第45話 苦味
ニストリー草原地帯を縄張りにしていた六つ足オオカミの大集団。変異した強力な群れが他の群れを統率し、数十頭からなる『軍団』を形成する。
統率したから変異するのか、変異したから統率できるのかわからないが、統率者級はもともと一つの血族だ。
イヴァンが足止めをしていた一頭は女王の死を察すると、グルグルと低く唸ってから東の方角に逃げ出した。奴にとって女王は母親だったのか、あるいは祖母か。
さすがの【羽足】イヴァンも追いかける元気はなさそうだ。
少し離れて遠吠えが聞こえる。
「うははははは! やったぞ! 勝った! あっちでも逃げてくようだぞ、情けない声で鳴いてやがる!」
【耳利き】のアンドレイが丘の方でも勝負が決したことを聞き取ったようだ。倒れたままのトーマの背中をバシバシと叩く。
逃げる六つ足オオカミが偶然こちらとかち合ったらどうしよう。朦朧とした意識のまま『魂の器』の回復を待っていたら、5分ほどしてイヴァンがトーマを助け起こして座らせた。
目の前に両腕を血だらけにしたアンドレイが居る。
「とりあえず、魔石だろ。とどめを刺したのは俺だが、親玉の魔石はトーマのもんだ。かわりにトーマの焼いた片目のやつは俺が貰っていいか?」
頷くとクルミ大の魔石をトーマの口に押し込んできた。2、3度ごりごり噛んでいると、砕けて、融ける。成長素の感覚が口から全身に広がった。
魔石を摂ると余剰マナも回復するのだろうか、虚脱感が少しだけ楽になったような気がする。気のせいかもしれないが。
鎖を引きずりつつペンディーが寄って来た。マナ切れの青い顔をしているのが月明かりでもわかる。トーマとアンドレイが魔石を食ったので「ズルい」と言ってきた。
「途中で手負いのやつを2頭、とどめを刺してきた。二つとも食っていいよ。あんたには十分足しになるはずだ」
そうイヴァンが言うと、ペンディーは「ハヤク戻ろう!」と急かしてきた。アンドレイとイヴァンの肩を借りて、トーマは丘を目指して歩き出した。
途中ペンディーが魔石を2つ摂取。丘に戻ってみると、勝利の高揚感もあってか『器持ち』たちは魔石狩りに狂乱していた。あちこちに散らばる六つ足オオカミの死体を探し出しては切り裂いている。平等に分けるという話はどこへいったのか。
「……イヴァンは、いいのか?」
「一緒にやったでかいやつ、トーマが休んでる間に食っちまった」
戦闘中によくそんな暇があったものだ。
明かりにしていた焚火はもうすべて消えている。新しいかがり火が一つだけ南の方に焚かれているようだ。
丘全体の空気が血なまぐさい。アンドレイに連れられて丘の頂上近く、皆の荷物と共にトーマの背負子が転がっているところまで来た。
「トーマ。怪我した奴らの傷を洗う水を、俺が浄化しなきゃならない。どうせ明るくなるまで移動はしないだろうから、寝てろ」
そう言ってトーマの荷物の中の毛布を引っぱりだそうとしている。トーマは地面に座り込んだ。
「やった! みんな無事だったんだ! よかったー!」
両手から血を滴らせたユリーがやってきた。階梯が33に上がっている。
アンドレイから毛布を受け取って自分の体にかけると、トーマは半分朦朧としている意識を手放した。
目を覚ますと下弦の月が南の空まで昇っていた。4刻間ほど寝ていたのだろう。まだ暗いが夜明けは近い。
丘の頂上にはウマの糞が多いので、怪我人は南側の斜面に集められて看護を受けているようだ。チャベニ族首長の子ケオルルが、横たわる6人の怪我人に水を飲ませて回っていた。
後ろからディオが声をかけてきた。
「起きたのか、トーマ。夜が明けたらすぐ、怪我人ヲ連れて移動集落に戻る。それまで休んでいていい」
「……いや、もうほぼ治ってる」
トーマは包まっている毛布を脱いで立ち上がった。「そうか」と頷いたディオはケオルルのもとへ行く。
ディオはチャベニ語で何か話しかけ、跪いてケオルルに魔石を差し出した。トーマの食ったものよりは少しだけ小さい。並の方のものだろう。
ケオルルは魔石を受け取って口に含み、噛んだ。
