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第44話 胃液

 『マナ出力』が大きくなれば、時間当たりの余剰マナ充填量、すなわちマナ回復が早くなると同時に最大充填量も増加する。

 結果として、(から)になった体にマナが満ちる所要時間は一部を除き誰でもあまり変わらない。一刻半と少し、だいたい100分間だ。


 トーマの現状で『火炎旋風(フィオム・ベンティゴ)』一発分のマナを回復するには30分ほどかかる。3発放ったので90分分のマナを使った。戦闘中もマナ回復はしているが、そんなのは最初に薪積みに着火した小魔法『焦火(ロッコロン)』で相殺されている。


 もう一発『火炎旋風』を放つには20分待たなければいけない計算になるが、トーマは『端座瞑目』の状態に入ることでマナ回復量を約2倍にできる。

 代償に、睡眠中も自分を強化してくれている『五芒星の力』が抑制され、常人とさほど変わらない状態になってしまう。

 魔物の群れに襲われている最中にそんな状態になるのは肝が冷えるが、トーマは集中を乱さないようにその不安を抑え込んだ。


 周囲から戦いの音が聞こえる。六つ足オオカミの吠え声や唸り声。鉄の武器が硬い物に叩きつけられる音。遠くでウマが(いなな)いている。隣に横たわる応急処置中の若い男。階梯は約15、年齢も20歳以下だろう。砕けた左脚の痛みに耐えるうめき声が聞こえた。


 失敗を認めざるを得ない。()つ足オオカミの『軍団』と戦うには、人数もそれぞれの階梯も足りていなかった。アンドレイやディオにに引きずられ、楽観的な判断を下した。


 少し前のトーマならもっと慎重だったはず。慣れない集団行動の中で危機意識が鈍ってしまった。集団の中にあっても、40階梯の【賢者】として軽々しい判断を(いさ)めるべき立場だった。


 過ぎたことを悔やんでいる場合ではない。雑念を振り払い、聞こえてくる音も無視する。今はただ、マナを溜めるだけだ。




 ゆっくりとした呼吸、100回目の息を吐ききる。

 トーマは目を開き、短剣を地面から引き抜いて勢いよく立ち上がった。南の方角から一頭の六つ足オオカミが隊列をくぐりぬけ、中央に侵入してきた。

 常人(つねびと)のチャベニ族が矢を放つも、あっさり躱される。トーマが立ちふさがると、魔物は大口を開けてとびかかって来た。足元を狙われる方が厄介である。

 左手で剣先付近を掴んで、横にした短剣で噛みつきを防いだ。切っ先は鋭いが刃の形状があまり鋭くないのは幸いだった。


 前脚に引掻かれて胸の皮が少し痛い。二つ尾イタチデカチの上着が裂かれてしまった。青鉄の短剣を横咥えにしている六つ足オオカミ。その首に、左からディオが大剣を叩きつけた。魔物は首を変な方向に曲げて、よろめいて、倒れる。


「大丈夫カ⁉」

「問題ない」


 トーマが東側を見ると、10分経っても人間はまだ誰も倒れていない。

 魔物の方は()の六つ足の死体がいくつか増えて、いつの間に倒したのか、統率者級の死体も一つ増えている。

 現在、さらなる統率者級一頭がアンドレイに付かず離れず牽制している。

 見まわせば、南にも、西にも。周りの六つ足オオカミより、ふた回りでかい3.5メルテの6本足がそれぞれ複数の戦士と攻防を繰り広げている。


 倒したものを合わせて統率者級はこれで6頭。統率者級は本来一つの血族であるはず。これで全部出て来たのではないだろうか。

 アンドレイの隣に駆け付ける。体毛が黒っぽい統率者級は約5メルテの距離でこちらをうかがっている。奴にとっては一足飛びの距離だ。


「一発いけるぞ、あいつをやるか?」

「待て。考えがある」


 黒毛が重心を落とし後ろ足に力を溜めた一瞬を見逃さず、アンドレイが曲刀を振りかぶる。アンドレイの牽制を理解したのか、黒毛は2、3歩横に歩いてまたこちらの隙をうかがっている。


「どうも時間稼ぎをされている気がする。こちらの疲労を待ってるんだと思う。実際マナを消費する異能の連中はそれで詰んでしまう。あいつをやってもたぶん勝てない。それより向こうの親玉をやりたい」

