのはもちろん、そうでない学者も人類復興の要である『魂の器』の研究に勤しんでいる。
現在すでに100種類以上の『魂の器』が実在を確認されているが、それでも新たな性質を持つ『魂の器』の発見は後を絶たたない。
『魂の器』を持つ人間が増えるにしたがって、新たな種類の魂の器が生まれているのではないか。
さして頭のよくない一介の【賢者】でしかないトーマだが、そう考えていた。
トーマが解放するとペトラシュは青い顔で手足をのばして仰向けになり、浅く短い呼吸を繰り返している。ディルが跪いて介抱しはじめた。
「お客人、二人の腕試しは荒っぽかったと思うが、悪意はないんだ。本当に。荷物が大きいが交易商かね?」
「いや、ラウラさんに用事がある。ラウラさんとは面識がある」
「名は?」
「トーマだ」
周りに集めっていた男どもがざわつき始めた。「ラウラ様に面識だと?」「昔の男か⁉」「許せん! このチビやっちまおう!」等の声が聞こえる。
「4年前、ラナデセーノで出会って、魔法をほんの少し教えただけだ。それだけの関係では面会できないか?」
「……いいでしょう。私がラウラ様のところまで案内します。私の名はクルムといいます。よろしく、トーマ殿」
トーマが外套を着て荷物を背負うと、クルムは「すこしの間頼む」と周りの男達に言い置いて、橋を渡り始めた。男たちはまだ何かざわついている。
トーマも後を付いて橋を渡る。足に伝わる感触は土と言うよりも岩のようだ。
地魔法でこんなことができるだろうか。それとも何か他の方法でこの橋は作られているのだろうか。
「クルムさん、あなたは地魔法を使えますか?」
前を歩くクルムに訊いてみた。トーマの「魔眼」にはクルムの地精霊適正が『良』であることが見えている。
「簡単なものなら呪文くらい覚えているが、あまり使ったことは無いね。なんでそんなことを聞くので?」
「いや、この橋の作り方が気になって。土で橋を架けるなんて他では聞いたことがないでしょう? 橋脚の下の水中の部分は岩でも沈めてあるとして、橋本体は雨が降ったら固めてあっても徐々に溶けてしまう」
「その辺の土で作った本体の表面を特殊な土で覆っていると聞きましたね。火山灰が含まれるとかなんとか。詳しくはラウラ様にお聞きなさい」
「オレは水魔法が使えるぜ。ペトラシュは風魔法が得意だ」
後ろから誰か話しかけてきたと思ったら、戦鎚をかついだディルであった。その後ろにはペトラシュもいる。
「なんで付いてきてる」
「そりゃ、親分と知り合いだってのが嘘だった時、叩きのめすためだろ。喧嘩じゃ負けたがコイツを使って本気でやるなら負けねぇ」
戦鎚をゆすりながらディルが前歯を剥き出しにした。親分とはラウラの事か。
トーマの力をもう少し理解しているペトラシュの方は、かぶった頭巾の下で口角を下に捻じ曲げていた。
四半刻ほどで橋を渡りきる。太陽はもう西に傾いている。東岸の橋周辺には土手が築かれていた。土手は橋よりも数メルテ高い。左右にそびえる土手の間を通ると、そこにも幕屋が町並みのように広がっていた。
西岸よりもより広く、大小合わせて40軒ほどの幕屋が直径150メルテほどの範囲に建ち並び、周囲はちゃんと壁で囲われている。
壁は石を積み上げて作ったような部分と、橋と同じように灰色の岩の塊のように見える部分とが混在していた。
夕食の支度に使うのだろうか、井戸で水を汲んでいるのは女だ。注意して聞いてみるとあちこちの幕屋の中から女や子供の声が聞こえてくる。土橋村と言うのは東岸のこちらが本体で、荒っぽい男だらけなのは西岸だけなのだとトーマは理解した。
土橋村東岸の中心に位置する大きな幕屋の前まで来ると、少し待つようにクルムに言われた。出入り口の幕を持ち上げて中に入るクルムを見送る。
直径8メルテほどのこの大幕屋は、巨大な獣か魔物の皮を何枚も繋ぎ合わせて作られている。何の皮かはわからない。周囲の幕屋が様々な革のつぎはぎでできていると比べると、統一感のある外見は幕屋と言えど威厳があるように感じられる。
ディルとペトラシュに挟まれて待つトーマは、どうでもいいことを訊いてみた。
「どっちが兄でどっちが弟だ?」
「オレが兄。ペトラシュが弟だ」
「双子なんだから兄も弟もないだろ」
ディルは自分を兄と思い、ペトラシュはそれが気に食わないらしい。どうでもいいが。
クルムが顔を出し、入っていいという。この向こうにラウラが居る。トーマはなんだかそわそわしてしまった。
幕屋の中は5メルテ四方の部屋のように内幕で仕切られていた。
屋根に当たる部分の一部は網になっていて、そこから明かりを採っているのだが、もうすぐ冬という今の季節の陽光はただでさえ弱い。ちいさな網の部分から差し込む光だけでは幕屋の中は薄暗かった。
2本の支柱の間、うす暗がりの奥。灰オオグマの毛皮の上に、真っ赤なくせっ毛の女が左ひざを立てて座っていた。
4年前、ネコを思わせたその顔は、今はヒョウか何かを感じさせる。
ラウラは口角を上げて左右の犬歯を見せた。
「やぁトーマ。久しぶりだね」
ラウラの服装は昔と変わらず丈の長い袖なしの革衣だが、さすがに季節柄、毛糸編みの服をその下に着ている。下半身は幅の広い白い綿ズボンで、靴を履いていなかった。足は寒く無いのだろうか。
座っているので判然としないが、身長はたぶん変わっていない。だが腹周りは昔と変わらず細いのに、どことは言わないが体積がかなり増加していた。
「久しぶりだ、ラウラ。元気そうで何よりだ」
成長しているのは体つきだけではなかった。
トーマの「魔眼」に写るラウラの『魂の器』。
その『五芒星の力』の大きさは、トーマの計算上50階梯のそれに匹敵するものであった。