『魂の器』を持たない常人が魔石を喰らった場合、砂になったりはせず、『器持ち』が摂った時と同様に融けることは知識として知っていた。だが実際にそんな行為を見るのは初めてだった。
『器』が無ければ成長素は溜められない。無駄な行為でしかないはず。
成長素自体はトーマの「魔眼」でも見えない。あくまで魂の器に溜まっている様が見えるのであって常人のケオルルには、一見何も起こっていないように見えた。
だがケオルルの魂の核、『魂の器』の微小な種子が、わずかに揺らいだのが感じとれた。
現在の人類社会において、『魂の器』のほぼ全てが【賢者】保有者による『魂起こしの儀』によってもたらされている。
しかし【賢者】がその役目を果たすようになる以前から、マナの恩恵を受けた人間の存在は歴史に確認されている。ユリーのように何のきっかけも無く目覚めるだけでなく、このような行為によって目覚めさせる方法が実はあるのかもしれない。
チャベニ族という小さな部族に残る風習の中に、トーマは『魂の器』の神秘の一端を見たような気がした。
東の空が明るくなってきた。トーマが荷物を纏めているとペンディーが青鉄の短剣を持ってきてくれた。
「オヤダマの皮、ハギに行った。ソコに落ちてた。オヤダマの死体、無くなってた。片目の死体、クロコゲ。オマエのせいだトーマ」
女王の死体が無くなっているとは。寝ている間に生き残った六つ足オオカミが持ち去ったのだろうか。魔石まで抜いているのだから、万が一にも生きているようなことは無い。
トーマは自分の『魂の器』に成長素が溜まっているのを確認してみた。階梯上昇必要分の半分弱、溜まっている。二十日以上前の大クロジシの魔石の分を合わせてだ。あんなに死にかけながら戦って、たったこれだけとは。
ペンディーは肩を怒らせて去って行った。改めて、割に合わない戦いだった。
怪我をした6名が荷物を積んでいないウマに、怪我の無い者と二人乗りしている。ウマの数は全部で11頭だ。意外と生き残っているが、3頭は逃げたか殺されてしまったのだろう。
『纏気』の若い男は、左足に添え木代わりの短剣を添えられ、太い包帯でぐるぐる巻きにされている。うっ血しないよう患部を馬の背にのせ片胡坐の状態。
隣のウマに乗っているのは、胸にまかれた包帯から血が滲み出ている『器』の無い者。
【俊速】のオットーも全身を傷だらけにされて、介助の者に背負われるようにしている。
ぐったりと目を瞑り、【投射】の男に背負われて行く常人の若者の右腕は、肘から先が無くなっていた。
トーマの側にディオがやってきた。
「すまん、ディオ。もっと戦力を集めるべきだった。魔法が得意な者を5人以上入れて、熟練の『器持ち』30人。それが最低限の安全を確保できる人数だった」
「あやまるのは、ワタシだ。当時はひよっこだったとはいえ、『軍団』と戦った経験があるのだから、キョウイの想定はワタシの役目だった。変異体が全部で9頭も。まさか、あそこまで『軍団』が大きくなっているとは……」
「ナニ言ってる!」
ペンディーが後ろでわめいた。
「ワタシたちが勝った! ワタシの兄のカタキ! 集落の皆、27人のカタキ、討った! こっち誰もシんでない! ミンナがんばって、そしてミンナが勝ったんだ! ヤァアアアアーッ!!」
周りのチャベニ族がみな声を上げた。夜明けの丘に鳴り渡る「ヤァー」の声。チャベニだけでなく旅商隊のウィレムたちも、ユリーも声を上げた。あの『軍団』に殺されたのはチャベニ族だけではない。
六つ足オオカミは大陸中どこにでもいるめずらしくもない魔物だ。この戦いで女王の『軍団』を壊滅させたからと言って、ニストリー草原地帯から六つ足オオカミがいなくなるわけでは無いだろう。逃がした統率者級も4頭いる。
チャベニ族があの廃虚から集落を復興できるかは、確かではない。
ウマはともかく、今の所人間は誰も命を失っていない。怪我のひどい者を早く人里まで運ばねばならない。せっかくの勝利に、これ以上苦いものを残したくない。
「この年で徹夜はきついぜ」とぼやくアンドレイを先頭に、トーマたちは南に向かって走り出した。