「どいつが親玉なんだ」

「襲撃される直前からずっと高い音が鳴ってる。子イヌの鼻声に似てるんだが、高すぎて聞こえないだろ? 遠く、南の方から鳴ってる」


 【耳利き】のアンドレイにしか聞こえない音ということか。


「親玉が南に居て、全体ヲ指揮してるというコトか?」


 そばに来ていたディオが、寄って来た半白毛を大剣で退かせながら訊いた。ディオの後ろに【精霊士】の男が付いている。チャベニ族の男は武装以外ほぼ同じ格好をしている。夜の乱戦の中、「魔眼」を持っているトーマ以外に見分けはついているのだろうか。


 【精霊士】の男が、正しい発音で精霊言語呪文を唱えている。

 単風精霊中魔法登録07号『脱空(プニアジス)』。高度な魔法操作を要する難しい魔法。唱え終わって両手を黒毛の統率者級に向けると、敵は頭を振って悶えている。

 空気の中のある成分が魔法で除かれて、呼吸が阻害されるのだ。後ろの方で「それがあった!」と叫ぶユリーの声。


「アンドレイ、ボクももう少しでマナが切れそう。石炭も無くなっちゃったし。何かするなら早くして!」


 そういうとユリーはゆっくり目に『脱空』の呪文を唱え始めた。ユリーも使えるのか。トーマも呪文は覚えているが、難しいわりに即効性に疑問があるので実戦で使ったことがない。

 ディオがアンドレイの前に出て、黒毛に相対する。


「こいつは俺たちがやる。アンドレイ、トーマ。親玉ヲやってくれ。頼む」

「早く行くゾ! 南ダナ!」


 ペンディーが白銀色の2本の鎖を操ってそれぞれ自分の両腕に巻き付けると、南に向かって走り出した。「え? え?」と言ってアンドレイが追いかけた。

 トーマももう行くしかなかった。


 ペンディーとアンドレイが並んで草原を駆けてゆく。灯りが無いので足もとがおぼつかないが、襲い来る六つ足オオカミの姿は月明かりにはっきりと分かった。

 右から2頭、左から3頭。


「そっち、ヤレ」


 ペンディーが右の2頭に鎖を放った。


 トーマとアンドレイは左の3頭に突っ込んでいった。アンドレイが曲刀をひらめかせながら六つ足オオカミとすれ違うと、前脚が一本宙に舞った。トーマは正面から短剣で斜めに斬り下ろし。鼻骨が砕けた相手と、勢いのまま正面衝突して跳ね返された。

 アンドレイは3匹目の横っ面を丸盾でぶん殴り、ペンディーの方に(きびす)を返した。トーマも続く。


 2頭の六つ足オオカミは鎖で両前脚を纏められて一歩も動けないでいる。力比べなら普通に六つ足オオカミ2頭のほうが強いはずなのだが、所詮は獣の知能なのだろう。いつも通りに動けないというだけで何もできずもがいている。纏められた脚はそのままアンドレイに斬り落とされ、前脚は弱々しい副脚だけになった。


 手負いの5頭は放置してさらに南へ走る。ディオたちの居る丘から150メルテは離れただろうか。

 月明かりに照らされる、すこし小高い丘の上に3頭の統率者級六つ足オオカミが姿を現わした。

 直感的にわかる。真ん中の一頭が親玉だ。


 左右の二頭と大きさが変わらないどころか、少しほっそりしているのだが、それがかえって優美に見える。まぎれも無き女王の風格。黄金色の双眸がトーマを見つめている。

 銀色に輝く首を上に向けると、草原中に響くかのごとき遠吠えを一声。左右の二頭、続いて六つ足の女王がトーマたちに襲い掛かった。強さがすべての魔物の群れに、戦わない指揮官は存在しない。


