第42話 本物
「六つ足が出た! 南西から襲ってくる!」
「ランクァッロ! ランクァッロ! ジャデチコスタ!」
ウィレムとディオが同時に叫んだ。南西の方角約300メルテ月明かりに照らされなければもっと接近されるまで気付かなかったかもしれない。肉眼にはまだ遠く、小さく見える影は数えてみれば30頭は居る。
こちらが気づいたことに向こうも気づいたのだろう。跳ねるように疾走しはじめた。もう20秒もすれば接触する。
ウィレムが言った通り、鼻のいい六つ足オオカミがこちらに気づいていないはずはなかった。というかにおいを嗅ぐまでもなく、高い丘の上にウマが14頭も丸出しだ。
そもそも待ち伏せと言えるような状況とは言えなかったのではないか。やつらにとってはウシだろうがウマだろうが食いでのある肉なら何でもいいのだ。
実のところ、むしろ奇襲されることもあり得ると想定はしていた。だからこそ、『器持ち』全員が丘を囲む円のように広がって警戒していたのだ。
ウィレムは上着を帯のように留めている数本の麻縄のうち、一本を引きちぎり素早く呪文を唱え、火精霊小魔法『火射』を背後に放った。
トーマたちの背後、丘の中央にはウマが集められている。その周囲に東西南北4つに分けて薪が積んである。ペンディーがチャベニ族の移動集落から運んできた乾いた薪だ。矢のように飛んでいくウィレムの火魔法によって背後の薪積みが燃え上がった。
一つ一つの薪積みには5キーラムほどの薪が使われている。20分は燃え続けるだろう。
トーマもまた南側の薪積みに駆けよって、薪の一本に触れて『焦火』を使った。薪積みが一気に燃え上がるように、炎を操る。
東側の薪積みも燃え上がった。ユリーが火をつけたようだ。北も誰かがつけるだろう。
西側に戻るとウィレムたち旅商隊の4人、ディオたちチャベニ族の3人が10メルテの幅に広がって隊列を組んでいる。
「来るぞ来るぞ来るぞ」「キャレ! ランクァレディエンタ!」「弓は⁉ 射るんじゃないの⁉」
トーマが右手のナラの枯れ枝にマナを込める。隊列の中央、ディオとウィレムの間に立って詠唱を開始した。
『請う 風の精 マナを食らい
|塊を成して強く吹き《ファマル ローマル ルパクサス》 左腕の形を 炎に与えよ』
(請う 火の精 マナを食らって
|熱く大きく燃え盛り《ゼラモーマ ロン ノーフ》 風に従い形を変えよ)
風の精霊には発音しての詠唱、火の精霊には思考詠唱。
『魂の器』を通じて2つの精霊に同時に働きかける二重詠唱。
複合精霊魔法を使うため、18歳から3年かけて師匠ラケーレに習った技術だ。
トーマは隊列からさらに一歩前に出た。
火・風複合精霊魔法登録06号。
『火炎旋風』
ナラの枯れ枝が上端から一気に燃え上がった。
巻き上がる風と共に、鎌首をもたげるがごとく炎が立ち上がる。トーマが上半身をひねって左腕を前方に突き出すと、炎の大蛇が六つ足オオカミを迎え撃った。
5メルテの距離に迫っていた先頭の六つ足オオカミの顔面に命中。体長2.5メルテの灰色の魔物は『火炎旋風』の勢いで体を持ち上げられ、そのまま後ろに飛びのいた。しかし炎はトーマの左腕の動きに従い、後ずさる魔物の頭部を捉えたまま放さない。
鍛冶屋がふいごで炉に空気を送るように、風精霊が空気を与える炎は熱く燃え盛る。さらに火精霊の力で高められた炎の温度は、自然に燃える焚火の炎などとは比べ物にならない。『火炎旋風』を6秒当てれば鉄製の武器が溶け落ちる。
魔法の炎は魔物の目、鼻、耳、口中を容赦なく焦がす。3秒で脳が煮え、六つ足オオカミは絶命した。
赤々と燃え上がったトーマの『火炎旋風』の光。そしてなすすべなく焼き殺された仲間の姿に、30頭の群れの半分は怯んだように見える。
だが残り半分、他の六つ足オオカミは次々に隊列の戦士たちに襲い掛かった。態勢を低くして脚の骨を噛み砕こうとするもの、飛びかかって喉笛を噛みちぎろうとするもの。
【勇者】のウィレムは飛びかかってきた一頭を大剣で跳ね返し、隣の【槍士】の脚に食いつこうとしている一頭を横から突いた。前脚の付け根に切っ先が突き刺さる。残念ながら副脚のほうだ。
六つ足オオカミは前脚の後ろにもう一対副脚が生えている。細くて短く、動かすことは出来るらしいが地を蹴って走る役には立たない。
ディオに右副脚を駄目にされた六つ足オオカミは「ガフッ」というような声を上げて転るように退いた。
左側でも【鉄指】のウィレムが魔物のわき腹に右手の二本の指を突き立てた。【健胃】のハインツの亀甲盾に喰いついていた若い個体は、わき腹から血を流してイヌのような声を上げて退く。
トーマは先頭の魔物を焼き殺した後、もう一頭、正面に居た六つ足オオカミに『火炎旋風』を伸ばした。回避のために左右に飛び退く白毛の個体の前脚の毛を燃やしたところで、魔法の炎はフッと消えた。
ナラの枯れ枝はマナを込めた上半分が燃え尽き、無くなっている。
トーマの技量では媒介に一度に込められるマナはこの量が限界で、複合精霊魔法を操作しながら追加のマナを流して燃やし続ける、そこまでの技量はない。トーマの『火炎旋風』の持続時間は6秒だ。
人間を平気で襲い、普通は火など恐れない六つ足オオカミ。だが、ただの火炎とは違う。毛が燃え尽きただけでなく、しっかり火傷しているはずの前脚の痛みに、白毛は怯んだように見える。
だがあくまでそう見えるだけ。その程度で逃げ去ってくれるのは普通の狼だけだ。
トーマも一歩引いて戦況を見る。チャベニ族の『器持ち』3人が戦闘に参加。【精霊士】と【纏気】が前線で戦い、【投射】持ちは大弓で回り込もうとするものを牽制している。
27階梯、『不明』の『器持ち』が今、剣で一頭の喉を貫いた。熟練を感じさせる動きだ。最初に見たときは弓も持っていたが、剣が得意なのだろう。
隊列右側の人数が増えたので、トーマは【瞬速】のオットーが守る左端に移動した。
【瞬速】の異能≪速さ倍化≫の効果を考えれば、マナ切れを起こすまでオットーに危険は無いと思っていたのだが、現状3頭の六つ足オオカミに翻弄されているように見える。
柄の両端に湾曲した短い刀身が生えているという、よくわからない武器を両手に持つオットー。食いかかる魔物共の目を狙っているようだが、躱されている。
再びトーマは『火炎旋風』の詠唱を始めた。気持ちは落ち着いている。3秒半で詠唱完了、マナが込められたナラの枯れ枝が燃え上がる。右手の炎は左腕の構えを象るように、右曲がりに弧を描いて伸びた。
オットーの背後に回り込もうとする六つ足オオカミの大事な部分を、さらに後ろから炎の渦が焼いた。「ギャイン」と鳴いて前転するように転げまわっている。そのまま伸びた炎は、オットーの武器を咥えて捥ぎ取ろうとしている痩せた個体の腹に当たった。
胴体の毛が燃え落ちて、皮膚が泡立っても武器を捥ぎ取ろうとするのをやめない。頃合いを見てオットーが振りほどくと、その場にへたり込んだ。口から大量の湯気を吐き出し、魔物は息絶えた。
「助かった!」
そう言ってオットーは最後の一頭に素早く接近すると右手の武器で目を突いた。左目を失ってなおオットーに噛みつこうとする六つ足オオカミだが、動きがおかしい。致命傷になっているようだ。
僅かな時間で魔物の群れの数頭が死に、負傷したものも多い。
隊列正面にぶつかるものは前衛肉体派の『器持ち』の戦士たちに跳ね返される。横や後ろに回り込もうとするものも、焚火の明かりでよく見える。不意を突かれることは無い。
丘の中腹に築かれた幅10メルテほどの戦線は、3倍の数の差にも拘わらず安定し始めた。
「トーーマァー! こっち来てぇー!!」
ユリーの叫ぶ声が聞こえる。やはりか。
丘の円陣の西側に攻め寄せた30頭の個体の中には『本物の六つ足オオカミ』が居なかった。
『器』を持たないチャベニ族が何名か、暴れて鳴き叫ぶウマたちを宥めている。トーマはまとめて置いてある荷物に駆け寄ると、自分の背負子を蹴倒し、中から獣脂ロウソクを3本ひっ掴んだ。ナラの枯れ枝はさきほど燃え尽きてしまっている。
もともと組んでいた警戒のための円陣は直径20メルテ程の大きさ。ウマの群れの横を回って東側のかがり火の場所へ走った。
ペンディーが両手に持った2本の鎖を異能で操り振り回している。次々に襲い掛かる数頭の六つ足オオカミから、背中のケオルルをかばっている。
その向こうでイヴァンが横刃槍で2頭を相手取っている。遠くてよく見えないが、片方は今までの個体より大きいように見える。
ユリーが右手の上に乗せた媒介物から『火射』を撃つ。喰らった六つ足オオカミは鼻を焦がされ、ユリーに唸り声を浴びせた。
アンドレイが左耳が無い大きな個体と対峙している。
耳欠けの大物は岩の転がるような声で唸ると、5メルテの距離を一気に飛びかかった。アンドレイは振り下ろされる前脚を丸盾で受け止める。
丸盾の上から何度も頭に噛みつかんとする耳欠けのアゴを、曲刀で防ぐ。涎だらけの口中にはトーマの指より長い牙がギラつく。
耳欠けが盾の下から、副脚でアンドレイの胸甲を引掻いた。鉄製の胸甲から火花が散る。
耳欠けの副脚は太く、長い。本来の前脚と変わらない大きさだ。
『軍団』を統率する血族。地位を得てさらなる変異を遂げ、正真正銘6本の脚をもつ『本物の六つ足オオカミ』だ。