 ペンディーの鎖が二頭の前脚を狙った。左の鎖は完全に避けられる。

 右側を狙った鎖は前脚を一本捉えたが、残りが5本もある。片目の統率者級はそのままペンディーに襲い掛かった。


 ペンディーは鎖で自分と片目を繋いだまま横に走って離脱した。トーマにとって悪い判断ではない。乱戦になりかねない3対3よりも、2対2のほうが戦いやすい。

 アンドレイが鎖を避けた俊敏な方に突きを放った。低い態勢で躱されたが、アンドレイはそのまま身体ごと丸盾でぶつかった。

 アンドレイの右側をすりぬけ、トーマは女王に3メルテの距離まで接近。『火炎旋風(フィオム・ベンティゴ)』の二重詠唱を完了した。


 右手の獣脂ロウソクが瞬時に気化。トーマは短剣を握ったままで左腕を女王に突き出す。

 至近距離からの必殺の魔法。地面すれすれの態勢で右に避ける女王。避けきれない。左顔面を炎が舐めた。トーマが左腕を縮こめるようにすると、炎はトーマを守るように取り巻いた。熱を制御していても熱い。

 真夏の太陽の光を何個分も浴びているようだ。

 左目付近に火傷を負った女王は後ろ足で立ち上がり、炎を無視してトーマの頭を狙ってきた。赤い光を反射して輝く牙。


 左腕を下から突き上げるように一振り。さならる至近距離で『火炎旋風』をぶち込んだ瞬間。

 ペンディーを追って行ったはずの片目が、女王に体当たりをしてトーマとの間に割り込んだ。


 鉄をも溶かす炎を全身に吹き付けられながら、後ずさるトーマに向かって巨大な顎を開く。炎は6秒間の役目を終えて消えた。右前脚に鎖を巻いたまま、片目でトーマを見据えてゆっくりと倒れるそいつはニヤリと笑ったように見えた。


 煙を上げる死体を飛び越えて、銀毛の女王がトーマに迫る。左手に持ったままの短剣が、牙に捉えられ捥ぎ取られた。飛び退いたトーマは右拳を握り格闘術の構えをとる。打つ手なし。


「アンドレイ!」


 叫んだのはイヴァンだ。いつの間にこっちに来たのか。

 魔物の吠え声が聞こえたと同時に、トーマの左横をアンドレイが駆け抜けて女王に斬りかかった。敵は力強い6本の脚で巨体を躍らせ、斬撃を掠らせもしない。

 月明かりだけではアンドレイには暗すぎるのか、女王が強すぎるのか。


「ピッエランカ、ユームッ!」


 チャベニ語の罵倒らしき言葉と共に鎖が女王に向かって飛んだ。

 片目に引きずられたのだろうか、頭の先から草と土まみれのペンディー。その両手に握られた鎖が、女王の右後ろ脚を捉えた。


 後ろを振り向くと、アンドレイと入れ替わったのだろう、イヴァンが統率者級と戦っている。両者とも未だ無傷なのか動きに違和感は無く、月明かりの中どちらが優勢かは分からない。

 トーマは懐から3本目の獣脂ロウソクを取り出し、マナを込めて呪文を唱えた。


 全身を襲う虚脱感と、何かに胃袋を握りしめられるような吐き気。2種の精霊がトーマの『魂の器』本体までを消化し始めた。朦朧とする意識を無理に立て直し、正確に、速く。呪文詠唱を声と思考で同時に行う。


 女王は後ろ足を縛る鎖を振りほどいた。力なく垂れ下がった鎖。ペンディーは一歩も動けずにいる。マナ切れに違いない。


 詠唱が完了した。女王は横を向いている。獣脂ロウソクが表面から半分だけ溶けて、炎に変わる。『火炎旋風』よりも細く、弱々しい。だがロウソクから素早く伸びた炎の帯は、アンドレイを翻弄する女王の頭部に正確に巻き付いた。


 火・風複合精霊魔法登録09号。『火炎鞭・煽フィオンヴィポ・ベント

 『火炎鞭(フィオンヴィポ)』を基本としながら風精霊の力で高温化を実現。『火炎旋風』に比べ威力は劣るがマナ消費と呪文が短い点で優っている。


 10年前に開発された最先端の複合精霊魔法が女王の両眼の水分を蒸発させる。焼き網に生肉を乗せたときのような音。怒りの咆哮を上げて首を旋回させる女王。

 全身で踏み込んだアンドレイの曲刀が、その真っ赤な口に刺しこまれた。

 女王の後頭部から切っ先が飛び出したのを確認して、胃液を吐きながらトーマはうつぶせに倒れた。

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